【10 years after】震災から10年目で「南三陸ワイナリー」を開いた佐々木道彦さん

【安藤歩美】2011年の東日本大震災から、9年と8カ月が過ぎました。震災発生から今日まで、私たちは幾度となく「復興」という言葉を耳にしてきました。防潮堤に土地のかさ上げ、確かに沿岸部の風景はあれから見違えるように変化しましたが、まだ「復興した」と言い切れる実感はありません。では「復興」とは、何でしょうか。

震災当時静岡県浜松市に住んでいた佐々木道彦さんは、震災後に宮城県に移住。2019年からは南三陸町に移り、今年10月、志津川湾に面した水産加工場跡に「南三陸ワイナリー」をオープンしました。「被災地が本当に復興するには、新しい挑戦をしなければならない」と話す佐々木さんが描くのは、ワイナリーを通じて町がひとつになり、町内外の交流が活発になるような南三陸町の姿です。

「新しいことを始める人がいないと、本当の復興にはつながらない」

志津川湾まで約70メートルという立地にオープンした「南三陸ワイナリー」。プレハブの水産加工場を改修してつくられたワイナリーには、ワインや地元産品を販売するショップ棟、製造を行う醸造棟、そして海が一望できる2階建てのテラス棟があります。「ありがたいことに全国から注文が集まって、在庫分はほぼ完売状態です。オープンしてから、毎日のようにいらっしゃるご近所の方もいらっしゃるんですよ」

静岡県浜松市でYAMAHA社員として商品企画を担当していた佐々木さん。震災発生直後から、仕事がお休みの土日を使って岩手県大槌町や釜石市に度々足を運び、瓦礫の撤去や漁師の手伝いなどのボランティア活動を続けてきました。そこで目にしたのは、住宅が基礎部しか残っていないほど、津波で大きな被害を受けたまちの姿でした。

「これまで見たこともない光景を見たとき、このさき国や自治体による『復旧』が進んだとしても、『復興』にはすごい時間がかかるような気がしたんです。会社で商品企画を担当していたので、企業は常に新しいことをしていかないと生き残っていけない、という思いで新商品を開発していました。(被災地も)何もなくなったとき、何か新しいことを始める人がこの場所で出てこないと、本当の意味での賑わいや復興にはつながらないだろうと、勝手にですが危機感を持っていました」

佐々木さんは「三陸沿岸部で、何か新しい事業ができないか」との思いで、2014年に宮城県への移住を決意。仙台市でIT・ものづくり事業をしている会社で新規事業を担当していた際、漫画「神の雫」の原作者とワイングラスを作る企画に関わることになったのが、ワイナリーに興味を持ったきっかけだったといいます。「ワインについて詳しくなるうち、ワインの地域への密着度の強さ、人々のコミュニケーションを豊かにする可能性にすごく惹かれたんです」

仙台市の秋保ワイナリーでの修行を経て、南三陸町でワインをつくるプロジェクトがあると聞いた佐々木さんは、2019年1月に地域おこし協力隊として南三陸町へ移住します。「それまで南三陸町はあまり詳しくなかったのですが、海と山が近くてとても食材が豊か。その上、こだわりを持ち、新しいことをやろうとする生産者がたくさんいて。すごくおもしろくて、可能性のある町だと思いました。ここでならワイナリーができるかもしれない、と」

佐々木さんは町で進んでいた「南三陸ワインプロジェクト」を引き継ぎ法人化する形で、南三陸町でのブドウ栽培とワインづくり、そしてワイナリーのオープンへと漕ぎつけました。

南三陸の自然が生むワインと食材とのマリアージュ

志津川湾を抱くように三方に山のある南三陸町は、分水嶺に囲まれたまち。町に降る雨は山の土に染み込んで川を通り、志津川湾へと流れ込み、海の生き物たちはその土壌の豊富な栄養を吸収して大きく育ちます。佐々木さんはこの町独特の地形がもたらす自然の循環とそこで育まれる食材の魅力を、ワインを通して発信したいと意気込みます。

「私たちのブドウ畑は入谷地区と歌津地区田束山の2カ所にありますが、そのブドウ畑が育つ山のミネラルが海へ流れ出て、志津川湾の海産物を育てる。同じミネラルで育った海産物とワインは、絶対に合うはずです。地域の同じ資源で作られたブドウと食材を料理として楽しんでいただけたら、それは最高のマリアージュになるのではないでしょうか」

