【続・仙台ジャズノート】定禅寺ストリートジャズフェスティバルなど、独特のジャズ文化が花開いてきた仙台。東京でもニューヨークでもない、「仙台のジャズ」って何?
街の歴史や数多くの証言を手がかりに、地域に根付く音楽文化やコロナ禍での地域のミュージシャンたちの奮闘を描く、佐藤和文さんの連載です。(書籍化しました!)
【佐藤和文(メディアプロジェクト仙台)】「仙台ジャズート」「続・仙台ジャズノート」と、身近なジャズ現場の出来事を追いかけてきました。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、演奏家にとって欠かせないライブやコンサートを開けなくなるなど、身近なジャズの現場はすっかり冷え切ってしまいました。一方で、プロあるいは限りなくプロ意識に近い演奏者たちがあきらめることなく、コロナ禍と向き合い、さまざまに仕掛ける姿を間近で見る機会にもなりました。
身近なジャズの現場の動きは今後も随時、取り上げますが、ここからは、ジャズ音楽をリスナーとして楽しむ人たちの思いや、アマチュアとして長い間、演奏活動を続けている人たちの世界に触れてみたい。そのために少々、手前みそですが、アマチュアとしてジャズ音楽に長い間、かかわりを持ってきた筆者自身の体験を軸に報告します。連載の構成をあらためて検討するに際して、とりあえず自問自答してみたリストは以下の通り。ジャズに関心のあるみなさんにも、参考になる質問が含まれているかもしれません。
- なぜ、ジャズ音楽を楽しむようになったのか?
- 一見、とっつきにくい、難しいともいわれるジャズ音楽とどのように付き合ってきたのか?
- メロディ楽器を60過ぎてから始めた結果、どんな風景が広がったのか?
- 音楽理論、演奏技術両面で楽しくも、ややこしい問題にどう向き合ってきたのか?
- ジャズ音楽の面白さと難しさを同時に味わうような日々が70の大台を超えた身にもたらしたものは?
ジャズ音楽を習得したいという、思いだけが先行しがちなジジイでした。今にして思えばやや無鉄砲に思える、あがきにも似た行動を、あきらめずに見守ってくれた先生や先輩諸氏、アマチュアバンド活動を一緒にやってきたメンバーらに感謝しなければなりません。もちろん、コロナ禍の厳しい環境の中で、インタビューの機会をくれた身近なジャズミュージシャンのみなさんからは、とんでもなく大きなヒントをもらいました。
【ディスクメモ】M UTINY IN THE PARLOR /GENE KRUPA AND HID ORCHESTRA
代表的なスイングドラマー、ジーン・クルーパのオーケストラ。1936年から1950年までの演奏を聴くことができます。ディキシーランドスタイルのWALKING WITH THE BLUESを何度聴いたことか。スイング時代の名曲HONEYSUCKLE ROSEも。スイングジャズのビッグバンドが強弱を意識しながら丁寧に曲作りしている様子が今ならよく分かります。曲作りの中心にいるのはもちろんクルーパのドラムです。
【この連載が本になりました!】定禅寺ストリートジャズフェスティバルなど、独特のジャズ文化が花開いてきた杜の都・仙台。東京でもニューヨークでもない、「仙台のジャズ」って何?仙台の街の歴史や数多くのミュージシャンの証言を手がかりに、地域に根付く音楽文化を紐解く意欲作です!下記画像リンクから詳細をご覧下さい。
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