【連載】新聞記者から社労士へ。定年ドタバタ10年記
「貴君の大学採用の件、極めて困難な状況になりました」。新聞社を60歳で定年退職したら、当てにしていた再就職が白紙に。猛勉強の末に社会保険労務士資格を取得して開業してからの10年間で見えた社会の風景や苦悩を、元河北新報論説委員長の佐々木恒美さんが綴ります。(毎週水曜日更新)
マニュアルにない生の相談
事務、労務、営業などの経験がない者は、実務経験を積むことで自信がつき、顧客からも信頼されます。60歳を過ぎては、資格を有していてもどこも雇ってくれるところはなく、自身としても、もう一度会社勤めに戻るつもりはありませんでした。
「仕事を覚えたい」。そうして、お世話になったのが、労働基準監督署や年金事務所です。募集に手を挙げ、面接などを通じて採用され、仙台労働基準監督署に労働基準相談員などとして6か月、その後年金事務所に窓口相談員として5か月勤務致しました。
朝8時過ぎに出勤し、夕方まで8時間。現場を持っている部署は忙しく、労基署で労災事故などが起こると、職員がこぞって作業服に着替え出ていきます。ある時、チームで残ったのは私1人になり、署長が「相談が混んで来たら言って。お手伝いするから」。
テキストではお目にかかれない現実に起きている生の相談。法に照らしてどうアドバイスしていくか。困ったときは、隣席の親子ほども齢の離れた労働基準監督官に教えを乞い、来客に対応したものです。
前面に出て応対するのは準職員
年金事務所では、嫌な経験もしました。当時の窓口相談は、1日100人ほどが訪れ、相談の内容によって、担当の係に案内するのですが、老齢年金請求などの簡単な手続きも窓口でしなければならず、てきぱきとこなさないとすぐ行列ができてしまいます。あまり長い時間待たせると、中には怒り出す人もいます。
1週1回の勤務で、前回対応に戸惑った点や対処方法を手帳にメモっておりましたが、マニュアル通りに行かないことが起きます。融通を利かせたつもりで処理すると、一緒に仕事をする準職員から注意が飛んで来ます。
「この前教えた通りなぜやらないの」
「印鑑を押してもらう欄が違うでしょう」
応対についても言われます。
「朝来たら、真っ先にカーテンを開けて。閉まっていて、暗いのが気にならないのかな」
「人を指差すのは失礼にあたるから、しないで」
役所は行政改革の影響もあって人員が減らされており、前面に出ているのは、期間を決めて採用されている準職員やアルバイト職員。正職員は奥にいて、電話対応や書類記載・点検などで忙しく、何か問題が起きたときだけ窓口に出て参ります。普段は準職員やわれわれのような者を指導・監督する役割を担っているようです。
本来は、何でも答えられる熟達した職員が窓口に立つべきなのに、と思いました。問題を抱えて来訪する相談者に直に接してスピーディーに、間違いなく事務を処理することが、公的機関に求められていますから。
一緒に仕事をした準職員は、私ののみ込みが遅く、要領を得ないお客さまへの接し方に業を煮やしたのでしょう。年配だからと労わってくれたり、経験が乏しいからと免じてくれたりはしません。仕事ですから仕方がないのですが、当方としては、「そこまで言うか」と頭に血が上りかけたこともありました。
クレームか相談か2、3時間も
その準職員の処遇は決して良いとは言えません。「いろいろな所で働いて来ましたが、時給は最も低いし、賞与は支給されません。研修を受け、相談のスキルは身に着いているのに」と、ぽつりと漏らす別の準職員女性。来客対応という最前線で頑張っているのに。
年金の仕事はお金に関することなので間違いは許されず、神経を遣います。相談に来るのは高齢者が多く、丁寧で分かりやすい説明が求められます。端からクレーマーと見られる人もいて、相談なのか、クレームなのか2、3時間に及ぶケースも見られます。仕事の質、量に比して低い時給で働く準職員。ストレスがたまり続けているのでしょう。現場で厄介な仕事をしている人ほど、処遇が見合っていないと感じざるを得ません。正規、非正規のあまりにも大きな格差を感じた次第です。
【連載】新聞記者から社労士へ。定年ドタバタ10年記
第1章 生活者との出会いの中で
1. 再就職が駄目になり、悄然としました
2. DVD頼りに、40年ぶり2回目の自宅浪人をしました
3. 見事に皮算用は外れ、顧客開拓に苦戦しました
4. 世間の風は冷たいと感じました
5. 現場の処遇、改善したいですね
6. お金の交渉は最も苦手な分野でした
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