【写真連載企画:東北異景】自然の摂理は時として思いもよらない景観を生み出す。一方で、人間という社会的動物は欲望のままに巨大な建築物や異様な光景を作り出してきた。あらためて注意深く見回すと、我々の周囲には奇妙で不可思議な風景、違和感を覚える「異景」が数多く潜んでいる。東北の写真家・佐瀬雅行さんが、東北各地に存在する「異景」を探す旅に出かける。

写真・文/佐瀬雅行(写真家)自然の造形が生み出した巨石や奇岩に、なぜか心惹かれる。古代から人間は人知を超えた存在として巨石を崇め、幾つもの物語を紡いできた。そうしたDNAの残滓を受け継いでいるのかもしれない。

自然崇拝やアニミズムの対象となった事例は世界中で見られ、ドルメンやストーンサークルなどの巨石遺構も造られた。日本では、古神道において岩に神が鎮座するという「磐座」信仰があった。現在でも、さまざまな伝説に彩られた巨石信仰が各地に息づいている。

自然現象や霊的存在に対する畏敬と祈り、庶民が語り継いできた昔話、地名や寺社の成り立ちに関する伝承――。数知れぬ人々の記憶が刻まれた巨石や奇岩を訪ねて、東北地方を巡り歩いた。

続石(岩手県遠野市)

続石(岩手県遠野市)

 「民話の里」遠野は巨石の宝庫でもある。柳田国男の『遠野物語』も石に関連する話が多い。JR遠野駅から西へ約10㌔、遠野市綾織町の国道396号から山道を15分ほど登ると、山神の小さな祠の前に巨大な組石が現れた。『遠野物語』第91話、『遠野物語拾遺』第11話に登場する続石だ。二つ並んだ石の上に幅7㍍、奥行き5㍍、厚さ2㍍の巨石が載っている。よく見ると巨石を支えているのは右側の石だけで、左の石はわずかに隙間がある。柳田は武蔵坊弁慶が造ったという伝説を紹介し、ドルメン(支石墓)との類似性を指摘している。周囲には他にも巨石が点在しており、土石流などによる自然の造形物と考えるのが妥当だろう。しかし、絶妙なバランスを保つ続石を目の当たりにすると、人為的な巨石記念物という説を信じたくなる。

安達ケ原・黒塚(福島県二本松市)

安達ケ原・黒塚(福島県二本松市)

 阿武隈川にほど近い真弓山観世寺の境内に入ると、すぐ左手に巨大な岩が幾つも積み重なっている。能や歌舞伎、浄瑠璃の演目として知られる「安達ケ原の鬼婆」が住んでいた岩屋だという。奈良時代、この岩屋で暮らしていた老婆は、実は旅人を殺め人肉を食らう鬼婆だった。正体に気付いた旅の僧が白真弓如意輪観音の霊験で鬼婆を調伏し、成仏させたというのが鬼女伝説の概要だ。阿武隈川のほとりに立つ大杉の根元には、鬼婆を葬った黒塚が残っている。かなり陰惨な伝説でありながら人々の心を捉え、松尾芭蕉や正岡子規も訪れた。平坦な土地に巨石が集まっているのは人為的な感じで、庇のように突き出た笠石はドルメンを連想させる。岩屋は奥州街道の旅人を襲う盗賊の住処で、それが鬼女伝説につながったのではという妄想が浮かんできた。

三ツ石神社(盛岡市)

三ツ石神社(盛岡市)

 岩手県庁から北へ向かう。盛岡市名須川町の古刹、東顕寺の裏手でようやく三ツ石神社を見つけた。その名の通り、注連縄の張られた三つの大石が身を寄せ合うように並んでいる。高さ6㍍もの巨大な花崗岩で、1個の巨石が割れたように見える。言い伝えでは、岩手山の噴火で飛んできたもので、「三ツ石様」として人々の信仰を集めていた。かつて羅刹という鬼が悪行を重ねて、困り果てた人々は三ツ石様に祈った。すると羅刹はたちまち大石に縛りつけられ、二度と悪さをしない証として岩に手形を押したのが、「岩手」という地名の由来だという。確かに盛岡に限らず、岩手県内には信仰の対象となる巨石が数多く存在している。県名に岩が付いているのも不思議ではない。

石神社(宮城県石巻市)

石神社(宮城県石巻市)

