【衆院選宮城2024】高橋こうじ候補(1区・維新)独占インタビュー動画と全文書き起こし

2024年10月27日投開票の衆議院議員選挙まで、一週間を切りました。TOHOKU360はNPO法人メディアージとコラボし、同団体の実施した宮城県内の各選挙区の候補者への独占インタビューをお届けしています。ノーカットの動画と記事を掲載しますので、候補者の人となりや政策を知るためにぜひご活用ください。

1区に立候補している高橋こうじ候補(日本維新の会)のインタビュー動画と全文書き起こしです。インタビュアーは大学生の福田京太さんです。

「キングダム」で出馬への熱を高める

前半で高橋さんの人柄を掘り下げるための質問をさせていただきます。まずはじめに、高橋さんの趣味ですとかストレス解消法のようなものがあれば教えてください。

趣味はですね、読書と、事務所ではあんまり言うなと言われているんですが、旅行と書道が好きなんですね。読書もですね、どちらかというと歴史にまつわる本とか、そういうのが好きで、漫画も見るのが好きで、マイブームはキングダムなんです。今日は後ろにキングダム風な旗も置かせていただいているんですけれども。

それでストレス解消法ということで、やっぱり年なんですかね、体が疲れることが結構多くて、そういう時は甘いものを食べてストレスを発散しています。特にアイスクリーム、チョコレートパフェとかが好きですね。

キングダムがお好きという話ですが、キングダムで好きなキャラクターとかいたら教えてください。

軍師、河了貂とかも好きなんですけれども、やっぱり信なんですよね。今年の映画もお盆の時に夜の一番遅い時間の上映に観てきたんですけれども、昨年映画化された時に観に行ったちょうど時期がですね、日本維新の会で公募に応募をして。自分がこちらで宮城1区で選手になれるのかな、なれないのかなって思っているような時期に映画を観に行きまして。昨年は大平原で本当に何10万人という兵隊さんたちがこう向き合って、一番端からこの山を越えてですね、一番端の将軍のところに向かって信たちが突っ込んでいく。

最後、本当にたくさんの兵隊で行ったんだけれども、最後は本当に4人か5人ぐらいになってしまって。で、最後信が相手の将軍の首を取るっていう、そういうことが映画化されていて、それを見ててですね、「これが私のやらなきゃいけない仕事なんだな」ってね。この宮城に仙台に来るその理由はこれだ、と思ったんです。

やっぱり大都市の大阪や東京とかが変わっても日本と変わらないんです。東北が変わって初めて動き出すって思ってまして、やっぱりこの信のように、その艱難辛苦を乗り越えて、それで成果を上げる。それが私の仕事だな。これによって日本を大きく変えていくことができる。その一歩を自分で成し遂げていきたいなっていう。映画を観て、やっぱり自分とこう照らし合せながら一人で感動したりしていました。

次は少しちょっと意地悪な質問をさせていただくのですが、苦手なもの、苦手なことがあれば教えてください。

苦手なものって食べ物で言うとですね、ちょっと酸っぱいものが…甘いもの大好きなんですけど、酸っぱいものがちょっと苦手なんですね。果物でも酸っぱいのとかですね。そういうのがちょっと苦手ですね。苦手なこと…意外とですね、ガンガンガンガン文句言われるのが苦手なんですね。胆力はある方なんですけれども、もうちょっと言い方あるんじゃないかなぁとか色々考えながらね、早く逃げたいなといつも思ってます。

議員さんの仕事だと厳しいことを言われることも多いと思いますが、どうやって乗り切った?

議員としていろいろ議論を交わすという時には、やっぱり相手の相手の考えていることも、やっぱりそれは変えさせることもできないですし、あなたはそういう風に思っているので、私はこういう風に思ってますという。そこで共通点が見いだせれば、何かこう打開策もあるかなっていう風なやり方をずっとしてきましたね。

10歳のころ「世界の平和のために活動したい」と志す

次にですね、高橋さんの幼少期の将来の夢を教えてください。

私の家はですね、建設会社をやっていまして、生まれてすぐに1回目の東京オリンピックがありました。東京オリンピックの関連事業、道路の拡幅ですとか、そういうことをやっていましたんで、人が足らなかったんですね。それで、福島ですとか青森とか、そういうところからみんな「出稼ぎ」といいまして、田植えが終わるとみんな建設会社に手伝いに来てくれるっていう、そういう方たちにお世話になって、建設業をやっていました。結構長い期間ずっとこちらの方に来ますので、おじいちゃんとかおばあちゃんも一緒に来るんですね。

