【大沼吹雪=東北ニューススクールin湯沢】闘争心の強い2羽の軍鶏(しゃも)を闘わせる「闘鶏」。時には、鶏たちが致命傷を負う、言わば命を懸けた勝負だ。秋田の小さな一集落で、静かに情熱を注ぐ男たちが集う姿を見た。




普段は物静かな、田んぼに囲まれた37戸の小集落の外れにある元豚舎のまわりに、10台以上の車と何人もの見知らぬ男たちがうろつく。地元の人に「何事だ」と思わせるのには十分な光景だ。ここは、「かまくら」や「横手焼きそば」で知られる秋田県横手市にある十文字町二ツ橋という集落だ。

聞けば、同集落の人も会員となっている雄勝軍鶏会(会長柴田建一、会員9名)が12月から7月まで毎月第2日曜日に闘鶏の大会を開催し、県内外から毎回15、6人の男たちと50羽ほどの軍鶏たちが集まるという。この集落に住む私にとって初耳だった。驚きと興味から6月11日、大会を取材させてもらうことにした。

闘鶏の開催日、普段は物静かな小集落の外れにある元豚舎に軍鶏と男たちの姿が現れる(大沼吹雪撮影)

8時には、すでに県内外の車が並んでいる。ケージに入れられた軍鶏がそこかしこに置かれ、「コケコッコー」と力強い鳴き声を発している。集まっているのは年配の男たち。建物の中に入るとすぐ目に飛び込むのは、直径約1.8メートルの円形の囲いだ。全部で7つある。ここが軍鶏たちを闘わせるリングだ。「2.9」「4.1」などと声がする。軍鶏の重さを測り、足にペンで重さを書く。重さの差が200グラム以内の鶏を闘わせるのが決まりだ。

組み合わせが決まれば、60分一本勝負が始まる。逃げたり、闘争心がなくなったりすれば負けとなる。鶏たちは円形のリングに入れられると、すぐにお互いの顔を鋭いくちばしで激しく突き合う。その様子をリングの傍らに置かれたイスに座った男たちが見入る。

戦う鶏たちのようすを、リングの傍らに置かれたイスに座った男たちが見入る(大沼吹雪撮影)

鶏たちを鋭く見つめる高橋靖道さん(80)、花巻市から1時間半かけて来た。自宅の30坪(約100㎡)ほどの敷地で156羽を飼育し、今日は4羽を連れてきた。「全部勝つ鶏を持ってきた」という言葉に、周りの男たちが笑う。26歳の頃から始めたという闘鶏の魅力を尋ねると「なぁに、勝負は勝ったら面白い」と答えはシンプルだ。昔は、負けた悔しさに自分の鶏をコンクリートに打ち付けて殺してしまう人もいたそうだ。

疲れてきた鶏は羽が広がり、口も開いてくるそうだ。軍鶏の太い足の先は鋭く尖っている。時折羽ばたきとともに繰り出す蹴りで、勝負が決まることが多いという。時間がたち、口から血を流す鶏も出た。のどを蹴られて内出血しているのだという。「ありゃぁ、目が両方つぶれた」と声がした。両目を蹴られ、目が見えなくなったというのだ。半ば後ろから一方的に攻撃されているが、それでも果敢に闘いを挑み続けている。まさに闘う鶏だ。

鶏たちは果敢に闘いを挑み続ける(大沼吹雪撮影)

この大会の会場の準備をしているのが、雄勝軍鶏会の会員でもある高橋俊悦さん(76)だ。私と同じ集落に住み、とても優しい人柄で知られている。山形県での大会の優勝経験もあり、最近も多くの大会で入賞しているという俊悦さんは、大会の1週間ほど前から鶏たちの調整を始める。塩を混ぜたお湯で鶏の体を洗う。そうすることで余計な脂が落ち、体力もつき、体も固くなるという。また、生卵を食べさせたりして、滋養を付けさせる。「ボクサーと同じよ」と笑顔で話す。

俊悦さんは、闘鶏が好きだ。小学校の用務員が軍鶏を学校の薪小屋で飼っていて、それを見ていた頃から好きだった。そして、大人になり結婚してから飼い始めた。車を所有していないのが当たり前の時代、俊悦さんは電車で近くの大会に向かうとき、藁でつくった容れ物(地元の言葉で「ちしこ」や「つつこ」と呼ばれる)に1羽の鶏を入れ、マントで覆って背負いながら隠すように運んだ。

今では賭博行為は禁止され、除名処分の対象になる(大沼吹雪撮影)

今は行われなくなった博打だが、昔は捕まった人もいたという。「1升」や「5合」という言葉も使われたそうだ。1万円や5千円を意味する隠語だ。「軍鶏をやれば、釜きゃしする(破産する)」と言われたが、俊悦さんは違った。次の大会に参加するために仕事をこなそうという気持ちが起こり、かえって仕事の励みになったのだという。それは、喜寿を迎えた今でも変わらない気持ちだ。

千円の会費で買った鶏の餌やジュースが入口に並んでいた。勝ちでも餌一袋、引き分けでジュース2本と賞品はささやかだ。午前11時頃から、戦いを終えて今日の勝敗のしるしを受け取った男たちが、再会への言葉を交わして会場を後にする。午後1時頃、鶏たちの羽音はなく、竹ぼうきが抜け落ちた鶏たちの羽を静かに集めていた。

午後1時には参加者たちは会場を後にする(大沼吹雪撮影)

私も家に帰り、遅めのお昼をとったのだが、「この伝統もなくなってしまう」と残念がる俊悦さんの言葉が思い起こされた。「かんしろ、かんすけ、こえもん、かんしぇ・・・」。以前、この集落で鶏を飼っていたという家々の屋号だ。昭和40年代は、集落の3分の1が軍鶏を飼い、闘鶏を楽しんでいたという。しかし、今は俊悦さんのみ。

俊悦さんの同級生である父にこのことを話すと、軍鶏ではないが、我が家でも卵を取るためにニワトリを飼っていて、時には絞めて食べたという。包丁の先を口の中に入れて、中の太い血管を切ると血が流れ出る。その血に塩を混ぜ、フライパンで温めて固め、レバーのようにして食べたという。「昔は食べるものがなかったからな」と父が話した。「昔は、他に映画とパチンコしか楽しみがなかったからな」という俊悦さんの言葉とどこか重なった。

闘鶏を趣味とする人は年々減っているという。俊悦さんは娯楽の多様化や高齢化を原因にあげる。他の大会に行っていつもの顔がないと、体調を崩したか、亡くなっていることが多いと残念がる言葉に、他の男たちも頷く。「この場所も俺が死んだら何とすべな」と言いながらも、俊悦さんの顔に笑顔があった。

「今回勝った鶏っこ、また調整して今度の大会さ出すべ」と闘志を燃やす高橋俊悦さん(大沼吹雪撮影)

その日の翌々週の日曜日の夕方、スイカ畑で農作業をしていた俊悦さんが、近くを通りかかった私に声をかけた。「男鹿の大会さ行って、勝ってきたど」とハリのある声で教えてくれた。「今回勝った鶏っこ、また調整して今度の大会さ出すべ」と、無邪気な笑顔がこぼれた。79日、秋田県しゃも連合協会(会長髙田清一)の公認大会でもある地元での大会に向け、静かに闘志を燃やしているようだ。





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