【連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、100人に満たない人々が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。
【土井敏秀】男鹿半島に引っ越してからの日々を、(確かに見た)ボスザルから引き継いだ視点から見ると、なかなか楽しいじゃないかと振り返れた。途中で投げ出したことを忘れる。悪くない。数多くの生の営みと出合ってきたのだなあ、とあらためて驚く。次から次へとエピソードが思い浮かぶのだ。前回の続きです。
1月下旬、ヤリイカ釣りに誘われた。針が何本もついたイカ針に塩漬けのサメ肉を巻き付け、重しと一緒に、海底まで下ろした後、しゃくりあげてはあたりを待つ。ぼわっとした重さを感じたら引き上げる。針から外す。何度か繰り返し、数も上げたのでひと息ついた。周りを見ると、同じくヤリイカ釣りをしている仲間の舟が、上下する波間に見え隠れする。波が下がると舟は、波の谷間にいる。な、なんてとこにいるんだ。腰がへばりついてしまった。誘ってくれたジサマは、平気な顔で釣りを続けている。絶対口に出せない「早く帰ろうよ」と祈る。オカに上がった途端、気分はコロリと変わった。十数匹が入ったバケツを手に、胸を張った。ばかだなあ、たった1回なのに、タバコをふかしたくなった。
4月下旬、天然ワカメ漁が始まる。朝6時の解禁。待機していた舟が一斉に漁場に向かったのは、いつごろまでだったか。今は競うことなく、思い思いの時間に出漁している。舟を失ってから、素潜りで採れるのではないか。プロの漁師が舟で行っても、箱眼鏡で海底を見ながら、前後両刃の鎌で刈るのである。天然ワカメは波消しブロックの周辺にも育っている。素人は素人らしく、草刈り鎌を手に潜り、草刈りの要領で作業すればいい。楽勝と思えた。甘かった。4月下旬である。冷たかった。唇が紫色になり、体が震えてくるまで、30分ももたなかった。採ったワカメを干すと、ほかとは色が違う。黒に近い深緑にならない。こげ茶に近い。「それは日焼けしたワカメだからだよ。水面近くは太陽に近いだろ」。漁師は深場のワカメだけを採る。
散歩中の口の減らないバサマが立ち止まって、干している私の手つきを見ている。先回りして謙遜する。「こんなんじゃあ、日が暮れますよねえ」。バサマは何枚も上手だった。「うんにゃ。夜が明ける」。笑い声で「からかいやすいトウサンだのお」と、去っていった。
潜っていると、さまざまな魚と出合う。何千、何万というイワシの大群は、私の体の手前できれいに2手に分かれ、フルスピードでよけていく。なかには、方向転換に乗れないやつもいる。ぶつかって脳震とうでも起こしたのか、くるくる回って沈んでいく。十数匹がキラキラ光って落ちていく。
素潜りではまず、水面を泳ぎながら、獲物を探す。するとどうだろう? サザエやアワビが生きている気配を、感じるのだ。空の殻が転がっていても、伝わってこない。さらに嬉しさをじっとこらえて目を見開く。「気配を感じさせてしまった」と気づいたサザエやアワビは、逃げようと、そうっと動き出したり、岩陰に隠れようとしたりするのである。そこで一気にすぃーっと潜れれば、さまになるのだが、「うわーっ、いた、いた。うぷっ、げぼっ」と興奮して、バシャバシャと喘ぎながら潜れば、サザエもアワビも、ますます危険を察知しますよねえ、岩にぴたーっと張り付いてしまった。
ふと、岩と海底の間にできた隙間に目が行く。「入り口」に、砕かれた貝の殻の小山ができている。ははーん、タコがいるな。アワビ採りの道具で、中をチクチク突いて捕獲態勢。うるさいなあ、だろうね。ちょろちょろ数本の足を出してきては、怒りを表している。いると分かれば、突くだけでなく、引っ掻き回す。大迷惑もいいところだが、こちらとしては、獲物として身柄を確保したいのだ。敵は新たな対抗手段に出た。中で墨をはき、外に煙幕を広げた。次の一瞬、その煙幕とともに飛び出す。見逃した。見事な「煙遁の術」であった。感心している場合か。タコは水を噴射した反動で、びゅんびゅん、前に進んでいく。時々、墨をはいて煙幕を張る。「やーい、ばーか、ばーか。お前のかあちゃんでべそ」と、小ばかにした表情で逃げていく。
