【第6回】元女子高に「野球部」を作りたい! 仙台二華高で野球部創部に挑戦した高校生

 仙台出身の元野球パキスタン代表監督・色川冬馬さん(26)が若者の悩みに答えるポッドキャスト番組「若者よ、悩みを語れ!」。今回のゲストは、仙台二華高校の3年生・佐藤稜悟君。元々は女子高だった仙台二華高にない「野球部」を創部しようと挑戦を続けた高校生活について、色川さんと対談しました。

※この記事はラジオの一部抜粋で、正確な書き起こしではありません。全編はpodcastでお聴き下さい

野球部を作ることで、学校を活性化したかった

(色川)そもそも、なぜ二華高に進学したのですか?

(佐藤)中学校のころから英語が好きでした。二華高は文科省のスーパーグローバルハイスクールに認定されていて、国際交流の機会も多かったので、二華高に進学しました。

(色川)二華高に野球部を作りたいと活動したきっかけは何だったんですか?

(佐藤)小学校から野球をやっていて、中学でも続けていましたが、高校では勉強を取ろうと思い、野球は続けないつもりでした。学校で生活するうち、野球が恋しくなりました。二華高は女子が多いので男子の活躍の場が限られ、男子が新しく創設された部活や個人競技などで頑張っています。野球部を作ることで学校を活性化したいと思い、協力してくれる友達もいたので、野球部を作ろうと思いました。

(色川)日本では野球部があることが当たり前のような感じですもんね。男子は少ないとのことですが、どのくらい少ないんですか?

(佐藤)中学から入る生徒は男女比は半々くらいですが、高校から入学する生徒は、一学年で160人中男子が14人。最初入ったときは全然環境が違うというのが第一印象で、肩身が狭いかな、と思いました(笑)

(色川)僕の卒業した聖和学園高校も、当時は共学になったばかりで、特進クラスの20数人中男子は5、6人程度だったので気持ちはわかります(笑)。活動は、最初は何人から始まったのですか?

休み時間のキャッチボールからスタート

(佐藤)5、6人からスタートしました。野球を元々やっていたり、協力してくれる人を集めて、何とか9人に、野球ができる人数に増やしました。活動は去年(2015年)、二年生になったと同時くらいから始めました。

(色川)部活を作るには、まずどうすればいいんですか?職員室に行くとか?

(佐藤)最初は休み時間を使ってキャッチボールを始めました。野球をやったことのない人が多かったので、投げ方や打ち方を教えていました。やっと形として野球ができるようになってきた5、6月ごろ、そこから先生に相談しよう、ということになりました。

(色川)最初は同好会などを目指したんですか?

(佐藤)学校の規則としては、愛好会、同好会、部活となっていく必要があったので、まずは愛好会を目指すことにしました。

(色川)愛好会を作るには、どうしたら?顧問の先生を付けたり、学校の承認をもらったりする?

(佐藤)そうですね。それから、人数や、施設も必要です。

早朝の「ゴミ拾い」で先生に活動を知ってもらった

(色川)活動中、何をどこまで動かせたのでしょう?

(佐藤)野球を知っている先生に顧問就任のお願いをしましたが、先生頼みではなく自分主体で動かなければいけないと感じていました。そこで、先生方に僕たちの活動の存在を知ってもらうために、そして学校のためだけでなく地域のためになることをしたいと思い、朝早くからゴミ拾いをしようということになりました。毎週、週二回ゴミ拾いをして、やっと学校に通勤してくる先生方に「何しているの?」と声をかけていただいて。こういう活動をしているんです、と喋っていたら、じわりじわりといろんな先生に活動を知っていただくことができました。

(色川)応援してくれる先生はいましたか。

(佐藤)施設や、学校の状況を考えても、野球部を作ることは厳しい、ということは当初から分かっていました。応援してくれる人は多くはなかったのですが、背中を押してくれる先生はいましたし、そういう人たちがいるので頑張ろう、と思えました。

(色川)その先生や仲間たちと力を合わせて。次は生徒会へ行ったのでしょうか?

