2024年10月27日は衆議院議員選挙の投開票日。TOHOKU360はNPO法人メディアージとコラボし、同団体の実施した宮城県内の各選挙区の候補者への独占インタビューをお届けしています。ノーカットの動画と記事を掲載しますので、候補者の人となりや政策を知るためにぜひご活用ください。
5区に立候補しているさかいつねはる候補(日本維新の会)のインタビュー動画と全文書き起こしです。インタビュアーは阿部優香さんです。
「気仙沼出身だから?マグロみたいに動いてないと息が詰まる」
前半は人柄を知るための質問をいくつかさせていただきたいと思います。趣味や特にストレス解消法のようなものがあれば教えてください。
散歩と入浴が趣味なんです。まあストレス解消もそこに入っていると言ってもいいんですけれども、あの、散歩と入浴をして、健康管理と脳内整理をしてます。散歩はどのくらいの距離をされるんですか。
えーと距離だと何とも言えないですけど、だいたい1日30分ぐらいをまあ目安でですね、で歩いてる間に、あの今日はどういうことがあって、反省しなきゃいけないことが、ああ、こういうことがあったなとか、まあそういうのを散歩しながら、脳みその中を整理して、で、歩いてるわけですから、健康管理にもなっていると。で、それがストレス発散にもつながったりするんで。
次に、あえて意地悪な質問をさせていただくんですけども、苦手なことや、ものがあれば教えてください。
なるほど。苦手なこと。結構アクティブなので、じっとしているのが苦手ですね。家の中で丸一日じっとしてるっていうのはね、できないんですよね。動いてないと、何だろう。私、気仙沼出身だからか、回遊魚のマグロみたいな感じで、動いてないとね、じっとしてるとね、息が詰まってくるんです。
私も同じ感じなので、すごくわかります。逆に落ち着かないですよね。
そうなんです。
子供の頃の将来の夢を教えてください。
はい。私記憶にないんですけれども、これ、両親から教えられたのは、政治家になりたいって言ったらしいんですよ。3歳の時に、総理大臣になりたいって言ったらしいんですよ。びっくりしますよね。
へえ、すごいですね。
いや、全く記憶ないんですけど。私が政治家になる時に、両親から、実は3歳の時にお前はこう言ってたんだよって教えられました。
今思うと、どういうことがきっかけで、小さい頃に総理大臣になりたかったんだろうな自分は、って思いますか?
3歳ですからね。なんでしょうね。まあ両親の背中を見て、もしかしたら3歳ぐらいで、何か潜在意識の中に、なんだろう、例えばこの皆さんがあの安心して、安全に暮らせるような世の中を作りたいって3歳の時に思ったかもしれませんしね。そんなことはないでしょうね。
ベトナムで戦争の傷跡に触れ、政治家を志すように
すごいですね。3歳から政治家になりたいって言う子供はなかなか珍しいなと思いました。そこから政治家を本当に志して、なられたということなんですけども、理由やきっかけがあれば教えてください。
私はですね、宮城県の気仙沼市出身で、気仙沼高校を卒業して、そこから18歳で東京に来ました。
上京しました。それであの芸能活動をしていた時期があってですね、それで、芸能活動をするために、当時所属していたプロダクションから派遣されて、私、21歳の時にベトナムに行ってるんですよ。で、そのベトナムで芸能活動をしている時に、まあいわゆる障害者施設とか、あとは医療施設とか、そういったところを慰問をしている時に、ベトちゃんドクちゃんという、あの枯れ葉剤の被害でまあ生まれてしまった結合双生児、それがベトちゃんドクちゃんなんですけれども、そのドクさんと知り合う機会があって、で、まあ年代も近かったことから意気投合して、そこからですね、ベトナムの、ええ、ベトナム戦争のまあ傷跡と言ってもいいんでしょうね。えーとまあ今から25年前ですけれども、当時はベトナム国内にはストリートチルドレンとか、あとあの傷痍軍人とか、街中に大勢いらっしゃったんです。で、物乞いしてる方も多くて、日本とベトナムでは全く見える景色が違ったんです。
で、そういうのを目の当たりにして、私は日本、ベトナムのみならず、そういった困っている人たちの力になりたい、助けを求めている人たちに、手を差し伸べることができたらという思いから、ええ政治家をですね、志すきっかけになりました。
日本とベトナムで全然景色が違うっていうお話をいただいたんですけども、具体的にどのようなところがすごく違うなって感じられましたか?