ショップではワインにあう南三陸町の食材も販売している

ワインづくりをする中で佐々木さんが最もこだわるのは、「南三陸の食材に合うワイン」にすること。ワインと南三陸町のさまざまな食材を組み合わせて提供することで、町の各地の生産者と一緒に地域を盛り上げたいといいます。戸倉地区では牡蠣漁師の協力を得て、牡蠣棚にワインを沈めて海中で発酵を促す「海中熟成」のワインづくりも始めました。

「南三陸町では震災で牡蠣棚が流された後、牡蠣棚を従来の3分の1に減らしたんです。かなり広い間隔で育てているため、一つひとつが栄養たっぷりで、大きな身の牡蠣に成長する。南三陸にはこうしてこだわりを持って食材を作っている生産者の方がたくさんいるので、その取り組みをワインを通して知ってもらいたい、というのが一番の思いです」

海中熟成させたワイン

「南三陸ワイナリー」がブドウ畑を入谷地区と歌津地区に有し、海中熟成の取り組みを戸倉地区で行い、ワイナリーを志津川地区に開く、というように町の4つの地区すべてで活動を展開しているのも、南三陸町の魅力を一体的に発信していきたいからこそ。田束山でのワイン会や志津川湾の洋上で牡蠣とワインを楽しむ会など、町の自然を舞台にしたさまざまな活動を企画しています。

「町には海産物をはじめ、豚や牛や羊の生産者など色んな生産者がいて、魅力的な食材があります。まち全体の魅力をワイナリーをきっかけに知ってもらい、体験してもらうことで、南三陸町の食をひとつのブランドとして発信していくことを目指しています」

ショップには町の大きな地図があり、さまざまな特産品が描かれている

「10年後」からが本当のスタート

ワインには、ブドウが育った土地固有の環境や特徴を表す「テロワール」という表現が用いられます。南三陸町の「テロワール」はというと、ブドウが昨年収穫されたばかりなので分かってくるのは「まだ、これから」なのだそう。「今年はある程度の数が収穫できたので、これから少しずつ特徴が出てくると思います。今のところ果汁もきれいで、糖も上がっている。入谷と田束山の2つの気候条件も違うので、この2つの土壌でどんなワインができるのか、楽しみです。余計なことをせずブドウのよさを引き出し、海産物などの食事を引き立てるようなワインに仕上げたいですね」

そして「まだ、これから」なのは、このワイナリーの取り組みも、町も、同じなのだといいます。「6年前に移住しようと思ったきっかけは、復興は短期では無理だと思ったからです。震災直後から、まちに本当に活気が戻るかどうかは、10年後からが勝負だと思っていました。実際、町には最近ようやく震災復興祈念公園が完成したくらいですから。インフラが整ってきて、ワイナリーも拠点ができて、これからがスタート。賑わいを取り戻すには、新しい取り組みを止めることなくやっていくのが大事だと思っています」

2020年10月の南三陸町

東日本大震災で高さ約20メートルの津波が押し寄せた南三陸町。町の旧中心部には、町民に対して懸命に避難を呼びかけ続けた職員が犠牲となった、旧防災対策庁舎が残っています。津波の脅威を伝える「震災遺構」として保存するか解体するかの議論に揺れる中、現在は宮城県が2031年まで「県有化する」という形で保存されています。その後どうなるかは、まだ決まっていません。

その旧防災対策庁舎が含まれる形のデザインで、今年10月に震災復興祈念公園が完成しました。公園には、平日でも町内外の人々が行き交っていました。

震災復興祈念公園の丘の上から志津川地区を見渡すと、いまだ大規模な土地のかさ上げ工事が続いているのがわかります。

震災復興祈念公園の完成とあわせ、震災で流出した「中橋」も今年10月に完成しました。南三陸さんさん商店街から震災復興祈念公園へ、歩いてすぐに渡れるようになりました。

旬の海産物がたっぷり乗った「南三陸キラキラ丼」が名物の南三陸町。さんさん商店街の飲食店の前には「はらこめし」や「キラキラ秋旨丼」などのポスターが並び、秋の味覚を楽しもうとする観光客が多く行き交っていました。

連載・10 years after】東日本大震災後、東北では震災の経験をきっかけに自分自身の生き方を見つめ直して進路を変えたり、新しい取り組みを始めたりした人が多くいらっしゃいます。そして10年目という時を経て、その思いや経験はいま、アート作品やプロジェクト、ビジネスなど多様な形で表現され、花開いてきています。震災後のこの地で何が芽生え、育ち、いま日本や世界にどんな影響を与えようとしているのか。全国に伝えたい東北の今を、東北の地から発信します。

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