相次ぐ地震、失われる城下町の文化財を救え 「そうま歴史資料保存ネットワーク」の活動始まる 

寺島英弥(ローカルジャーナリスト・名取市在住)】 11年前の東日本大震災以来、大きな地震や豪雨など、災害が相次いだ相馬市。400年余りの歴史ある城下町の文化遺産はその度、暮らす人々と共に痛手を受け、多くが解体や廃棄、散逸を待つような現状だ。「失われゆく文化財を救おう」と市民有志がこのほど、ボランティア団体「そうま歴史資料保存ネットワーク」を結成。大学の専門家の支援を得ながら、存続が危うい窯場や解体が迫る商家などの調査に乗り出した。代表の鈴木龍郎さん(70)は「城下町の文化はいま伝承の危機。市民の参加と情報提供を」と呼び掛ける。

解体の運命の商家を調査

鈴木さんは、近隣にある実家も震災から相次ぐ地震で被災し、今年3月16日の震度6強(市内で記録)で半ば倒壊。相馬中村藩の歴史景観を残す家で、解体の運命となったことを機に、自ら「そうま歴史資料保存ネットワーク」結成の呼び掛け人になった。(4月11日の記事「福島県沖地震 相馬で文化財級の民家が全壊「貴重な遺産、生かしたい」参照)。この取材の縁から、相馬生まれの筆者もネットワークに参加し、既に調査が始まっている同市大町の丁子屋書店を11月上旬、鈴木さんと一緒に訪ねた。 

蔵が連なる構造の丁子屋書店=11月6日、相馬市大町

丁子屋書店は市中心部の大町通、田町通が交わる角にあり、「街の本屋さん」として親しまれてきた。店主の佐藤重義さん(69)は11代目。「丁字(ちょうじ)」は古来の生薬の名で、江戸時代の創業以来「薬をお城に納めてきた」商家だった。薬に欠かせぬ秤(はかり)、油なども幅広く商ったという。店先で広げてもらった、「文政12年(1829年)」とある古地図には、藩政期の町の目抜き通りの中心に、丁子屋が位置している。1953(昭和28)年に合資会社となり、書店に衣替えをしたという。 

ネットワークが丁子屋書店を調査先に選ぶきっかけになったのは、団体の旗揚げ前の6月、鈴木さんら有志が市民向けに催した街の文化財探訪の会。古い商家として丁子屋を訪れた際、佐藤さんが土蔵造りの内部を初めて公開。やはり地震で被災し、「市による解体作業が来年に予定されている」と明かした。調査の緊急度は高かった。 

貴重なタイムカプセル

佐藤さんによると丁子屋の建物は東西(間口)7.6㍍、南北28㍍もあり、北、中、南の三つの蔵が連なる構造だ。通りに面した北の蔵の1階は昔から店舗で、2階に上がると、がっちりと太い、長く美しい曲線を描く梁(はり)が薄明りに浮かぶ。今では見ることのできぬ豪壮な造りで、財力ある商家でなくては造れなかった蔵と分かる。 

丁字屋の蔵を支えてきた太い梁=6月8日、街歩き探訪会で

真ん中の蔵は、もともと北、南の蔵をつなぐ部分として造られ、昭和50年ごろまで居住スペースにしていたという。構造的には弱い部分だったか、地震の揺れの被害が大きく、土壁が大きく割れたり落ちたりしている。一見して危険な状態にあった。 

南の蔵は倉庫として使われ、その2階には藩政時代からのさまざま遺物が眠っていた。冠婚葬祭に用いられた什器のセット、たくさんの陶磁器、往時の主たちが楽しみで買い求めたのであろう読み物類や巻物になった掛け軸類、棚に並ぶ大きな木箱類、かつて商品だった秤、置物類…。数百年の時が積もったタイムカプセルだと感じた。 

藩政期以来の歴史の遺産が保存された丁子屋の蔵(左から鈴木さん、佐藤さん)

「ここはずっと〝開かずの間〟で、物置のようになっていた」と佐藤さん。筆者たちが街の探訪会で丁子屋書店を拝見した折、披露してくれたのは立派な「槍」だった。多くの物に数字とローマ字を組み合わせた整理番号の札が貼られている。ネットワークの活動を専門家の立場から支援する、阿部浩一福島大教授、斎藤善之東北学院大教授らの研究室の学生たちが10月下旬、南の蔵の所蔵品の事前調査に入っていた。 

「佐藤さんによると、解体時期が来年に迫っている。まず、どんな歴史的な資料があるのか、詳しく把握し、レスキューの必要がある貴重な文化財は、廃棄されたり散逸したりすることのないよう持ち主の同意を得て保管し、また保存にむけた手立てを講じる。それが、われわれネットワークが目指す活動です」と鈴木さんは語る。貴重な文化財を緊急避難的に保管する、仮の倉庫も市内で借りることができたという。 

丁子屋の蔵の遺産には多くの書画もあった

街の文化喪失を止めたい 

相馬市内では、やはり藩政時代から「藩窯」として磁器の名品を産んできた「相馬駒焼」(同市田町)が、地震の被害と後継者の不在によって廃業の瀬戸際にある(6月6日の記事『度重なる地震被害、後継者不在…伝統の「相馬駒焼」が存続の危機 福島県相馬市』参照)。ネットワークはここでも、メンバーや大学生、ボランティアが9月半ば、家族の話を聴きながら窯場の片付け支援を兼ねた事前調査を行った。 

相馬駒焼の窯場で片付け支援を兼ねて行われた事前調査=9月15日、相馬市田町

「ネットワークが発足してから、やはり調査を急ぐべき古い蔵が市内にある、などの情報が集まってきた。会員たちそれぞれの情報網もある。現在は任意団体だが、地元の相馬商工会議所(草野清貴会頭)のトップもメンバーになり、事務局を置いてくれている。この活動を広く市民に知らせ、参加してもらい、城下町の文化を守ることの意味、方策を共に考えてもらえたら。震災以降、空地が増えるばかりの街の文化の喪失を止めたい」 

ネットワークの幹事会で情報交換をするメンバー(右端が鈴木さん)=10月2日、相馬市内

鈴木さんはこう語り、築90年近い自宅のふすまの裏に貼られた古文書を取り出す、市民向けのワークショップも企画している。連携する阿部教授は「ふくしま歴史資料保存ネットワーク」の代表、斎藤教授は「宮城歴史資料保全ネットワーク」の理事長をそれぞれ務めて実績を重ねており、「市民が一緒に活動することで、文化財についての専門の知識、方法を学べるチャンスにもなる」と鈴木さん。古里の真の意味の復興にもつなげたい。  

*そうま歴史資料保存ネットワークの連絡先は事務局(相馬商工会議所内)0244-36-3172 

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