落選者の事務所から見えたもの―過去最低投票率の岩沼市議選

令和元年、最後の月。宮城県岩沼市で、過去最低の投票率となった市議会議員選挙がありました。今回落選した候補者と元同期生で、選挙事務所で手伝いをした元河北新報記者の土井敏秀さんが、落選者側の視点から選挙を振り返るルポルタージュを寄稿してくれました。

土井敏秀=宮城県岩沼市】その選挙の投開票があったのは、昨年12月15日。宮城県岩沼市議選である。選挙事務所の留守番役を引き受けた私は、初めての経験で、選挙運動を内側から見るのも面白い、と全くもって、好奇心の塊だった。

候補者は河北新報社に勤めていたころの同期生で、私が会社を辞めた後の何年か後に、同じく会社を辞めた。その後、岩沼市会議員となったが、その任期の途中で、岩沼市長選に「無投票阻止」を掲げて立候補したが落選。それでも次の市議選で2期目の再選を果たし、市議会を「政策を訴える場」と位置付けた。つまり「理論で筋を通うそうとする」ま、うるさいやつである。今回の市議選で当選すれば4期目となる。それも、これまで改選ごとに票を伸ばしてきた。

前回は千票以上を獲得した。今回は定員18に対し、立候補者は23人。有権者数は3万5978人。700票取れば当選できる計算を立てた。その余裕があったのかもしれない。今回は繁華街に選挙事務所を借りるのではなく、住宅地の目立たない自宅にした。経費節減である。それで留守番役が、暇な私に回ってきたのだ。

私自身、「当選するのだね」と気楽な気持ちでいた。その「滞在記」をTOHOKU360に載せてもらえるよう、原稿にしたいなあ、と安易に考えていた。久しく会っていない友だちと、互いの生き方を振り返る、いい機会じゃないか、私・土井敏秀、立候補者・大友健のふたりとも昨年、70歳の古希を迎えたのだから、と。

それが落ちた。

わずか16票差での落選

投票率過去最低の48.03%、立候補者大友健の獲得数は625。最下位当選者と16票差の次々点だった。拍子抜けした。「選挙事務所滞在記」は「敗戦の弁」というか、言い訳を綴りそうな気がして、気持ちが奮い立たず、年を越し、選挙から2カ月近く過ぎてしまった。大友に電話した。「書くのをやめようかな」。即、拒否された。大友は市政の進め方、議会の在り方に疑問を投げかけ、問題提起をし続けてきた。「そのおれが落ちたってことは、岩沼市民にとっていらない存在だ、と言われたのと同じ。これまでの議会活動に意味がなかったと、指摘されたようなものだ。そのことを書いてほしい」と。落ちて落ち込むのではなく、踏ん張っていた。

議会では大友をリーダーに3人の会派を作っていた。その3人が今回、最下位当選、次点、次々点で並んだ。会派のひとりしか当選しなかった。「岩沼市民が批判勢力をいらないというのなら、市議会は2、3人だけですむんじゃないか。これからは『定数大幅減』を訴えていきたい」。大友は次の段階に進んでいた。逆に私は「進む方向が決まっているのなら、今回の選挙を振り返る必要がどこにあるのか」と考え込んだ。何を書けばいいのか、である。

七つ道具を受け取り、ポスター貼りへ

選挙の全くの素人が、岩沼に何をしに来たのかを振り返ってみる。12月8日、選挙管理委員会への立候補届けをした。選挙事務所の標札、選挙運動用自動車表示板、街頭演説用の表示物や車上運動員の腕章など、いわゆる「七つ道具」を受け取った。そう言えば、こんな光景を取材したこともあったなあ。やはり、どこか他人ごとで申し訳ない。

5人の運動員が2班に分かれてのポスター貼り。大友の支持者と一緒に、地図を手に掲示板を探す。ほかの候補者の運動員と明るく言葉を交わす。掲示板の場所を教え合ったりして「同じ仕事をしている」仲間みたい。すれ違う選挙カーが「○○候補の健闘を祈ります」とエールの交換するのとは違い、「お互い大変だね」と心の交換。一緒に大友のポスター貼りをした、運動員は昔からの支持者。「大友さんは人気があるから、落ちることは考えられないよ」と笑顔で話した。そうだよなあ、これまで上位当選をしてきたのだから、と安心した。

