2017年からの新連載「アジアの街角〜陸奥の風」は、TOHOKU360」と、アジア各地からニュースを届けるニュースサイト「シンガポール経済新聞」及び「ムンバイ経済新聞」、シンガポール唯一の日本語週刊誌「週刊SingaLife」の4媒体が国際ニュースネットワークを築き、お互いの地域の現地ニュースを毎月交換し合う取り組みです(詳細)。今回は「シンガポール経済新聞」からの寄稿で、アジアをフィールドに国際的に活躍している東北人をご紹介します。
【シンガポールの東北人を訪ねて】鶴岡出身の大型輸送船コンサル・横山賢来さん
私達の生活に欠かせない石炭、石油、穀物、これらを運ぶ大型輸送船のコンサルを行うのは、横山賢来さん。貨物を船に乗せ、安全にトラブルなく輸送できるよう、総合的に流れを確認する役目を担う横山さんは、この業界に携わること10年以上。船舶のスペシャリストとしてシンガポールで活躍する横山さんに話を聞いた。【インタビュー・文/シンガポール経済新聞 秦野理恵】
ーーご自身の東北地方での経験や印象は
両親の実家が山形県鶴岡市だったので、祖父母や親戚に会いに度々帰省していました。私自身は中学3年~高校3年までの4年間住んでいましたが、山形の魅力は、何といっても食べ物や水が美味しいこと。お米も野菜も採れたての新鮮なものを得られるし、山からの湧き水も新鮮でおいしい。正に地産地消ですね。
実家や親戚はほとんど農家なので、未だに農作物の物々交換が行われているのも印象深いです(笑)。冬になれば、実家の周りも普通に2、3メートルは雪が積もっていましたし、周りは山と川と田んぼだらけなので、とにかく大自然としか言いようがありません。とはいえ、車があれば不便もないですし、とてもいいところです。
映画『おくりびと』の舞台が山形県の鶴岡市なので、見て頂けると雰囲気がよくわかると思います。
ーーシンガポールでビジネスを始めたきっかけは
海外生活がとても長かったので、英語を話すことが当たり前だった私ですが、(日本で)社会人として働き始めた頃はあまり英語力が重要視されない風潮が強く、英語を活かせる仕事を探すのにかなり苦労しました。今でこそ社内英語公用語化や英語力を重視する企業が出てきたり、ネットも大分普及してきたので探しやすくなりましたが、当時はほぼ皆無。
そんな中、たまたま船舶・海運という“英語が必須の業界”に辿り着いたのは本当に運がよかったと思います。シンガポールへもその流れの延長で導かれたといっても過言ではありません。ニッチな業種なのでよく周りからは珍しがられますが(笑) 幼少期の米国生活が影響しているかどうかはわかりませんが、元々海外で働いてみたいという想いも強かったので、もしかしたら必然的だったのかもしれませんね。
ーー実際に当地で仕事をしてみて
海外で働くということは、自分のこれまでの常識が一切通じない生活をするということでもあります。毎日がカルチャーショックの連続と言っても言い過ぎではありません。でも、少しずつ自分の感覚と調和させていくと、だんだん楽になっていき、むしろ違いを楽しめるようになってきます。そうなると、海外で暮らしていても、ストレスなくハッピーな毎日が送れます(笑)海外生活における「楽」と「楽しい」の差はそこかもしれませんね。
ただ、その中でも強く実感したのは、日本という国がどれだけすばらしくて、日本人がどれだけ潜在能力がある人種かということ。それも海外に住んでいるから実感できたことだと思います。
ーー読者へのメッセージをお願いします
日本だけにずっといると、自分たちの置かれている立場や状況が見えにくいんですよね。外の世界から日本を見て気付くことが多々あり、そういった意味では、毎日が刺激的と言えるかもしれません。(シンガポール)現地の人からすると、私たち日本人も外国人なので、そういった環境が今まで見えなかったものを気付かせてくれたのではないでしょうか。
もし今の日本人に足りないものがあるとすれば、海外経験ではないかと思います。年齢に関係なく、海外で活躍されている日本人をたくさん見てきましたが、共通して思うのは、皆さん日本が大好きなんですよね。それは、きっと日本人として生まれたことに誇りを持っているからだと思いますが、それも、すべて外に出て気付いたことだったり、芽生えてきた気持ちなのではないかと感じます。
留学や仕事などの長期的な話ではなく、短い旅行でも良いと思います。短期間でも、外に出て客観的に日本を眺めることで、東北を含めた日本の素晴らしいところを実感しながら、今を生きてほしいと切に願います。
*横山賢来さんプロフィール
1980年生まれ。山形県鶴岡市出身。幼稚園から中学までを米国はイリノイ州の首都シカゴで過ごす。東京で個人事業や経営、サラリーマン等を経験後、2016年より渡星。現在はシンガポールを中心に船舶・海運業に従事。