25年前のベトナムは、私が教科書とかで見ていたもう戦後の焼け野原みたいな、まあ都心部はそこまでではなかったんですけれども、ちょっと郊外に離れれば、もう焼け野原みたいな状態でですね、で、そこにはお花とか宝くじを子供たちが持ってですね、それをまあ観光客は少なかったんですけれども、その当時は、それを売ったりとか、あとお金を恵んでくださいとか、物乞いをしてたりとか、まあそれは先ほど申し上げた傷痍軍人とかもそうです。片足がなかったり、片腕がなかったり、そういう傷痍軍人とかが、缶詰の缶とかを置いて、それでお金を恵んでください。もうそういうような状況でした。
NPO法人の日本ベトナム障害者支援センターの理事長をされていたということで、どのような支援を具体的にされていたのか教えていただいてもよろしいでしょうか。
はい。ええ端的に申し上げますと、私とドクさんで一緒にNPO法人を立ち上げました。それは2007年です。まあ今から17年前ですね。で、あの具体にはですね、ベトナムの恵まれない子供たち、例えばエイズに罹患してしまった子供達、あとは、先程申し上げたベトナムの枯葉剤の被害に遭った子供達の施設を、毎年訪問させていただいて、例えばそこで必要な運営費とか、治療にかかる費用だとか、そういったものを毎年寄付をさせていただいたり、あとあの、グエン・ドクさんを日本にお招きして講演会を開いて、日本人の皆さんに今のベトナムの障害者の現状とかを皆さんにドクさんから語っていただく、そういったアテンド、そのような活動を主にしております。
宮城県議としての主な実績は「障害者の就労工賃上昇の取り組み」
では次に政治と政策のお話をお伺いしたいなと思います。まずは政治家っていうのは有権者からして、政治のこと何かやってるのかなっていう想像しかちょっとできなくて、具体的にどういうことをやっていってたのか聞きたいんですけど。これまで県議会議員を3期で12年ですね、務めてらっしゃって、具体的にはどのような仕事をされていたかっていうのが、思い出のあるエピソードとか、すごく大変だったなっていう仕事があれば教えてほしいです。
私も県議会議員を3期12年務めさせていただきましたけど、あのまずはですね、東日本大震災が2011年に発生しました。私もあの被災をしたんですけれども、気仙沼市でですね、まずは震災からの復旧復興というのが私の命題でした。そして、そこに今度は新型コロナウイルスの感染拡大がありましたので、とにかく私の12年というのは震災からの復興とコロナ対策、大きく言えばこの2つでした。
で、その中でですけれども、まあ何て言うんでしょうね、実績というのも私はおこがましいですけれども、まあ先程阿部さんが障害者支援にご興味あるとおっしゃっていたので、今から数年前にですね、ええ、財団法人日本財団という、日本でも非常に有名な財団があるんですけれども、ええ、そこに協力をしてもらってですね。
A型とかB型の就労支援事業とかってわかりますか、国会の国立図書館にたくさん蔵書ってあるんですよ。要するにまあいろんな本あるんですけれども、それをデジタル化する、そういう業務をB型とかA型の就労支援の事業者の皆さんに仕事を割り振って、障害者の工賃を上げましょうと。それを宮城県とタッグを組んで、連携協定を結んで一緒に進めましょうと、そういう事業の橋渡しを私、させていただきました。これ、全国で初めて宮城県が取り組むことになったんです。今まで、B型の就労支援事業の皆さんというのは、大体平均月額ですよ、1万5000円から2万円ぐらいしかお給料もらえなかったんですよ。
私、これをあの、もう今から20年ぐらい前からですね、何とかこれを改善できないかという取り組みをずっとさせてもらってまして、で、政治家になって、であるならと、ライフワークで続けていたNPO法人でもまあそういう取り組みをしてきたんですけど、なかなか簡単には進まなかったので。