(佐藤)はい、まず生徒会の方に一回お話をして会を開かなければなりません。生徒会へ行く前に、グラウンドの一部を使えないか、先生に相談をしていました。厳しいと話していましたが、諦めたくなかったので、教頭先生らから可否の結論が出るまでは頑張ろうと決めていました。

先生方には、学校の今の状況では厳しい、と。部活が多く、顧問の先生が足りないと言われました。それから、校庭がとても狭くて場所がないので、施設面でも厳しいとのことでした。自分たちからは、大きい球場でしっかりダイヤモンドを使ってやるというより、小さいところからでもいいから形として残したい、という思いをしっかり伝えました。

先生方からは結局、今の学校の状況としては厳しいと言われました。生徒集会でも厳しいと言われていて、悔しい気持ちもあり、すぐ下がるのは嫌だと思いましたが、受験もあり、野球のことに突込みすぎると勉強と野球のバランスが取れなくなるので、一旦手を引くことになりました。

(色川)施設や場所というハード面を今すぐに、というのは難しいかもしれないけど、学校の先生たちからの協力と学校の理解と仲間さえいえば、もしかすると愛好会、同好会、野球部、という形を残すことはできたかもしれませんよね。例えば毎週市民球場を借りて小さくても活動できれば次の世代につながるんじゃないかと思って頑張ってきた、ということですよね。

同じ志を持つ、未来の後輩にメッセージ

(色川)今回彼にラジオに登場してもらって残したいことの一つは、一生懸命やった人間がいるということと、元女子高で、男子も少ない中、そこに野球部を作ろうと思った人間がいたと。これが5年後になるのか10年後になるのか、これから二華高に入ってくる男の子たちの希望の光になるのではないかと思います。同じ失敗をしなければ少しずつ変わってくるかもしれないし、先生たちも現実的に動くのは難しいかもしれないけど、少しでも世の中に知ってほしいという思いがあれば、いつか届くのではないかと思っています。

これから野球部に関して、もしやりたい後輩がいたとしたら、メッセージをお願いします。

(佐藤)小学校からずっとやってきて、野球ってすごくいいスポーツだなってずっと感じてましたし、ひとりでは野球ができないので、周りの親や仲間、支えがあってできるというのを感じてきました。野球の力を借りて学校をもっとよくしたいと思ってやってきました。活動を振り返るとどこかで自分で熱意が足りなかったのかな、もう少し動けたかなとか、後輩につなげてやりたかった思いはあるんですけど、結果として受け止めて。個人的には大学でも何かしらの形で野球はやりたいと思っています。

僕たちの下には、今自分が知っている限りは、野球をしたい後輩はあまりいないんですけど、何年か後に同じ思いを持って野球をやりたい、っていうヤツがいたときには、誠意を持って最後までやる、というのを大事にしてもらいたいし、活動を続けることにとても意味があると思っていて、何かに生きる、という自信があるので、しっかりその思いを持って続けてほしいな、と、今後現れた後輩に期待したいです。

(色川)いいですね。僕も子供達に、いい失敗と悪い失敗があると話しているのですが。そもそも挑戦しないと失敗ってできないよね、失敗している人ってそれだけの挑戦を繰り替えししてきた人なんだよね、と。「いい失敗を積み重ねるべき」と考えていて、簡単にいえば、自分でした失敗は絶対次に生きる。これからの人生どこで生きるかわからないですし、もしかしたら大学進学したその後に自分で事業立ち上げたいっていうときに生きてくるかもしれません。

一方で悪い失敗とは、「やらされた失敗」。そこに自分の思いがないけど、周りの環境、親、先生にやらされてする失敗って意味がなくて、モチベーションもどんどん下がっちゃう。稜悟君がやったことは、間違いなく二華高の歴史に残ることだと思いますし、残すべきだと思いますので、ラジオに出て何か残してくれたら、と思っておりました。受験も応援しておりますので、今後何か挑戦することがあれば遊びにきてくれたら。稜悟君がんばれよ!とみんな思っていると思いますので、また遊びにきてください!

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