【PR記事】秋田県湯沢市。湯沢駅前から続くサンロード商店街はシャッターの下りた店がほとんどで、通りがかる人の姿もまばらだ。そんな商店街の一角に、若者が集まり、地域の未来を考える拠点となっている場所がある。2015年7月にオープンした「Cafe Lounge17」。厳しい寒さが続き大雪となった3月16日の夜も、店には若手起業家らが集まり、熱い夢を語り合っていた。
移住や起業を決意した人々が、夢を語る
「Cafe Lounge17」は、湯沢にUターンした若者が商店街の一角で開業した飲食店だ。店は街の若者が集まる場所としても機能するようになり、街の新しいイベントの企画を考えたり、ビジネスを発案したりと、街の新しい活動や新鮮なアイディアが生まれる拠点になりつつある。
この日の店では、秋田県へ移住し起業を目指す人を支援するプログラム「ドチャベン」への参加者が、湯沢市を拠点に始める予定の事業を発表するイベントが開かれた。会場には「副市長ラップ」で一躍有名になった藤井延之湯沢市副市長をはじめ、市職員や地方銀行員、市内の実業家など37人が集まり、満員の会場が地域の期待の高さを表していた。
秋田に帰るために、自ら仕事をつくる
登壇者のひとりは、湯沢市の隣町である横手市出身の菅原美里さん(36)。短大進学を機に上京して以来、都内で会社員をしていたが、「秋田が恋しくなり、帰る方法を模索していた」と2016年、「ドチャベン」の湯沢での現地プログラムに参加。ビジネスコンテストで湯沢独特の資源である「地熱」を利用したドライフルーツや乾燥野菜作りのビジネスを提案したところ、最高賞の金賞を獲得。これを機に湯沢への移住と起業を決意し、湯沢での事業の準備を進めている。
「東日本大震災が起こってから、秋田に帰りたいという思いが膨らみましたが、帰っても仕事がない、起業もできない、と思っていました」。湯沢での現地プログラムで、地熱の力で切り干し大根を作っている農家のお母さんたちに出会い、「ものを作るのが生きがい」と働く姿に深く共感し、感銘を受けたという。
「私自身も、ものを作るのが大好き。大きなビジネスを興すというより、地元の人たちと一緒にものを作っていく『小商い』が私に合っていると感じました。東京の秋田出身者には秋田に帰りたいけど仕事がない、という人も多くいると思いますが、現地で自分ができることは探せば絶対にあるはず。秋田へ帰りたい人が、自分の姿を見て『やってみよう』と思ってもらえるようになれたらいいな、と思います」
地域の「外」で暮らす人を巻き込む
もう一人の登壇者、三浦知記さん(41)は、湯沢の「外」にいる人をどう巻き込んでいけるかという対照的なアプローチで湯沢の活性化を構想する。首都圏の中高生を湯沢に誘致し、湯沢の農家で過ごしてもらう体験型の教育プログラムなどを企画中だ。
湯沢市出身で、関東圏で広告事業などを行う会社を設立した三浦さん。自身も東京でビジネスを展開する経験から、「人口が減っていく中、どうしたら湯沢を活性化できるかを考えたとき、地域外にいて湯沢に関わる『関係人口』をいかに増やすか?が最重要だと思った」と話す。三浦さんは、東京にいる湯沢出身者のコミュニティをつくる活動や、東京と地方を往復してビジネスする「二拠点ワーク」という新しい働き方を提案。湯沢の「関係人口」の増加によって、発信力の強化と経済の活性化をめざしている。
若者が肌で感じてきた危機感が、この街を動かす
会場には登壇者のほかにも、湯沢へUターンして起業を考える人の姿があった。群馬県でバーを経営する藤井裕樹さん(36)は、故郷・湯沢への出店を決め、準備を進めている。裕樹さんの弟で、東京でウェブ制作会社に務める浩樹さん(35)も、湯沢へ帰り、ウェブ制作やプログラミング教育などの事業を始めようと考えている。決意の背景には、故郷への危機感があった。
「湯沢に帰ってきたときに街の変化を見て、やばいな、と思っていたし、少しでも街を活性化させないといけない、と思いました。地方はこの先切り捨てられるかもしれない、という危機感がありましたし、湯沢全体が盛り上がらないと、ここにいる身近な人(親)が幸せになれない、と感じていたんです」(浩樹さん)
ガラス張りの店が映し出す、湯沢という街の現実
湯沢市の統計によると、市の人口は1955年にピークを迎えた(7万9727人)後、減少し続けている。2017年2月末時点には4万6968人まで減っており、ピーク時から約41%減少している。高齢化も顕著だ。高齢化率は1995年以降増加の一途をたどっており、2015年には35%を上回った。国立社会保障・人口問題研究所は、2040年に48.1%まで達すると推計している。
この街をどうにか盛り上げないといけないーー。若者たちは、その危機感を肌で感じてきた。「cafe lounge17」を開業した高橋大輔さん(31)もその一人だ。湯沢を出て、東京や大阪で働いていた高橋さん。「会社の先輩を湯沢に連れてきたとき、飲み屋を探してサンロード商店街に連れてきたら、『全然サンロードじゃないじゃん』って、笑われてしまったんです。変わってしまった街に自分自身、唖然としてしまって」。
「一つでもシャッターを開けて街を活性化したい」との思いから、湯沢へ帰り、全く経験のなかった飲食店を開業した。店の大きな特徴は、商店街側の一面のガラス張りの壁。「平日やお昼に全くお客さんが入っていないときもあるし、店内が満員で盛り上がっている夜もある。盛り上がっているところも、人が通らないこの街の厳しい現実も、すべて隠さずに見せることで、お店の前を通りがかる人に、この街のリアルな現状を感じてほしいんです」
店では4月から、昼間はコワーキングスペースとしての営業も始める。「この店には若者が自然と集まり、くだらない日常会話から街の活性化のアイディアが生まれたり、湯沢の未来を話したりする場所になった。地元の若者も、東京などの地域の外から来た人も、これからさまざまな人が立ち寄るようになることで、この場所から何かが生まれる、と思っているんです」
厳しい現実に向き合いながらも、胸が踊るような新しい事業やイベントの計画を、目を輝かせて語り合う若者の姿が、この店にはある。全国屈指のスピードで人口減と高齢化が進むこの街で、希望の種は確実に育っている。(=連載おわり)
[box]【連載:人口減少最前線・秋田県の起業家たち】人口減少が全国ワースト1位のスピードで進み、急速に少子高齢化が進む秋田県。県内のほぼ全ての市町村が「消滅可能性都市」とも指摘される秋田県へ、Uターンや移住をし、起業して地域を活性化しようとする起業家たちがいる。東北各地で起業家育成事業を展開する「一般社団法人MAKOTO」が支援する「人口減少最前線・秋田県」の起業家たちの、挑戦の現場を訪ねた。[/box]
[提供:一般社団法人MAKOTO]