Netflix問題と映画の未来/第70回カンヌ映画祭報告(1)

【齋藤敦子(映画評論家・字幕翻訳家)=フランス・カンヌ】5月17日の夜、アルノー・デプレシャンの『イスマイルの亡霊』の上映から第70回カンヌ国際映画祭が開幕しました。初日の最大行事はオープニング・セレモニーとオープニング作品の上映で、今年はアルノー・デプレシャンの『イスマイルの亡霊』ですが、その前に、審査員全員が顔を会わせる記者会見が開かれます。いつもは好きな映画とか、映画体験などを話して和やかに終わるのですが、今年の審査員長ペドロ・アルモドバルが、スペインの記者からの質問に答える形で“Netflix(ネットフリックス)問題”についての声明を読み上げ、ちょっと騒然となりました。

Netflix問題とは何か?

 Netflix問題とは何か?これまでの経過を簡単に説明しましょう。Netflix社はDVDのレンタルやネット配信(映像ストリーミング配信)を行う米国の会社です。2015年秋に日本にも参入しています。今年のカンヌで映画祭では、コンペティション部門にNetflix製作の2作品(ポン・ジュノの『オクジャ』とノア・バームバックの『ザ・マイヤロヴィッツ・ストーリーズ』)が選ばれたのですが、ラインアップ発表後、フランスの映画興行団体から異議申し立てがありました。

 フランスには映画はまず映画館で公開し、3年間はストリーミング・サービスを行わないという法律があり、これまでNetflix社は独立系の映画館で限定公開することでこの法律を逃れてきたのですが、映画祭のコンペで上映される作品がフランス全国で公開されないのはおかしい、というわけです。映画祭はNetflix社と交渉したものの、物別れに終わり、その結果“コンペの作品はすべてフランスの映画館で上映されねばならない”という新ルールが設けられ、来年から適用することになりました。

「映画館で見られない映画に、どんな賞もやりたくない」

審査員記者会見のペドロ・アルモドバル​監督(撮影:齋藤敦子)

 一方、6月に配信を予定している『オクジャ』のフランスの配給会社とNetflix社は、フランス国立映画センター(CNC)に限定的な映画館での公開を許可するよう求めましたが、“今の法律の下では無理”と却下されました。こうして『オクジャ』がフランスの映画館で上映される可能性が消え、Netflixに加入していない映画ファンが『オクジャ』をスクリーンで見られる機会が一切なくなってしまったのです。

 映画監督の他に、製作・配給も手がけ、スペイン映画界を牽引してきたアルモドバルが、映画館側に立つのは当然で、「個人的には、映画館で見られない映画にパルム・ドールはおろか、どんな賞もやりたくない。映画はまず大きなスクリーンで見られるべきだ」と発言したのは当然だと私は思います。

映画界を襲うデジタル改革の波

会場入口。今年のポスターはクラウディア・カルディナーレ(撮影:齋藤敦子)

 では、今回の騒動でNetflixのような新しい媒体が作った作品が永久に閉め出されたのかといえば、それは間違い。CNCが“今の法律の下では”という含みを持たせていることからもわかりますし、おりから、若いマクロン新大統領の閣僚の中に“デジタル担当”という大臣がいるのを見て、その日は意外に近いと感じました。

 デジタルという新しいテクノロジーは映画界を根底から変えてきました。今では映画撮影も映画館での上映もすべてデジタル化され、セルロイドのフィルムは消滅、皮肉なことに映画祭(フィルムフェスティバル)という言葉に痕跡が残っているくらいです。そんなデジタル改革の波が今、映画の配給形態に襲いかかっているというのが今回のNetflix問題の真相で、その根はとても深いのです。

【齋藤敦子】映画評論家・字幕翻訳家。カンヌ、ベネチア、ベルリンなど国際映画祭を取材し続ける一方、東京、山形の映画祭もフォローしてきた。フランス映画社宣伝部で仕事をした後、1990年にフリーに。G・ノエ、グリーナウェイの諸作品を字幕翻訳。労働者や経済的に恵まれない人々への温かな視線が特徴の、ケン・ローチ監督の「麦の穂をゆらす風」なども手掛ける。「ピアノ・レッスン」(新潮文庫)、「奇跡の海」(幻冬舎文庫)、「パリ快楽都市の誘惑」(清流出版)などの翻訳書もある。