【第70回ベルリン国際映画祭】『精神0』想田和弘監督インタビュー

第70回ベルリン国際映画祭で、想田和弘監督の『精神0』がカトリックとプロテスタントの審査員が選ぶエキュメニカル審査員賞を受賞しました。5月上旬よりシアター・イメージフォーラム他、全国順次ロードショー公開される本作品について、映画評論家で字幕翻訳家の齋藤敦子さんが2月24日、ベルリンで想田監督にインタビューしました。

想田和弘監督とプロデューサーの柏木規与子さん(©Asian Shadows )

――タイトルの「精神0」ですが、どのように決めたんですか。

想田:『Zero(ゼロ)』という英語のタイトルが先に決まったんです。日本語のタイトルも『Zero』でと思ったんですが、配給の東風と話していて、『精神』との関連があった方がいいということになり、誰かが『精神0』は?と言って、それがいいと。

解釈自在な「0」

――『精神』の続編といえば普通は2となるはずなのに、0だと元に戻ってしまいますよね。なぜ『0』なんですか?

想田:映画の最初に“0に身を置く”という話が出てきます。山本昌知先生が患者さんのためにしている話ですけど、おそらく山本先生がご自分のシチュエーションについてマントラ(仏教用語の真言)のように言い聞かせておられることなんじゃないかと思ったことと、0というのはプラスマイナス0で、イメージが膨らみやすいし、いろんな解釈ができる。そこで、まずは英語のタイトルを『Zero』としました。で、『精神2』というと、また精神病を抱える患者さんの話が主なテーマみたいに思われるかもしれませんが、そうではないですし、『0』をそのまま付けたら面白いかなと。

――私は、歳をとって元に戻るみたいな意味かなと思ったんですが。

想田:そういう解釈も可能ですよね。

――最初はどのシーンから撮ったんですか?

想田:講演会です。『精神』に出ておられる患者さんから、山本先生が引退するんだよ、今度講演会があるのでこの機会に撮ったらどうですかと、お誘いがあったんです。僕と規与子(本作のプロデューサーでパートナーの柏木規与子さん)はずっと山本先生のドキュメンタリーをいつか撮りたいね、と言っていたんで、今撮らないでどうする、今しかないということで撮りに行ったんです。その後、診療所と交渉して診察の様子も撮れるように許可をいただいて、という感じです。

成り行きのアクエリアス

――山本先生のお宅でお寿司をご馳走になる場面がありますが、お茶が出なくてアクエリアスになったり、お椀を探したり、割り箸を探したり。日本酒の瓶の栓がなかなか開けられないところでは、いつ想田さんが手を貸してあげるのかハラハラしました。山本先生が帰ろうとする想田さんを引き留めてからのシーンですが、あそこは成り行きなんですか?

想田:成り行きです。少なくとも1日は山本先生のお家にお邪魔して、お二人がどんな生活を送っておられるのかを撮りたいなと思ってたんです。山本先生がこの日だったらいいよということで、カメラを回しながら(家に)入っていったら、じゃあ、お茶でも、ということになって。でも、お茶の準備が出来ずにアクエリアスになってしまった(笑)。

――山本先生が日本酒を出してきたときに、「車だから」といったん断るのに、まあいいかとなって乾杯するところも、とても面白かったです。この後、どうするんだろうとは思ったんですが。

想田:運転代行を頼みました(笑)。僕がいなかったら起きえないシーンばっかりです。

対象に迫るドキュメンタリー

――遠来のお客さんに夕ご飯を食べていって欲しいという山本先生の気持ち、いつも奥様と二人だけなのに、話し相手が出来て嬉しいという気持ちが表れていて、なるほど観察映画って凄いなと思いました。

想田:ありがとうございます(笑)

――普通のドキュメンタリーだと対象との間に距離を置くのに、どんどん入っていっちゃう。

想田:『精神』を撮ったときにも、公開するときにも、映画に出てくださった患者さんとの関係にあれこれ難しい問題が生じたわけですが、そのときに山本先生が患者さんとの間に立ってサポートしてくださり、ものすごくお世話になった。以来、山本先生ご夫妻とはとても親密にさせていただいています。実は規与子の両親がデイケアセンターをやっていて、そこに芳子さんが通っているんです。例えば、朝、山本先生と芳子さんが診療所に向かうときにお迎えに来る人がいますが、あれはデイケアセンターの職員で、芳子さんを診療所に送りに来ていたのが規与子のお父さんです。そのくらい家族ぐるみでお付き合いがある。僕はカメラを持って撮影に来てるんだけど、山本先生としては“久々に一緒に飲める”みたいな感じだったのでしょう。

