【連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、100人に満たない人々が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。
【土井敏秀(もの書き)】農に興味を持ち、かかわっていこうとする若い人、地方に引っ越して田舎暮らしを希望する人たちが増えている―本当だろうか。今回、男鹿半島西海岸にある加茂青砂集落の耕作放棄地を開墾する「境界なき土起こし団」代表の齊藤洋晃さん(47)は、「10年ぐらい前から感じていましたが、ここ3年ぐらいで急加速している気がします」と、その話を裏付ける。続けて分析する。「彼ら彼女らが求めているのは、農に対しての自由さとか無限の可能性ではないでしょうか」
農業に「自由」を求めて
「自由」「無限の可能性」。どちらも農業とは結び付きにくい、あまり関係がなかった言葉同士ではないか。少なくともそれは、昭和30年代に小中学生で、当時の教科書で育った人間にとっては、意外な発想だった。かつて教科書は都会と田舎の違いを、極端に描いていた。地方の暮らしは土地に縛られ、ムラ社会の古い風習にとらわれている。それに比べ都会は職業選択の自由があり、プライバシーの自由があるーと。地方の若者を都会の労働力として確保する流れに準じていた。
秋田市の秋田大学図書館には、教科書が年代別に保存してある。今読むと、差別感が露骨だなあ、と分かる。だから、仙台という地方都市で、町工場の子供として暮らしていた私が「地方にいるのは、恥ずかしいことなんだな」と劣等感を抱くのは、無理もないことだった。
今ではまるで逆に、都会が息苦しいと感じて、田舎に移り住む若者が増えているらしい。斎藤さんは「脱サラ就農」の自分自身を振り返って「農業にあこがれたのは、現状の苦しさから逃れたかったのと、未知で可能性に満ちた自然と取っ組み合いたい、と前向きに考えたことの両方」と話す。斎藤さんと一緒に開墾に当たる佐々木友哉さん(32)=秋田県藤里町=はまだ就農3年目。東京のIT企業で技術系の仕事をして約10年、「ごみごみしている都会で暮らすことに疑問を感じ」Uターンした。
会社勤めを経験したからだろうか。2人とも、講師が営農方針を立て、参加者はそれに従って作業する―仕組みが苦手だ。「参加者の農に対する思いや、こだわりたいことを聞いたうえで、進めていきたい」と斎藤さん。2人は自然農法を学んできたが、解釈の違いで自然農法のやり方に大きな違いがあることを、知っている。
例えば2人が「耕さない」「化石燃料は使わない」「自然農薬もかけない」自然農法で教えるとすれば、農業そのものが、かなり窮屈になるのではないか。参加者1人1人が意見を出し合えば時間はかかるが、斎藤さんと佐々木さんは気にかけない。「教室に参加するのは、営農についてそれぞれの思いを、抱いている人たちです。違いを知るためにも、まずみんなで話し合う必要がある。その中から、『私たちの自然農法』をうたい上げて、『みんなの畑』を耕していきたい。現実的だけれども、環境や景観、つまりは自然とのかかわり方を、大切にする農業です」(斎藤さん)
耕作放棄地は「挑戦するやりがいのある地」
斎藤さんが栽培しているのは、ニンニクとサツマイモそれぞれ1㌶、ダイコン20㌃など。ダイコンは自家製の天日干しタクワン、燻製タクワン・イブリガッコ用で、このほか、野生のクロモジを主成分としたハーブティーなどを作っている。ホームページも開設、通信販売でリピーターを増やしている。
佐々木さんは祖父から事業を引き継いだ水稲1㌶、グルテンの少ない古代穀物スペルト小麦50㌃、サツマイモ10㌃を栽培しているほか、レストランなど外食産業向けにあらゆる植物の若芽を摘んで販売する「マイクロリーフ」に取り組んでいる。
2人とも大規模農家ではない。大規模にしようとも考えていない。そこには、自然との折り合いをつける農業がないからだ。時代の規模拡大の流れに少し、抗っているのかもしれない。でなければ、耕作放棄地がほとんどの加茂青砂の里山を、挑戦するやりがいのある地、希望が広がる地とは見ないだろう。
最初の「体験教室」は9月9日に開く(8月末現在の申し込みは6人)。その「時間割」によると、午前中は「堆肥作り」の実技、刈り取ったクズやイタドリの茎や葉が材料で、そこに米ぬか、野生の酵母・白神こだま酵母を混ぜ合わせるという。捨てるものを作らない。午後には参加者の自己紹介を兼ねて、それぞれの農に対する思いを語り合う。メンバーは代表の斎藤さんが掲げる「ちっちゃくやって、いっぱいつながって、でっかい農業」と、じっくり向き合う。急ぎはしない。たとえ一部でも、耕作放棄地が畑として「復活」するのは、少なくとも3年はかかるだろう、とみている。
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