【2025年福島・浜通りの旅】東日本大震災、東京電力福島第一原発事故から14年となる3月11日を前に、福島の被災地の今を訪ね歩いた。浜通り地方にはどんな変化や新しい営みや魅力の場が生まれ、そこで人々はどんな思いを紡いでいるのか、シリーズで報告したい。2回目は南相馬市小高から。
2011年3月11日に起きた東京電力福島第一原発事故の後、原発から20キロ圏(旧警戒区域)にあった小高は、1万2千人余りの全住民が避難を強いられ、解除になったのが5年後。伝統行事・相馬野馬追ゆかりの旧城下で古い商いの町だった小高は「住民ゼロ」から再出発し、居住者は現在も3400人ほど。家々が解体された更地、空き家が目立つ現地で訪ねたのは、「ここで新しい街づくりを一緒にやりたい」と若い移住者たちが開いた酒蔵。その味も新鮮だった。(文・写真:寺島英弥、ローカルジャーナリスト)
このシリーズは、福島の真の魅力を発見する「福島コモンズ」という取材ツアーへの参加をきっかけに独自取材を加えた。イメージでない現実の福島の新しい変化や人の息吹を知ろう~との「福島学」を提唱する社会学者、開沼博さん(40)=東京大情報学環准教授、いわき市出身=が1月に企画。浜通りを巡る3日間のバスの旅に、東京を中心に多様なメディアに携わる取材者、発信者たちが参加した。
更地の中の民家にできた醸造所
「福島コモンズ」のツアーで小高を訪ねたのは、シリーズ1回目で紹介した相馬市の海釣り体験と同じ1月12日の夕方だった。それまで筆者が取材した小高は、東日災の津波で海岸部の集落は失われされ、駅前からの中心街は大地震で倒れ、傾き、朽ちかけた店が連なり、住宅地にも人影のない、幻のような街になっていた。それから久しぶり再訪だったこの日、取り壊された家々の跡を縫って歩いた先に、<haccoba craft sake brewery>と横文字が壁に浮かんだ新しい民家があった。
「haccoba」という名の醸造所だ。空き民家を改装し、縁側の部分に広いウッドデッキを設け、お祭りもできる広場になるそうだ。玄関を入ると、障子戸から柔らかな光があふれる。和室だった空間をおしゃれに生かした「パブ」のスペースと、大きなガラスで仕切られた醸造の施設がある。「私が女将です」と案内役をした佐藤みずきさん(48)は、夫で代表の佐藤太亮(たいすけ)さん(32)と二人で2021年2月にhaccobaを創業し、1年後に酒造りを始めた。自身はブランドディレクターを務める。
東北の伝統製法をレシピの原点に
日本酒の醸造設備のあるhaccobaで造るのは、クラフトビール(個性豊かな地ビール)のような「クラフトサケ」。日本酒の原料の米(地元・南相馬産の『天のつぶ』)と米麹(こうじ)に加えて、ハーブやフルーツ、山に入って採った在来の植物など、多彩な副原料を効かすという。佐藤さんは主力商品である「はなうたホップス」を手に取り、「発酵の過程でホップを加えています。そのレシピの原点は、東北に古くから伝わる『どぶろく』なんです」と語った。
在来種のホップである「カラハナソウ(唐花草)」の煮汁を加える「花酛(はなもと)」という伝統製法で、「もともと家庭で楽しまれてきた発酵文化を現代風にアレンジしてあります」。酒造りには3基の発酵醸造タンクを用い、できた醪(もろみ)は昔ながらに袋を槽(ふね)に積み上げ酒を搾る。
「猪口酒 (しょこらっしゅ)」という酒では他業種とコラボし、米とカカオ豆の外皮(東京・蔵前のダンデライオン・チョコレート)、山椒七味(長野の八幡屋礒五郎)を発酵させる。「カカオが薬のように飲まれたマヤのショラトルをイメージし、甘さとフルーティーさと切れを楽しめます」
日本酒の製造免許は新規参入を厳しく制限しているが、クラフトサケの発想は自由で無限だ。haccobaは、ヒバなどの香り、バーボン樽と蜂蜜、山椒レモネードの粕など、異分野のブランドや酒造業者、名店とのコラボに挑戦し、多彩な酒を届ける。「昔は家庭ごとに違う『どぶろく』の味があったように、自由な酒の文化を多くの人に体験してほしい、伝えたい」。それが、みずきさんの仕事だ。
福島の今、そして小高につながって
佐藤さん夫婦は移住者。太亮さんは埼玉、みずきさんはいわき市の出身で、東京のIT企業で出会った。太亮さんの長年の夢の酒造りをしようと話し合い、19年の春、小高への移住を決意した。機縁は小高生まれの起業支援者、和田智行さん(48)との出会い。「人口がゼロなった街で、地域の抱える100の課題を解決する100のビジネスを創出する」と人材を募り、移住・起業支援の場「小高ワーカーズベース」(現OWB株式会社)を設立。50人以上の移住者、帰還者とその家族らを小高に迎え、多くの事業を実現させた(OWBのサイトより)。和田さんを知り、話をしての共感が二人を後押ししたという。
