- 2022年1月21日
【加茂青砂の設計図】二番目の船「真漁丸」佐藤真成さんの物語②身の丈に合った宝物
「あん時は、涙が止まんなかった」。30年もの間、海での漁をともにした「真漁丸」が、コンテナ専用車でハマを離れていく。昨年11月のことだった。廃船したばかりのころ、真成さんは係留していた岸壁に行っては、寂しい思いを味わう日々が続いた。「朝マ、ハマさ行ぐ […]
「あん時は、涙が止まんなかった」。30年もの間、海での漁をともにした「真漁丸」が、コンテナ専用車でハマを離れていく。昨年11月のことだった。廃船したばかりのころ、真成さんは係留していた岸壁に行っては、寂しい思いを味わう日々が続いた。「朝マ、ハマさ行ぐ […]
佐藤真成さんは、学校を卒業して以降の「漁師人生」を時代順に振り返った後、気になる言葉を口にした。「生きていく、それだけで精いっぱいだった。よく生きてこられたと思う。辛い思いさせたしな」。話が途切れた。サザエ網を同じリズムで繕う手を、休めようとはしない […]
【土井敏秀】北洋での仕事はいずれも、半年ぐらいの操業だった。それ以外は地元に戻り、早春のサスラマス釣り、冬のハタハタ漁、ヤリイカ釣りなどで稼いだ。24歳で結婚、子供2人には教育費がかかる、父親が購入した土地に家を建てなければならない。休む暇はなかった […]
「いつも眠かった。時間なんか関係ねえんだ、夜中の1時、2時にたたき起こされ、暗い中、母船から川崎船に乗り移る。10人分の飯が入った箱型のおひつ、みそ汁が入った鍋、それにたくわん1本も、10人でたった1本な、を渡されてな。漁場につくまで、立ったままで飯 […]
一番目の船「幸勝丸」大友幸雄さんの物語①(昭和11年3月6日生まれ) 【土井敏秀】秋田県・男鹿半島に引っ越して来て、最初に「ど真ん中の剛速球」で、声がけしてくれたのが「幸雄さん」である。1998年(平成10年)4月、加茂青砂集落の春の例大祭の懇親会の […]
【土井敏秀】秋田県・男鹿半島西海岸にある加茂青砂集落にも、雪の季節がやってきた。日本海は遠くに望む水平線さえ時化で、デコボコにうねっている。そのうねりは、繰り返し波を起こしては、白色をぶちまける。雪が覆い重なるように叩きつける。この「白い海」はほんの […]
【土井敏秀】公文書であれ、その公文書を解読した本であれ、それを基盤にした小説であっても、先人たちが著した「歴史もの」に触れていると、確信めいたものが流れ込んできた。 「書く者同士には、時空を超えた信頼関係って、ありなのかもしれない」 ちょっと大げさか […]
【土井敏秀】元慶の乱を伝える「日本三代実録」は、日本の古代史を著した6つの公文書「六国史(りっこくし)」の6番目の書である。858年(天安2年)から887年(仁和3年)までの清和、陽成、光孝の3人の天皇の時代を記録している。 いやあ参ったなあ、だって […]
【土井敏秀】蜂起から約半年後の878年(元慶2年)8月、住民側は降伏した。朝廷が正式に、乱の終息を公にしたのは、さらに10か月後の翌元慶3年6月だった。 「終息」に向け中心となって動いたのは、乱勃発時の出羽国司ではなく、新たに任命された出羽権守(ごん […]
【土井敏秀】蜂起した878年(元慶2年)3月15日の前日、14日。 「炎立つ」など、蝦夷4部作を著した作家高橋克彦は、小説「水壁~アテルイを継ぐ男」の中で、主人公らに翌日の戦いに臨む心境を、こう語らせている。 「何十年とただ堪え忍んできた蝦夷が、よう […]