それで、まあせっかく議員という立場になったので、日本財団さんにお願いに行って、で、私、村井知事にもお願いに行って、両者直談判をしてですね、それであの橋渡しをさせてもらって、全国で初の取り組みを行うことができて、まああの、どのぐらいじゃあ工賃上がったのかと、聞いたんですよ、私。そしたら、この事業を始めたら1か月で10万円ぐらい、もらえるようになったということで、本当であればもっともっとですね、あの工賃上げて、皆さんにお給料支払えるような環境づくりが大事だと思うんですけれども、まあまずは第1歩として、そういう橋渡しをできて良かったかなというふうに思っています。
B型の賃金はやっぱりすごく低いので、上げていく取り組みをされていたということで、もっと広まって、みんなが賃金が上がればいいなと思いました。
ありがとうございます。がんばります。
野望は国連の機能強化を進め「世界平和」
次に、政治家としてのさかいさんの野望と成し遂げたいことがあれば教えてください。
野望ですか?ええ、世界を平和にしたいです。平和とは具体的にどういうことから始めていきたいなと思いますか。はい、まずはですね、日本の外交力を強化しなければいけないというふうに思っております。ええ、まあ皆さんご存じの通りで、ロシアによるウクライナ侵攻も、もう2年も3年も時間経てもなかなかですね、解決しません。
そういう中で、国連の機能強化というものを進めなければいけないというふうに思っております。常任理事国、そして非常任理事国の数を今より増やしてですね、まあいわゆる戦争をしたい国と言ったら語弊あるかもしれませんけど、進めるような国をですね、多くの国々で、要するに常任理事国、非常任理事国増やすことによって、数でそれに対する包囲網を作って、それで出来る限り戦争をしないような、そういう世の中にしていかなきゃいけない。そのための私は国連の機能強化っていうものを進めなければいけない、というふうに思っております。
裏金問題「政治家自身が襟を正す」必要
次に、政治資金に関する法律の改定もございました。今後の政治資金というもののあり方について、さかいさんはどう思っているか教えてください。
まあ、おそらくそれはいわゆる裏金問題の件なのかなというふうに思いますけれども、あ、ちなみに私は裏金はもらってませんので。これはですね、まずは、裏金というのは、これは脱税だというふうな意識を政治家本人が持たなければいけないと思うんですよ。この裏金問題が発覚したのは、たしか3月ぐらい、春頃だったと思うんですよ。皆さんがですよ、国民の皆さんが確定申告等をされて、ちゃんと税金を国に納めている、そういう時期にですね。政治家が脱税をしていると、いうことが報道されたわけです。
国民の皆様の怒りはごもっともだと私は思います。一番は、政治家自身がそういう意識を持って法令遵守を心がける。そうでなければ国民の皆さんに対してですね、何を言っても嘘に聞こえちゃいますよ。具体に申し上げれば、まあ例えば旧文通費のインターネット公開をしたり、じゃあ政策活動費っていうものをまあ廃止したりだとか、まあいろいろあるとは思うんですけれども、まずは政治家自身のですね、しっかり襟を正す、国民の皆さんに対して嘘をつかない、脱税をしないということが重要だと思います。
「困っている人がいたら黙って手を差し伸べる世の中に」
ありがとうございます。では次で最後になります。政治への関心が低かったりとか、期待が持てないという人もいます。そういった有権者の方に向けてメッセージをお願いします。
はい。先程も申し上げましたが、私の政治家としてのゴールは世界平和です。困っている人がいたら黙って手を差し伸べる。助けを求めている人がいたら、みなが力になりたい、そういう風に思える、そんな世の中を皆さんと共に、一緒に作っていきたい、そう思っております。共に新時代へ、皆さんと共に頑張っていきたい。そう思っております。本日はありがとうございます。
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