海から上がって山に入るか。山菜はどこに生えているのか。手当たり次第と言っては何だが、春になると、地元だけでなく、男鹿半島のあちこちに入った。その結果わかった。フクジュソウ、カタクリ、イカリソウ、ニリンソウ、ヒトリシズカ……山野草が群生している。では山菜は?ワラビ、タラの芽、ウドはどこにでもある。カタクリの紫色の花畑があり、タラの芽がたくさん採れ、奥に進むと行者ニンニクが生えている沢を、勝手に「土井ノ沢」と名付けて楽しんだ。太いワラビが育つ斜面に、刃物で切りとった跡のワラビが何本もあった。先を越された格好だが、本人にあったわけでもないのに、その人を「鎌仙人」と呼んだ。切り口があるのを見ると、「仙人は、今年も元気だな」と安心した。
この集落での暮らしには、思わず、民話に仕立てたくなる出来事が起こります。1話つづってみました。(続く)
「狸寝入りの岩」
時は令和の昔、秋田県は男鹿半島、その西海岸にある小さなムラに伝わるお話です。
大雪に見舞われた令和4年(2022年)の3月、春彼岸を過ぎたその日、加茂青砂集落の港に注ぐ加茂川の上流で、だと思われます、雪解けで増水した川に、転落でもしたのでしょうか。勢いを増した川に,流され、河口の岩に漂着した、タヌキの話でございます。そのタヌキ、やっとのことで這い上がり、ひと息ついたことでしょう。ほっとしたのか、そのままうずくまってしまったようです。
さて、どこにでも、心配症の人がいるものでございますが、動物、とりわけ弱ってるとみりゃあ、いても立ってもいられなくなってしまう漁師夫婦が、このムラにはいるのでした。漂着したタヌキの第一発見者です。
その漁師さんは最初、自力でオカに上がってきてもらおう、「なんとか裏山に帰っておくれ」と祈りを込めて、板を渡しました。ところが、眠れない夜を過ごした翌朝、行ってみるとまだいるのでございます。「どこか怪我でもしているんじゃないか」と気が気でありません。大きな声で「たぬきぃ、ここ上がれよ」と呼びかけますが、うるさそうに頭を持ち上げるだけです。「たぬきぃ」と呼びかけるのも、なんだかなあではありますが、本人は必至です。飼い猫を抱いた奥さんも、「がんばれ」と泣きそうになりながら、声を掛けます。
「弱っている」と見たのでしょうか。カラスが2羽、嬉しそうにギャアギャア騒ぎながら、近寄ってきます。見上げればトンビも2羽、ゆったりと円を描いています。そして、急降下。状態を探るためか、タヌキのすぐそばを、ブインと横切りました。自然の習いと言いますか、このタヌキの運命は……非情なのも、仕方ないのかもしれません。
ここでその漁師さん、ほんと、せっかちな人でございます、長い棒を持ってきて、タヌキを突っつき始めました。渡した板に誘導しようとしているのです。もちろん、タヌキは思惑通りには動きません。突っつくのを繰り返します。すると、あぁ……
すっくと立ち上がるじゃありませんか。岩の上をうろうろし始めました。けがはないようです。さらには、そのタヌキ、なんと、なんと。海に飛び込んだのでございます。流れに逆らっても、流されていきます。あれぇ……
いやあ、たいしたものです。流されながらも、見事な「犬かき泳法」で、流れが弱いところを見つけたようです。岸壁にそって、泳いでいきます。上がれる場所を探しているのですが、岸壁です。そんなところはありません。
人間にすれば、逆に助けやすくなりました。大きなたも網は漁師の必需品です。それを使えば、案の定、ホホイノホイと、めでたし、めでたし。すくい上げることができました。
たも網に入ったタヌキは、オカに上げられました。網から外してもらえます。タヌキは、お礼のひとことを伝える余裕もなく、すたすた走り去っていきました。
それにしても、あの一昼夜ずっと、岩でうずくまっていたのは何だったのでしょうか。カラスやトンビに「弱っている」と勘違いさせた演技力は、どこで身に着けたのでしょうか。
はい、これがほんとの、「狸寝入り」でございました、とさ。
助け上げた漁師さん、満面の笑みで「命を助けた時間て、悪くねえな」と一言。すぐに、刺し網の繕いに戻りましたが、翌日からヤリイカが釣れること、釣れること。「狸寝入り」だけでなく、「狸の恩返し」も、本当にあるのかもしれない、と集落のうわさになりました。そこから、誰と言うわけではなく、河口の岩は、「狸寝入りの岩」と名付けられ、語り継がれてきたのです。
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