そうすると私は鎌倉なんですけれども、鎌倉にいる時に亡くなることが結構あったんです。小さい頃、昨日、一昨日まで元気だったおじいちゃん、おばあちゃんが急に亡くなって、そして何かお葬式に行って火葬場に行って、何か焼かれてしまうとかって、とても4歳、5歳の子供にとってはショッキングで、人間ってどこから来て、どこに行っちゃうのかなって、ものすごい思ったんですよ。で、何とかこの生涯をかけて、このことを解き明かしたいなってずっと思っていました。

ところが、ある時にノストラダムスの大予言というのにぶち当たりまして、1999年で、2000年を迎えられないと。1999年で人類が滅亡するという、そういう予言なんですけれども。私がちょうど36歳になる。ちょっと36歳までに人間がどこから来てどこに行くのかっていうのを解明するのは難しいかなってなんとなく自分で思いまして、じゃあその時にこの天変地異で人類が滅亡するのは仕方ないけれども、何かその頃っていうのは、冷戦ってアメリカと当時はソ連と言いましたけれども、今のロシアですね。

それがもういつ戦争を起こしてもおかしくないぐらいすごい緊張感があって、第3次世界大戦が起こるんじゃないか。そうするとまた原子力爆弾が使われるんじゃないか。そんなことをやったら、もう地球がめちゃくちゃになって、それこそ人類滅亡するな。天変地異であるなら仕方がないけれども、人が何かしでかして人類が滅亡するなんていうことは絶対あってはいけないなと、そういうふうに思っていたんです。

とにかく将来世代の人間はどこから来てどこに行くのかという解明は任せようと。でも、その将来世代がちゃんと生きていけるように、人類を滅亡させないために活動していきたいなって、そうすごく思った。それが大体10歳ぐらいなんです。じゃあ、世界の平和のために活動するにはどうしたらいいのかな、世界の共通語を学んだ方がいいなと思いまして。

英語なのかな?でもやっぱり今、世界宗教で一番人口が多いのがキリスト教ですから、キリスト教の勉強しなきゃいけないかなとか、いろんなこと考えたんですけれども、でもやっぱり同じテーブルで平和について話ができるというのは、やっぱり政治だなと思ったんですね。そこで、20歳の時に世界平和に貢献できる政治家になりたいとすごく思ったんです。

10歳の頃から政治家になりたいと思っていたということで、僕が現在大学生なんですが、政治家になるために大学生の頃にはどういったことをしていたんですか?

本来であればね、政治家を志すのであれば、大学の時に法学部に入った方が絶対有利だと思うんですよ。でもやっぱり大学に行くお金を親に出していただかなきゃいけないので、親が建設会社をやっているということで、ちょっとそこのところは日和ってしまって、大学は土木科に行ったんですね。

で、土木科に行きましたけれども。指導してくれた先生が大変ユニークな先生で、ゴミ処理工学、日本のゴミ処理学会の会長さんが指導教授で、この先生にいろんなことを学びたいなと思って、大学時代は特に政治家になろうとか、そういうことは考えずに過ごしてました。

ただ、私、バレーボールを大学の時やってまして、あまり上手じゃなかったので、1年生の時から本部の方に行ってこいと。私が本部にいたおかげで、1年間の部費が5万円上がったんですね。20万円で売られてしまって、すごい安いなと。でも4年生の時には運動部全体の会長をやらせていただいて、ちょうど運動部の本部ができて30年という節目の年の会長さんだったので、大きなイベントをやったりとか、その時にいろいろ人の上に立って動いていくっていうようなことを実体験として経験をしましたね。

それで研究室もとても厳しい研究室で、ほとんど毎日泊まり、徹夜で研究室に泊まり込みで卒業研究を作っていまして、12月の24日に提出が終わってあーほっとしたーと思ったら、何か片目が、左目が見にくいんですよ。25日に目医者さんに行きましたら、これはもう緑内障で、左目はもう治りませんよと。また左目だけ今悪いけれども、必ず眼は繋がっているから、右目も緑内障になりますよって言われまして。

本当はその時には既に大学院に行くことが決まっていたんですけれども、闘病生活がそれから2年間ありまして、大学院も行けず、就職もできずに親の会社の手伝いをしながら、手術の繰り返しで、なんか片目も見えなくなったけれども、自分の将来もお先真っ暗みたいな感じで、何か世界平和のためにいろいろ頑張っていきたいなと思っていたような思いもその時は何か持てるような状況ではなかったですね。