 石神社への道は過酷だった。石巻市雄勝町大浜で車を降り、追波湾と雄勝湾に挟まれた半島中央部の石峰山(352㍍)を目指す。苔むした石や湧き水で登山道は滑りやすく、雑草に覆われていて何度も迷いそうになる。息も絶え絶えになりながら歩き続けて約1時間。山頂に近い杉林の中に巨大な磐座が鎮座していた。高さ7㍍、幅3㍍の烏帽子形の巨石が石神社の御神体で、社殿はない。急峻な斜面に直立する姿は神秘的で、自然石でありながらモノリスやメンヒルといったヨーロッパ先史時代の巨石記念物を連想させる。石峰山には他にも伝説を秘めた岩が点在し、明らかに山岳修験の霊場だったと思われる。硯やスレートで有名な雄勝石の産地に、巨石をご神体とする神社が存在することは興味深い。

アラハバキ大神の巨石(岩手県花巻市)

アラハバキ大神の巨石(岩手県花巻市)

 JR釜石線の南、花巻市東和町谷内の丘陵地に建つ丹内山神社は約1200年前の創建と伝えられ、坂上田村麻呂や奥州藤原氏、盛岡南部氏から篤い崇敬を受けてきた。本殿の裏手、一段高い斜面に幅11.6㍍、奥行き9.3㍍、高さ4.5㍍もの巨大な磐座がある。蝦夷の首領、阿弖流為を描いた高橋克彦の歴史小説『火怨 北の耀星アテルイ』にも登場する「アラハバキ大神の巨石」だ。アラハバキ(荒脛巾、荒覇吐)の信仰は主に東北地方で見られるが、その正体は謎に包まれている。民俗学者の谷川健一は、「本来は蝦夷の神だったものが客人神に転じて、大和朝廷の神社に組み入れられた」という説を唱えている。丹内山神社が創建される以前から、この地は蝦夷の聖地だったのかもしれない。

釣石神社(宮城県石巻市)

釣石神社(宮城県石巻市)

 北上川の河口に近い石巻市北上町十三浜の釣石神社は、落ちそうで落ちない巨石の姿から「受験の神様」として人気を集めている。本殿に続く石段の左手、斜面から突き出た周囲約14㍍の丸い岩が神社の名称となっている釣石だ。マグニチュード7.4を記録した1978年の宮城県沖地震で崩落しなかったことで有名になり、合格祈願の受験生が数多く訪れるようになった。2011年の東日本大震災でも無事だったが、高さ10㍍もの津波で地元は壊滅的な被害を被り、釣石神社の社務所や鳥居も流失した。震災から5年3カ月が経過した2016年6月、ようやく社務所と祈祷殿が再建された。2度の自然災害を耐え抜いた釣石神社は、受験生だけでなく復興を願う地域住民の心の支えとなっている。

仏ヶ浦(青森県佐井村)

仏ヶ浦(青森県佐井村)

 下北半島の西岸、津軽海峡に面した仏ヶ浦は奇異な形の巨岩が2㌔以上にわたって連なる。緑色凝灰岩の断崖が長い年月の間に浸食され、独特の景観が作り出された。浄土のイメージに重ねて、それぞれの岩には「如来の首」「五百羅漢」「十三仏」などの名が付けられている。道路が整備された現在でも、仏ヶ浦は本当に遠い。下北半島の中心、むつ市を出発して海沿いの国道338号をひたすら走り、駐車場から高低差約100㍍の階段を下って、ようやくたどり着く。かつては船でしか近づけない「陸の孤島」で、地元の住民だけが知る秘境だった。厳しい環境の中で海から糧を得て暮らしてきた人々にとって、異界を思わせる仏ヶ浦は来世への入り口であり、大切な信仰の場であったのだろう。

垂水遺跡(山形市)

垂水遺跡(山形市)

 山寺の名で知られる宝珠山立石寺の北東に「もう一つの山寺」といわれる垂水遺跡がある。凝灰岩の巨大な岩壁に穿たれた洞窟、色あせた木の鳥居、蜂の巣状の模様に覆われた白い岩肌――。静寂に包まれた遺跡で撮影を続けているうちに、時を超越したような不思議な感覚にとらわれた。垂水遺跡には、立石寺を開山した慈覚大師円仁が籠ったという岩窟が残されている。さらに古峯神社や稲荷神社、不動明王が祀られ、神仏習合の地であったことが分かる。大正時代まで、この場所で修行する山伏の姿が見られたという。円仁が訪れる以前から、修験道の行者や山に生きる狩猟民が祈りを捧げる聖域であったと推測される。

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