【写真企画・東北異景⑩】レトロな洋館が残る街・山形市

【写真連載企画:東北異景】自然の摂理は時として思いもよらない景観を生み出す。一方で、人間という社会的動物は欲望のままに巨大な建築物や異様な光景を作り出してきた。あらためて注意深く見回すと、我々の周囲には奇妙で不可思議な風景、違和感を覚える「異景」が数多く潜んでいる。東北の写真家・佐瀬雅行さんが、東北各地に存在する「異景」を探す旅に出かける。




写真・文/佐瀬雅行(写真家)】山形市最大の繁華街、七日町の大通りを北に向かう。やがて正面に重厚な西洋建築が姿を現した。花崗岩の外壁が陽光に輝く山形県旧県庁舎。隣接する赤レンガの建物は旧県会議事堂だ。山形市の中心部には、この他にも明治から大正、昭和初期に建てられた洋館がいくつも残り、ノスタルジー溢れる街並みを作り出している。

急速な近代化政策を推進した明治新政府は、西洋の建築技術を導入して東京をはじめ全国に官公庁舎を建造した。さらに「文明開化」の潮流の中で、地元の大工棟梁が伝統技術で模倣した擬洋風建築が各地に建てられた。

山形県においては初代の山形県令、三島通庸の存在が大きい。旧薩摩藩士の三島は強引に土木工事を進める手法や自由民権運動を弾圧したことで、「土木県令」「鬼県令」の異名を持つ。1876(明治9)年から1882(明治15)年の在任中、栗子街道(現在の国道13号)と関山街道(国道48号)の整備を進めるとともに、県庁舎や郡役所、警察署、病院、学校など数多くの擬洋風建築を完成させた。

その技術は民間にも波及し、山形市内には医院、教会、商店などの洋館が造られた。また、太平洋戦争で大きな空襲を受けなかった数少ない県庁所在地のひとつであることも、多くの近代建築が現存する理由としてあげられる。戦災と開発を免れた山形市のレトロな洋館を探訪して、近代化を担った先人の技術やエネルギーの一端に触れてみた。

◆旧済生館本館(山形市郷土館)=山形市霞城町=

1878(明治11)年竣工。木造下見板張。正面の塔屋は3層4階建で、中庭を囲む円形(14角形)の回廊が付属する。初代県令の三島が県立病院の構想を立て、山形の宮大工を集めて七日町にわずか7カ月で完成させた。時の太政大臣、三条実美が「済生館」と命名。横浜にあったイギリス海軍病院を参考にしたと言われている。ベランダやステンドグラスといった洋風の意匠と伝統的な木造技術が融合した擬洋風建築で、不思議な雰囲気を醸し出している。県立から民間を経て山形市立病院として利用されていたが、老朽化に伴って1969年、山形城址の霞城公園に移築・復元された。山形市郷土館として無料で公開されている。国指定重要文化財。

◆旧山形師範学校本館(山形県立博物館教育資料館)=山形市緑町=

1901(明治34)年竣工。木造桟瓦葺2階建。1878(明治11)年に開校した旅籠町の師範学校校舎が手狭となり、現在地に新築移転された。ルネサンス様式を基調とした明治期の学校建築。耐火性を求めて、レンガの下地にモルタルを塗って下見板張に見せた外壁が特色となっている。小説家の藤沢周平もここで学んだ。山形大学教育学部や山形北高校の校舎として利用され、現在は山形県立博物館教育資料館になっている。国指定重要文化財。

◆山形県旧県庁舎(山形県郷土館「文翔館」)=山形市旅篭町=

1916(大正5)年竣工。レンガ造3階建。三島県令によって建てられた初代の県庁舎と県会議事堂は1911(明治44)年の山形大火で焼失した。ただちに再建計画が進められ、ジョサイヤ・コンドルの弟子である田原新之助が設計を担当、米沢出身の中條精一郎が設計顧問を務めた。イギリス・ルネサンス様式で、正面の外壁は南陽産の花崗岩が張られ、屋根には雄勝産のスレートが使われている。建物内部の華麗な漆喰装飾や照明器具など、大正初期の洋風建築の特長が見られる。中央の時計塔は札幌の時計台に次いで国内で2番目に古い。1975年まで県庁舎として使用されていたが、10年間の復興工事を経て1995年に隣接する旧県会議事堂と併せて山形県郷土館「文翔館」に生まれ変わった。国指定重要文化財。

◆山形県旧県会議事堂(山形県郷土館「文翔館」)=山形市旅篭町=

1916(大正5)年竣工。レンガ造2階建。設計は旧県庁舎と同じ田原、中條が担当した。赤レンガのデザインが美しい2階建の正面に議長室を配し、背後は公会堂を兼ねた平屋の議場となっている。県庁舎とは渡り廊下で結ばれている。国指定重要文化財。




◆山形聖ペテロ教会=山形市木の実町=

1910(明治43)年竣工。木造鉄板葺平屋建。アメリカの建築家で立教大学校の初代校長、J.M.ガーディナーが設計した。急勾配の切妻屋根やライトグリーンの下見板張、正面左手に付属する尖塔上の鐘楼が瀟洒な印象を与える。国登録有形文化財。

◆吉池医院=山形市十日町=

1912(大正元)年竣工。木造2階建。設計は慶應義塾大学図書館などを手掛けた中條精一郎。玄関ポーチとその上のバルコニーや塔屋のデザインに、顧問を務めた旧県庁舎との共通点を見いだせる。外壁は石造を思わせるがモルタル塗り。現在も現役の医院として使われている。

◆旧西村写真館=山形市本町=

1921(大正10)年竣工。木造下見板張2階建。店主自らが施工した。正面の外観や2階の写場は洋風だが、奥の居室は畳敷きの和洋折衷。洋風破風飾りのある切妻屋根やアーチ状の小窓がハイカラな写真館らしい。





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