緑内障と2年ぐらい戦ってもう結婚もできないんじゃないかなと思っていたんですけれども、ご縁がありまして、26歳の時に結婚して子供もできて。まだまだ政治家を目指そうみたいなところは全くないけれども、でもずっと10歳の頃から、心の中のどこかに必ずっていう、そういうものを持っていました

で、29歳の時にですね、同じ町内に住んでいる市会議員さんが引退をされることで、自分の後やってみないかって声をかけていただいて、世界平和のためにやりたいと思いながら。市会議員というのはあまりにも乖離がありすぎるなとは思ったんですけれども、でもやっぱり政治の世界の入り口として門をたたくのもいいんじゃないかと思いまして、29歳の時にやろうと決意をして、30歳になって1週間ぐらいで選挙を迎えて、初当選をさせていただいて、30歳から28年間市会議員をやってきました。

鎌倉市議会議員としての成果は「行財政改革」

ここからは少しずつ政治ですとか政策に関する質問をさせていただきます。政治家の普段の仕事というものは、なかなか想像がつかないものが多いと思います。髙橋さんはこれまで神奈川県鎌倉市の市議会議員として長年活動されてきたということで、市議会議員としての仕事の内容ですとか特に力を入れてきたこと、その成果などを教えてください。

鎌倉はですね、かつて世界で一番高い退職金を出すって言われていた時がありまして、私もまだ子どもの頃でしたけれども、雑誌なんかに出ていたのは部長さんで、8,000万円ぐらい。普通にお掃除をしたりする、庁舎内を掃除したりするような方々でも6,000万ぐらいというような時期があったんです。それをやっぱり問題だということで市民運動が起こりまして、行革市長というのが誕生して、その市長さんが出た最後の頃に私が議員になりまして、やっぱり市民からお預かりした税金というのが1円たりとも無駄にできない。

やっぱり常識的な範囲の中で支出をしていかないといけない。そういう思いから、やっぱり中心は行革ですね。行財政改革っていうのをかなりやりましたね。成果としては、私一人だけの手柄ではないんですけれども、皆さんそう思ったからこそできたことで、例えば職員だったのが350人ぐらい減らしました。お給料もかなり減らしまして、一番減った方はですね、1年間に200万円減ったという方がいましたね。

そういうのも市長さんとタッグを組めたからできたことで、まあその分やっぱり職員の方からは恨まれましたね。でもやっぱり市民の皆さんに負託を受けてやる仕事っていうのは、誰に恨まれようともしっかりとやっていくっていうことがいい仕事だっていう使命感を持ってましたので、へっちゃらでやってました。

統治機構改革と小さな政府が維新のビジョン

高橋さんの政治家としてのその野望ですとか、今後成し遂げたいことがあれば教えてください。
ちょっと野望より無謀みたいな感じもあるんですけれども、でも日本の国をですね、こういうふうにしていきたいなということはありまして。やっぱり10歳の頃に志したように、日本っていうのはやっぱり世界の平和に貢献しなければいけない国だと私は思っているんですね。

本当にこの日本人の歴史的使命とか、そういうことというのは重要だなと。いろんな要素があるんですけれども、日本語っていうのはですね、自然の音を組み合わせて作った言葉なんですね。自然発生論というジャンルの言葉で。あるお医者さんがですね、いろんな音が世界百何十か国の人たちに聞かせて、右脳で処理するか、左脳で処理するかっていう実験を行ったんです。そしたら自然の音を左脳で処理していたのは日本人だけだったんです。

極論すると、自然と対話ができるのは日本人だけなんです。自然というのは大調和ですから。自然というのは自然そのままに大調和の世界なので、弱肉強食とかあるけれども、調和の世界、例えば戦争とか紛争とかね。世界中でも80か所も90カ所もやってるわけですよ。で、何かこう、本当にこう違いがあると、例えば核戦争が始まっているとかっていうようなことになっていくと大変なことになる。ですから、やっぱりそういう戦争や紛争の間に入って平和的解決を促していったりとかっていうのが、私は日本や日本人の歴史的使命だと思っているんですね。

