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先日、高校生と会話をしていました。

塾に通う生徒さんであったが故、高校生にしては広い知見(ちけん)を持ち合わせ、物事の判断へ至る(いたる)過程が非常に論理的でした。受験生から高校生になって解禁?されたSNSの利用にも積極的で、ツイッターアカウントを複数(プライベート、趣味、情報収集用等)使い分けていたのは流石(さすが)ですね(中高生には常識!?)。

中高生はフェイスブック、インスタは、あまり使わず、連絡のやり取りは基本的にラインを使うようです。また、学校では文化祭実行委員をするなど、学校というコミュニティの持つ資源を使い、現場でのマネジメント知識を身に付けておりました。

全く違う境遇(きょうぐう)の人生を歩んできた私の話をも取り入れようとする彼らの姿勢、そして宮城では比較的優秀な高校へ通う二人は1年生でありながら、将来の目標を明確に、そして論理的に目標への道筋(みじすじ)説明してくれました(立派過ぎて完全にお手上げ?笑)。

とはいえ、そこは高校生。日常における小さな「いざこざ?」における「正義感」についても話が及びました。(私の得意分野!?笑)

中学時代、苦楽を共にした仲間が、高校でSNSトラブルで悩んでいた話でした。通う高校は違えど、近所だからこそ、仲間に寄り添い、時間をとって話しを聞いていたそうです。問題に悩まされる当事者よりも、客観的に話しを聞く方が、冷静に状況を把握し、判断できるでしょう。がしかし、例え気心(きごころ)の知れた仲間とはいえ、仲間を最良(さいりょう)の判断へと導くこと程、難しいことはないのですね。

今回の問題は、嫌がらせによりSNSで作られた「架空(かくう)の話し」が、噂が噂を呼び中途半端に先生や周辺の仲間を巻き込みましたが、嫌がらせを受けた本人が納得した解決には出来なかった様です。最終的に、嫌がらせを受けた本人が作られた嘘の事実を強制的に受け入れ、時間の解決に身を委ねた(ゆだねた)ようです。真実を共有できなければ、嫌がらせを受けた本人だけではなく、無茶苦茶な作り話を演出した人も、この先に一生、同じ傷を抱えて生きていくでしょう。私の立場で言えば、中途半端に介入して何もできない教師の「問題解決能力」にも問題があると思ってしまいます。。(とはいえ、双方(そうほう)の話は聞いていませんが。。)

さて、今は平和に暮らしているそうですので、今さら話を掘り返すつもりはありません。

勇気を持って話し聞き、仲間を救おうと頑張った人たちこそ消化不良な出来事だったことでしょう。
自分に現実を無理やり受け入れさせてしまえば、日本人特有の「泣き寝入り」状態になってしまいます。せめて、自身が同じ思いを繰り返さないため、今回の出来事を整理して、意味や価値のある経験に転換させて終わりたいものです。

今回の件から学べることは、Face to Faceで相手の雰囲気、温度、表情を通した直接のコミュニケーションがとれなかったことではないでしょうか。言いにくいことや、後ろめたい話しをSNS上で話しを作り話しをすることは、相手に表情が見えない分、簡単ですよね。今さら、誰を責めても解決しませんが、せめてこれを読んだあなたは、相手や自分に同じ嫌な想いをさせない人間に今からなって下さい。あらゆるツールでコミュニケーションを簡単に取れる便利な時代だからこそ、昔から日本人が大切にしてきた「手間をかける文化」を大切にし、多少めんどうでも大切な話しほど自ら足を運びFace to Faceの対話を増やしていきましょう。

さて、今日も何人の人と対話ができるか楽しみになってきたぞ!
対話の数こそ人間の深さだ!

PEACE

TOMA




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