haccobaは今、代表を含め社員が9人、隣の浪江町とJR小高駅舎にも醸造所を設け、ファンと販売を全国に広げる。小高駅舎の発酵所は現役の無人駅を利用した全国初の施設で、小高土産となる品々の販売売スペースもあり、話題とにぎわいの場を生んだ。みずきさんはこう語る。
「私は震災当時、東京にいて、いわきの家族を思い続けました。東京はすぐ日常に戻って、今も被災地に日常に思い馳せることは難しい。でもここでは、新しい街づくりに参加しようと移住したり、帰ってきたりした仲間と、福島はポジティブに、アップデートしているさなか。私たちのお酒を飲んで『おいしい』と知ってもらい、福島の今、そして小高につながってもらえたら。それが、復興にの一歩になれば」
*ウェブサイト<haccoba -Craft Sake Brewery-|ハッコウバ クラフトサケブルワリー>
小高という土地からしか生まれぬ酒を
「haccoba」から歩いて数分の木造の家に、愛嬌あるタヌキが描かれた「ぷくぷく醸造」の看板があった。こちらも新しいクラフトサケの醸造所だ。「ぷくぷく」とは発酵の泡からの命名という。
代表の立川哲之さん(31)も東京生まれの移住者。haccobaの創業から2年間、醸造責任者を務めた後で独立した。最初は「ファントムブリュワリー」(自前の施設を持たない間借り醸造)の酒造りをした後、昨年9月末に念願の施設を立ち上げた。元は美容室という築80年の空き家を改装し、立ち飲みスペースを金土日の夕方、地域の人たちに開放して交流する。
醸造区画にはビール造りの設備を入れて、「花酛」の技法なども駆使し、クラフトビールと日本の酒の融合を目指している。筑波大学環境生命学群で学んだ立川さんの酒造りの原点追求の姿勢はすごい。
「地元の米を7軒の契約農家から仕入れ、学んだ最新の知見を入れながら、室町時代からある木桶仕込み発酵をしています」。その木桶の作り手を地元で探すことから始まり、中通りの川俣町で全国でも希少な桶屋を営む鴫原廣さんに発酵用の木桶を作ってもらった。「小高という土地、この蔵からしか生まれない酒」を表現するために、外界からの酵母、乳酸菌を持ち込まない「全量無添加」という厳しい挑戦のためだ。
感化を受けた人が小高区の農家、根本洸一さん。地元でいち早く有機栽培米に取り組み、原発事故の後も避難先から通って田んぼを再生し、明治の酒米「雄町」の栽培も東北で初めて成功させた。豊かな土に微生物は養われ、豊かな田んぼに良い米は実り、良い酒もそこから生まれる。「作り手が戻らず、耕作放棄田になり、太陽光パネルで埋まった田んぼも多い。本来の豊かな米作りの景色を取り戻したい。私の酒造りが目指すものでもあるんです」
津波被災地・閖上の蔵元で杜氏修業
東日本大震災が起こり、役に立ちたい思いで大学入学後の12年から津波被災地の陸前高田、大船渡、気仙沼、女川、名取市閖上、いわきなどに通い、ボランティア活動を重ねた。「震災の風化」が進むのも感じ、立川さんは大学の仲間たちに呼び掛けて14年3月、被災地の農業、水産、酒の生産者と市民が交流する「食と酒の東北祭り」をつくば市内で催した(その後も9回まで継続)。大盛況となった祭りの出品者だった閖上の「佐々木酒造」と交流が生まれ、自身の酒造りへの情熱も生まれた。
就職した東京の会社を1年半で退職し、まだ仮設の醸造所だった佐々木酒造で杜氏の修業を3年間させてもらった。日本中の地酒の蔵元も六百余り巡って研究と縁づくりを重ねながら、「自分で酒蔵を造るなら福島の浜通りで」という思いを深めた。「そんなころ、友人から『haccoba』の立ち上げ前の佐藤さん夫婦を紹介してもらい、それが小高との出会いでした」。
追求する「文化の境界を溶かす」酒への挑戦
「ぷくぷく醸造」の満を持してのファーストプロダクトは、「ホップどぶろく The First from Odaka」と、地元だけの限定商品「#ODAKA 酵母無添加 木桶どぶろく」(写真)。
前者は「花酛」が生きた「濃いのに淡い甘酸っぱいお酒」、後者は「雄町」を原料に「お米の甘さや懐かしさも感じる味わい」が魅力。縁を培ってきた各地の酒店に出荷されると、ひと月足らずで完売状態となり、「追加分を鋭意製造中」。新作の酒もすでに仕込んでいるという。
「『境界線を溶かす』酒を造りをしたい」と立川さんは語る。「微生物の米を溶かす力が日本の酒作りの肝。日本酒とクラフトビールという異文化の境界線も、人と人の壁も溶かすような酒を。そんな挑戦を続けたい」
*ウェブサイト< ぷくぷく醸造(@pukupukubrewing) / X ぷくぷく醸造(@pukupukubrewing) • Instagram>
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