そういうふうにやっていかなきゃいけないんですけれども、今の日本の政治体制ではそういうふうな活躍ができないんですね。ですから、まず日本を根本的に変えないといけない。それが私が日本維新の会に入った一番大きな理由なんですね。将来ビジョンをちゃんと政策に掲げているっていうのは、正直いろんな公約を私見ましたけれども、日本維新の会と共産党ぐらいですかね。

まあそういう中で日本維新の会は、統治機構改革という、国がやることは、国が、地方がやることは地方が。明確に分けましょうと。地方は生活に密着した医療や福祉や介護、それから教育、食料問題、労働問題、環境問題、こういったものは地方が責任を持って、権限もお金も持って対応していきましょうと。

国はやることをぐっと小さくして、外交や防衛、それからマクロ経済や経済安全保障、安全保障というのは、その国でちゃんと生産をしていかないと困りますよと。世界流通が止まった時には何も使えなくなりますよ。だから、この品物はちゃんと国内で生産していきましょうねって言うのが経済安全保障です。あとは最近天変地異、いろんな災害が多いので、やっぱり激甚災害、大変な災害が起きた時には国がいろいろ支援をするということになってまして、激甚災害対応、こういうものにぐっと国は特化をしてやっていきましょう。そうすれば国会議員も減らすこともできますし、国の役人さんも減らすことができる。

そうやって小さな政府を目指しながら、国と地方、地方政府をちゃんと作って、地方は地方のやり方でやっていきましょうっていう、これは本当に日本の国を大きく変える革命なんですね。維新、日本維新の会の維新というのは、国体を守りながら革命をすることを維新というんですね。また改新とも言いますね。

ですから、大化の改新とか、ああいうのは国体を守りながら、国体というのは何か。天皇ですね。天皇を守りながらやる革命のことを、維新とか改新です。ですから、日本維新の会というのは、天皇を守りながら日本の国を革命する。どういうふうに革命するのかと言えば、統治機構改革で国がやることと地方がやることを明確に分けましょう、こういうことをやっていきたいというふうに思っています。

企業団体の献金を禁止し、パーティー券の販売も禁止

最近は政治資金に関する法律の改正もありましたが、今後の政治資金のあり方についてどうお考えでしょうか。
日本維新の会というのは、今の政治を抜本的に変えていこうということを最初の結党の時から考えていましたので、企業や団体からの献金を一切禁止しているんですね。先般の裏金問題なんかがありましたので、それからはパーティー券の販売を禁止しました。そうやって企業や団体と癒着をしない、しがらみを持たない、しがらみを断ち切ってですね、政治を変えていかないと、いろんな予算にぶら下がっているいろんな事業がありまして、そういうところにいろんな企業や団体がくっついているわけですね。やっぱりバサッと切っていかないと変えていけない。日本を変えられない。

ですから。日本維新の会としては、結党以来、企業団体の献金を禁止し、パーティー券の販売も禁止しましたので、まあそうやってとにかくお金かかりますけれども、35年前に自民党がしでかしたリクルート事件というのがありまして、その時からですね、政党交付金という制度ができまして、国民一人当たり250円ずつ政治の方にいただいて、それを国会議員の頭割りでそれぞれの政党に交付する。
日本維新の会は、この政党交付金と個人献金と、あと党員からいただく党費、これで成り立っている政党なんですね。ですから、全ての政党がそういうふうにできるかどうかわからないですけれども、日本維新の会は、少なくともこれまで15年間、それによって政党活動をしてきましたので、やろうと思えばできるんです。だから、皆さん自由にやっていただきたいなと。そうやってまあ一人一人納めていただいている税金で政党を運営してますから、当然税金も還元していく時には、納めた方に直接戻すという政策を最優先してやっていくというのが日本維新の会の考え方です。

「今度の選挙は皆さんの戦い」

では最後になります。最近は政治への関心が低かったり、政治に期待が持てないという人が増えていると思います。そういった有権者に向けて、高橋さんから最後にメッセージをお願いします。

皆さん、政治、諦めたら私は終わりだと思っております。世界中が今、大混乱を迎えております。そういう中で日本だけが幸せということはありません。必ず近い将来、日本にも火の粉が降ってきます。

今、皆さんが政治を諦めたら、この火の粉が降ってきた時に日本は全滅していきます。ですから、今皆さん立ち上がって、本当に税金を横流しして、また政治に還流するような利権政治を金輪際終わりにし、税金は納めた人に直接戻す市民政治を共に取り戻していこうではありませんか。一緒に戦いましょう。今度の選挙は皆さんの戦いです。

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