【ウクライナ人ジャーナリスト特別寄稿】ウクライナ侵攻からきょう8カ月「勝利の日までの長い冬」

2月24日、ロシア軍がウクライナに侵攻してからきょうで8カ月。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、ウクライナ軍の反撃で劣勢に立たされた前線になおも兵士を送ろうと、国内に部分動員令を発し、ウクライナの街々をミサイルで攻撃し、厳しい冬を前に戦争の終わりはいまだ遠い。開戦以来、 ウクライナ人の視点と率直な思いを TOHOKU360に投稿してくれているジャーリスト、アンドリー・バルタシェフさん(米ニューヨーク市在住)は現状をどう見ているのか。新たなリポートを紹介したい。 

奪い返した町々に残された集団埋葬地 

アンドリー・バルタシェフ/ウクライナ人ジャーナリスト(米ニューヨーク在住)(原文英語、訳・寺島英弥) ウクライナとロシアの戦争での最近の出来事は、私たちウクライナ人が常に確信していたことを、ついに全世界に信じせしめるに至った。ウクライナは戦いに勝つことができる、いや、明らかに勝つだろう、と。東部地方での一連の鮮やかな勝利は、最前線をロシアとの国境まで押し上げ、何千平方キロものウクライナの領土を解放している。そこには、地域の半分あるいは大半が破壊された町や村があり、占領下で辛抱強くウクライナ軍を待ち続けた住民たちがいた。 

旧ソ連からのウクライナの独立記念日を祝い、祖国を応援しようと、米ニューヨーク市のセントラルパークで掲げられた「世界一大きなウクライナ国旗」。振り向いている男性がバルタシェフさん=8月25日

解放された地域では、この戦争の不気味な現実も明らかになった。ロシア軍の手による住民たちの大量殺害だ。ハルキウ州の小さな美しい町、イジューム。そこの絵のような風景の森を(ハルキウ市生まれの)私は何度も訪ねたことがある。しかし、解放後に見つかったのは、女性や子どもを含め500人以上もの集団埋葬地だった(その中に兵士の遺体はわずか)。遺体の最も多くは、侵略者を歓迎しなかった地元の住民である。思い起こしてほしいのは、そうした集団埋葬地がいまなお、ロシア軍から解放されたほぼ全てのウクライナ領で掘り起こされている。 

その事実は、いまウクライナで起きていることを理解するために認める必要のある、とても重要な一点に私たちを導く。この戦争は、二つの政府同士の紛争ではない。領土や天然資源をめぐる戦争でもない。ウクライナという国を消滅させようという試みであり、ウクライナ人という民族を野蛮にも大量殺害しようとする企てだ、と。 

まだはるかに遠い、戦争の「終わり」 

戦場でのウクライナ軍の進撃は、全軍の士気を大いに高めたが、それはあまりに時期尚早ということも分かった。 

10月10日、ロシアはウクライナの多くの都市を攻撃した。空軍機や一斉発射システムのミサイル、ドローン爆弾を用いて。犠牲になった市民には、またも女性たち、子どもたちが含まれた。欧米の支援国は最新兵器をウクライナに提供し、ロシアを弱らせようと経済制裁を重ねている。しかし、ウラジーミル・プーチン大統領はいまも旧ソ連時代のロケット兵器を数多く有し、ウクライナの隅々をテロ攻撃にさらすために使おうとしている。 

その残忍な攻撃の後、世界の各国はウクライナに最先端の防空システムを提供すると約束してくれた(ただ、それがロシアの侵攻の初期段階に行われていたら、とも思う)。しかし、ここで私たちの思いは新たな重要な一点に近づく。それは、この戦争の「終わり」がはるかに遠いということ。旧式ながら効果の大きいミサイルやロケット兵器を数多く抱え、ウクライナ人たちを爆撃するプーチン大統領に、攻撃をストップさせるものはなく、戦争をやめさせる人間もいない。それが現実だからだ。 

プーチン大統領がやろうとしていることは明らか。ウクライナの街々を空爆しながら、いわゆる重要インフラの水道施設や発電所、市民生活を支える卸業者の倉庫群などを狙った攻撃を続けるつもりだ。その目的とは、迫りくる長く厳しい冬をウクライナ人たちに耐えがたいものとし、―彼がその座にいる間に―何を置いても平和を求めさせ、弱くなった相手と来春の雪解け後の地上戦でまみえること。だが、そうはさせないことが文明社会全体の責任であると思う。 

ウクライナ人は今日、かつてなく強くなった。同時に、世界からの支援もかつてないほど切に必要としている。先日、イランがロシアに地対地ミサイルを供給することで合意したと明らかになった、というニュースも流れた。傍観している時ではない。

プーチン体制への抗議なきロシア国民 

ウクライナを物理的に破壊しようとする一方、クレムリン(注・プーチン政権)の「メディア戦争」も依然として活発だ。その戦略の一つは、プーチン大統領が始めた、いわゆる「特別軍事作戦」がロシアの一般国民とは無関係であり、彼らは何も知らず、それゆえいかなる責任もない、と国民にも世界に信じさせたかったことだ。 

しかし、それはウソだ。9月21日、プーチン大統領がいわゆる「部分的動員令」を国内で発動した時、何十万人ものロシア人男性が国外へ脱出した。それは、戦争に反対だったからではなく、死にたくなかったからだ。彼らは「自由世界」の国々に逃れ、腰を下ろし、今もじっと息を潜めている。プーチン体制に抗議を試みることもなく。 

なぜ、そうなのか? 答えは至って簡単だ。彼らは体制の犠牲者ではなく、共犯者だったからだ。ある程度までは、体制の作り手でさえあった。なぜなら彼らは、自らの国の権力者がこの20年間、ロシア憲法を破壊し、反体制の政治家や独立系ジャーナリストたちを消していくのをただ目撃してきただけだーボリス・ネムツォフ(政治家)やアンナ・ポリトコフスカヤ(ジャーナリスト)らの黒幕不明の暗殺事件をー。 

それを、彼らは止めようともしなかった。ただプーチン大統領が唱えた「ロシアの偉大さ」や西側世界への敵意を、消費してきたにすぎない―その生活はといえば、家庭で水道水を使える人口が国民の半数以下というのに―。この戦争に大いに寄与してきたとも言える彼らを、プーチン体制からの政治難民と扱うことに、世界はくれぐれも慎重になるべきだろう。 

最後にもう一度、私は繰り返したい。この戦争は単にウクライナとロシア、二国間のものではない。それは進歩と反動との、民主主義とテロとの、人権と野蛮な暴力との、善と悪との間の戦争―といっても過言ではないと思う。私たちが善の側にいるのなら、いつも最後に善は勝つものだ。 

アンドリー・バルタシェフ(Andriy Bartashev) 

2004年、市民の民主主義運動「オレンジ革命」を現場取材するバルタシェフさん。ウクライナ・キーウの大統領府前

1974年生まれ、ウクライナ・ハルキウ出身。同国で、Kharkiv Radio“Simon”、media-group “Objectiv”、“Region”Broadcasting Company、“1+1 Media TSN”のリポーター、エディター。渡米し、現在フリージャーナリスト、“Domivka Ukrainian Diaspora Radio”(ニューヨークのウクライナ語放送局)ボランティア・エディター。 

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