――山本先生としても、一人で飲んでもつまらないし、ちょうどいいところに酒の肴が来た、みたいな(笑)。

想田:ドキュメンタリーの撮影は対象を見るという行為ですが、必ず向こうからも見られている。この双方向のダイナミックな関係が、僕は撮るものと撮られるものの面白い関係だと思っています。自然に出てきた関係をそのままそっと映像として記録していく。

過去にアクセス

――想田さんの人間性が観察映画の基調になっている。それを強く感じました。それから一番驚いたのは奥様の顔がすごく変わっていたことです。中に『精神』のインサートがありますが、その頃の奥様はすごくストレスを感じていたように見えました。もちろん、しっかりとご家庭を守ってきた方ですが、『精神0』のときはストレスから解放されて、菩薩のような、いいお顔になっていた。そこにすごく感動しました。インサートって、前にもやっていましたっけ?

想田:初めてです。

――あのインサートのおかげで、『精神』と『精神0』の間の時間の流れ、深みが感じられましたね。

想田:ある意味、必要にかられてなんです。撮影していくうちに、山本先生だけじゃなくて、芳子さんが重要だ。これは山本先生だけじゃなくて、芳子さんの映画でもある。もしかしたら芳子さんが主人公かもしれない、という感じがしてきた。最初のラフカット(粗編集)を見たときに、規与子が「芳子さんのシーンが足りない、芳子さんのシーンが足りない」と言うんです。僕もそう思って、なぜ足りないのかと思ったら、僕らは芳子さんが言葉でコミュニケーションできていた時代を知っているけど、今はそれが難しくなっている。今の芳子さんの様子を写させてもらうだけだと、僕らの知ってる芳子さんを見せることが出来ない。そのときに思い出したのが、『精神』のときに映画には使わなかったけど、芳子さんを撮ったフッテージがあって、探してみたら10分くらいあったんです。芳子さんは患者さんのために毎週木曜日の休診日に家庭料理を作って振舞っていたんですが、そのときにカメラを回していた。これは使えると思って入れたんです。それによって芳子さんの過去にアクセスできるようになったと思います。

――お友達の話も面白かったですね。

想田:あれは実は山本先生からの提案だったんです。「映画に必要なシーンはだいたい撮れたと思います」と先生に報告して撮影を終えようとしたら、「もう1軒、芳子さんの親友の家にお邪魔せん?」とおっしゃるんで、「それはいいですね」と、一緒に行かせてもらったんです。撮ってみたら非常に重要なシーンになりました。

芳子さんにフェアな描写

――奥様の若い頃の姿が彷彿としてきましたね。株をやってたと聞いて、山本先生は経済面が疎そうだから、いざというときのために株を持ってらしたのかな、そこまで心配なさってたのかなと思いました(笑)。

想田:山本先生は患者さんのために尽くす、ものすごく尊敬されている医師であるわけですけど、それは先生一人ではできなかった。一番大変な部分を芳子さんが担っていた。そのことがようやく出てきて、ようやく少し芳子さんにフェアな描写が可能になった。これまでは山本先生が必ず表に出てきて、輝く存在で、芳子さんは影のように隠れていたわけですけど、実は芳子さんという存在がなければ山本先生も山本先生の仕事が出来なかった。ある意味で、日本の男尊女卑というか、男がいつもメインで、女が影で犠牲になってみたいな構造、特にあのくらいの世代ではそういう風になりがちです。それがきちっとacknowledge(承認する、感謝する)されないままで終わらずに、表に出にくい仕事をやったのは芳子さんだ、芳子さんがいて初めて山本先生のお仕事も可能だったんだということを、山本先生含め皆で確かめあうことができて僕はすごく嬉しかったんです。

――それでラストのお墓参りで、手を繋いで歩くシーンになる。

想田:撮りながら、これが最後のシーンになるなと思いました。

――これから二人はどうなるんだろうと思うと、ちょっとせつないシーンでもありますね。山本先生もお歳ですし。

想田:はい。でも、誰もが通る道です。