候補者の選挙ポスター

事務所の留守番に苦戦

選挙運動そのものを、ウグイス嬢の手配を始め、丸ごと引き受ける会社があるのを知って驚きもした。恥ずかしながら、選挙管理委員会に行けば、選挙人名簿を閲覧し、書き写すことができる、ということを知らなかった。事務所に抗議の電話がかかってきた。対応がうまくできなかった。

「引越ししてきたばかりなのに、なぜ、ウチに投票依頼のハガキがくるの。どこで住所を調べたのですか。こんなこと、今までなかったのに」

「すみません。留守番なので事情がよく分かりません。本人に伝えて電話を差し上げるので、電話番号を教えてもらえませんか」

「何よ、電話番号まで教えなくちゃいけないの?バカみたい。とにかく、これからは送ってこないでください」

「ですから、どなたなのか分からないと……」

ポチッ。ツーツーツー

事務所に戻ってきた大友に報告すると「あぁ、言ってなかったっけ。選管で名簿を見せてもらって、書き写せるんだよ。コピーはだめだけど、手書きならいいんだ」

しっ、しまった。留守番の役目すら果たせていない。

7日以降、選挙カーを走らせた後、午後8時過ぎから、「お疲れさま」のビールを飲んだ。生まれ育ったマチではない岩沼への思い、市政にかかわる姿勢、会社の同期生としての思い出話など、選挙運動の最中にこれはいかがなものか、で盛り上がってしまった。話は尽きない。振り返れば、ごめんでしかないのだが。

大友には選挙期間の前に、多くの仲間にひとりひとり、あらためて支持を呼びかけ、手ごたえを得た自信、信頼があった、と思う。それは慢心かもしれない。一緒にポスター張りをした人、その際に出会った人、私ひとりが事務所で留守番をしていた時に、「陣中見舞い」に来てくれた人々、だれもが「大友さんは実績もあるから大丈夫だよ」と言ってくれた。

「初めて自分じゃない名前を書いた」

12月15日(日)の投票日当日。大友が投票をした後、ふたりで日帰り温泉に行った。「おれさあ、今回初めて自分じゃない名前を書いたよ」と、どこか興奮していた。立候補者本人が自分ではなく、他の候補者の名前を書いたのである。今の市政に対して疑問を投げかけてきたグループ3人全員が、当選してこそ、岩沼市民の期待に応えられる、という判断だった。自分を二番目に置く。いくら大丈夫といわれても、自分の名前を書かなかった。

最下位当選者と16票差で落ちた。予想外だった。だけど、その結果を招いた大友の判断は、人としての生き方を私に突き付けてきた。「お前だったらどうした?」。思い上がりという人もいるだろう。確かにそうかもしれない。「実はおれを本当に支持してくれる人たちの中にも、今回は○○さんの名前を書いてくれ、と頼んだ」。その一方で「おれの名前を書いてくれた人には申し訳なかった」と悩んでいる。「私だったらどうしたのだろう?」

落選を踏まえて、大友は言う。「私のこれまでの議会活動が評価されなかった。市民から『議会に大友はいらない』と言われたんだと思う」。大友は今回の4期目の選挙を最後に、引退する腹積もりだった。「今の政治に必要なのは、女の人、普通の主婦の考えだと思う」という確信を持って、「女性の参画しかない」を呼びかける道を選んでいた。

選挙を、候補者陣営のそばで見る気持ちで、大友の選挙事務所のちょっとの手伝いをした。その「滞在記」を原稿にしようという、下心もあった。でも、その場で知ったのは、大友健という、私と同じ70歳の人間が、胸を張って生きている姿だった。そして、1月26日投票の、岩沼に隣接する名取市議選に立候補した女性候補の、ただの普通の運動員として応援し、当選できた手助けをした。

彼の問いかけだけが、今も深く、答えが見つからないまま突き刺さる。

「お前はどうするのか?」 
 

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