【写真と詩の連載】大きいもの、小さいもの。9

車の運転をするようになって、どれくらいの時間が経ったのだろう。いろんな街に出かけて行ったこともあるけれど、ぼくが運転するのはほとんどがこの仙台だ。免許を取る時は、自分に運転なんてできるだろうか、車なんて高価なものが自分の手に入ることがあるのだろうか、そんなことを思ったりもしたけれど、免許を取ってからは、いつも自分の暮らしには車があったし、運転しない日というのはほとんどない。

ぼくは自分でも信じられないくらい方向音痴で、違う街のイベントに出演するときは必ずと言っていいほど会場まで迷ってしまうし、ショッピングモールに行けば、いつもウロウロして出られなくなってしまう。子どもの頃、母とスーパーに買い物に行くと、いつの間にか母を見失ってしまい、とても不安になったのを覚えている。

そんなぼくだけど、車に乗ってあてもなく、いろんなところを行ったり来たりするのが好きだ。車に乗っている時はいろんなことを考えたり、頭の中を整理したりして、気持ちを落ち着けることができる。spotifyに入って、iPhone で音楽を聴くようになってから、音楽を聴くという状況がとても変わったけれど、やっぱり、車の中で音楽を聴くのはとてもいい。
 

自分の好きな道というのがあって、いや、好きなルートと言うべきかな。大体はそのどれかのルートを走っているのだけれど、その日その日で、なんとなく街を行ったり来たりしていることが自分にとって大切な時間なんだと思うことがある。

新しい車は当たり前だけどナビが付いている。だけど、どこに行くのかわからない、そんなドライブをしている方が自分は好きなのかもしれない。あっちが山で、こっちが海で、あっちの夕暮れがきれいで、こっちの人混みが多い商店街も良くて、あっちはやったらくねくねしている坂で、こっちは月に近づけるような坂で・・・そんなナビとかには書いていない、自分の地図がある。
 

好きな夕暮れ。好きな雨。季節によっては好きな時間も変わる。そんなことが微妙に地図を書き換えていく。時には誰かが一緒で会話をするのもいいし、コンビニのコーヒーがあれば、それでいい時もある。

あっ、話が逸れるけれど、コンビニのコーヒーってドライブの感覚を変えたと思いません? 100円でコーヒーが買える。缶コーヒーではなく、紙パックのコーヒーでもなく、甘くないコーヒーが買える。これはとても画期的なことだと、もちろんいろんなところで言われてきたと思うけれど、車でずっと走っているとこれはさらに重要なことに思えてくる。みなさんはどうでしょう?

ちなみに一応付け足しておくと、ぼくは車の車種や性能に関しては、全く何もわかっていなくて、そういう意味ではほんとに車が好きかというと違うような気もする。だけど、車という部屋というか、1人になれる時間というか、誰かとこっそり会うための密室感というか、そういうものにずっと惹かれてきたような気がする。
 

昨年の夏、今までにない経験をした。それは仙台市議選で、ある候補者の手伝いをすることになり、人生初、選挙カーの運転をするという経験だ。その候補の方は、あまり人が入っていかないような小さい路地や、他の候補の方が行かないような小さな町内などを回ると決めていて、誰かが出てきたり、呼び止められたりしたときに話が出来るように、「とても遅い速度で走ってね」と言われていた。ぼくは指示通りとても遅い速度で小さい道を行ったり来たりした。もう何年もこの街のいろんな道を走ってきたけれど、昨年の夏に走った道は、ぼくが今まで走ったことのない道であり、また選挙カーと言う特殊な状況もあったと思うけれど、今まで見てきた景色、今まで感じてきたこととは全く違うものがあった。それはなんていうか、その町、その道、そこに住んでいる人たちの暮らしが見えてくる感じがあって、何とも言えない不思議な感覚だった。当たり前のことなんだけど、どこにでも人は住んでいて、そこには暮らしがあって、人のつながりがあって、人のつながりが途絶えたところもあって、仕事があって、それぞれの色がある。それを感じるのは立ち止まって話をしたりすることもあったからだけど、やはりあの遅い速度で何度も同じ道を繰り返し走ったからではないかと思う。選挙カーっていうのは交通規則も独自のものがあり、周りに迷惑をかけてしまうのではないかと言うくらい遅い速度で走ってもその時は許されるのである。(本当は迷惑に思っている人もたくさんいると思うけれど)
 

今も日々いろんな道を行ったり来たりしているけれど、当然あのスピードで走ることもないし、そこには自分の時間があるだけで、誰かの暮らし、ぼくの知らない誰かの暮らしを感じることはない。だけど、ちょっとスピードを落とせば、見えてくるもの、感じてくるものがある。それを感じたくて、ブレーキを踏む時と、感じたくなくて、アクセルを踏む時がある。

詩:武田こうじ
写真:日本デザイナー芸術学院写真映像科
pic1 by 松田奈々
pic2 by 菅野海音
pic3 by 菅野海音
pic4 by 菊池春那

【写真と詩の連載】日本デザイナー芸術学院写真映像科 × 武田こうじ
「大きいもの、小さいもの。」
ウェブメディアのTOHOKU360において、クリエイティブな発信ができないかと考えた時、日常の欠片を写真と詩で表現したいと思いました。内容連載タイトルを「大きいもの、小さいもの。」としたのは、日常の欠片、感情の欠片を表現する時、はじまりは小さいことでも、表現するという行為によってかけがえのないものになっている可能性があると考えました。それをウェブでの連載で紡いでいくことで、読者が自分にとっての日常の欠片や感情の断片、この町の一コマが大きいものなのか、小さいものなのか、投げかけていけたらと思ったのです。