【文・写真/米谷太揮(ローカルニュースライター講座in渋谷)】東京都北区岩淵町。かつて日光御成道の最初の宿場町として栄えた街は今、後継者不足で縮小の一途を辿っている。そんな東京の片隅に、100年近く続く銭湯がある。しかも後継ぎはロンドン留学帰り。銭湯は宿場町復活の一手となるのか。岩淵の地で確かに生き抜いてきた銭湯の歴史と、未来に迫った。



元宿場町存亡の危機

テレビから流れる「有楽町で逢いましょう」を聞きながら、楽しそうに首を揺らす女性がいる。「青春時代だった~。この曲を聞いて有楽町に遊びに行ったもの〜」と親しげにお客さんと話す女将さんの名前は砂田恵美さん(77)。東京都北区岩淵町にある銭湯、「第一岩の湯」の日常風景だ。

写真は照れるから、と笑う砂田恵美さん

「第一岩の湯」は先代が約100年前に創業。現在は2代目の砂田興次さん(77)と恵美さんのご夫婦と、お二人の長男、砂田裕一さん(44)の家族経営である。

筆者が取材に訪れた土曜日の夕方6時頃、お客さんはまばらだった。「ご覧のとおりよ」と溜息をつく恵美さん。岩の湯にかつての勢いはなく、近隣の蕎麦屋や豆腐屋など、岩淵町の商店は殆どが後継者問題で無くなってしまったらしい。

荒川の木くずを拾ってまで燃料にしていた全盛期

岩の湯は、「第一岩の湯」の名前が示す通り、先代が経営していた50年程前、最大6軒も経営するほどの人気銭湯だった。その過去の繁盛ぶりを物語るエピソードには事欠かない。

当時の「第一岩の湯」では、日夜ロッカーの取り合いで喧嘩が起こっていたそうだ。結婚した当初の恵美さんは、元四ツ谷OL。毎日のように起こるケンカが怖く、番台での仕事に悩みは尽きなかったという。ロッカーだけではお客さんの服を収容できないため、カゴを追加で出しても、一つのカゴを2〜3人で使っていたこともザラだったとか。

その盛り上がりは先代の頃からで、湯を沸かすための木材が切れて、荒川の土手に木くずを拾いに行っていたという武勇伝も残るほどである。戦前から残る「第一岩の湯」には、戦前兵隊さん(赤羽工兵隊)も一斉に訪れていたようで、1人5分きっかりで訓練のように風呂から上がっていく様は見事だったと、恵美さんは先代から聞いたエピソードを語る。

岩の湯の門構えは創業当時の趣を残している

ロンドン帰りの3代目が誕生?銭湯が紡ぐ岩淵町の未来

そんな「第一岩の湯」の後継ぎが裕一さんである。恵美さんが「バカ息子」と恥ずかしそうに語る裕一さんは実はロンドン留学帰り。興次さんと恵美さんは自分たちの代で銭湯をたたむ腹積もりだったそうだが、裕一さんの後を継ぐという意思は固く、3代目の誕生は間違いなさそうだ。

「第一岩の湯」には見事なペンキで描かれた富士山も、創業当初から使い続けている番台もある。大黒柱など、基本的な造りも当時のまま。これは東京という街が進化し続ける中でも、普遍的な価値を失わず、逆に輝きうる原石だ。

館内には見事な富士山が広がる
創業当初のままの番台。急な梯子も見所だ

かつての勢いは失われ、今や隣町赤羽の影のようになりつつある岩淵町。ただ、そこには表に出ないだけで、歴史というかけがえのない財産がある。

23区で唯一の造り酒屋「小山酒造」など、まだまだ宝が眠っているように思われる岩淵町。近い未来、その輝きの中心に、「第一岩の湯」という存在があったなら、番台に立つ男性に英語で話しかけてみよう。きっとロンドン帰りの3代目が英語で答えてくれるはずだ。(ちなみに3代目の奥さまもロンドン留学経験者のため、英語対応可)

この記事は2017年2月〜3月まで東京都渋谷区のコワーキングスペースco-ba shibuyaで開催されたco-ba school「ローカルニュースライター実践講座」の受講生が執筆した記事です。5月下旬からは二期目の講座が始まります。





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