【東北にとっての「二・二六事件」】「記憶のノート」に導かれた旅がノンフィクションに②

東京で陸軍青年将校が起こしたクーデター未遂事件「二・二六事件」から、今年で86年。知られざる東北と二・二六事件との関係について20年以上にわたる取材を続け、昨年著書『二・二六事件 引き裂かれた刻を越えて 青年将校・対馬勝雄と妹たま』を刊行したローカルジャーナリストの寺島英弥さんがその取材を振り返ります。

考古学者のような作業

寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】「兄の全てを決して忘れず、記録しよう」という、たまさんの執念が書かせた膨大な覚書類。それを「記憶のノート」と私は名付けた。稀有な「語り部」であるたまさんの視点から、兄対馬勝雄の生涯を通して見えてくる、そして東北から見えてくる二・二六事件を掘り起こしてゆけばいい、と考えた。東日本大震災のルポを書かせてもらっていた新潮社のニュースサイト「Foresight」で、『引き裂かれた時を越えて 「二・二六事件」に殉じた兄よ』と題して連載を始めたのが、たまさんの死から2カ月後の同年8月15日。あらかじめ全体構成のシナリオを作ったわけでなく「記憶のノート」に導かれながら、それは考古学者のような作業になった。

「記憶のノート」とたまさんの聞き書きを基に、勝雄の陸軍仙台幼年学校、士官学校、満州事変(1931~33年)への出征、同志と「昭和維新」にのめり込む時期まで、彼の心境の推移を記した日記や多くの手紙を重ね合わせ、さらに大きな同時代背景から裏付けるために歴史書を漁った。日記などの一つ一つの言葉の意味、運命を動かした「事実」一つ一つを読み解き、元同志らの当事者本、戦友会記、同時代の初版本、研究論文などを集め、青年将校運動の渦を生んだ時代の感情、思想、社会を自分の中で「追体験」しようと試みた。事件の生き字引である、青年将校らの遺族会「仏心会」の人々とも、たまさんを通して出会い、疑問が生じるごとに当事者として助言をいただき、原稿の一本一本にも目を通してもらった。

波多江たまさんの最後の外出姿となった1枚=2019年4月9日、弘前市の自宅、筆者撮影

追体験に誘う者に徹して 

連載を書き始める最初の課題は、文章のあり方、誰が主人公・主語であるべきか―だった。対馬勝雄は事件首謀者ではなかったため、元同志・末松太平氏(故人)の『私の昭和史』(みすず書房)などのほかは、既出の書物でほとんど名前しか出てこない。遺品の日記や手紙、たまさんの伝承を通して初めて生涯をたどれる存在であり、彼を主語にしては「小説」になる。また、 たまさんはもう一人の主人公と言えるけれど、彼女が望んだものは、あくまで「兄の真実」を伝えることであり、そのために生き、生かされた人であった。本の題を最終的に「青年将校・対馬勝雄と妹たま」としたのも、事件によって引き裂かれた兄妹2人が主人公で、引き裂いたものの残酷さ、冷酷さを伝えられる、と思ったからだった。

もう一人、書き手である「私」の存在もあった。そもそもリアルタイムで同時代を生きた存在ではなく、「見てきたような話」は書けない。勝雄がのめり込んだ当時の思想や行動に到底、今の価値観からは共鳴できず、歴史の渦に飲み込まれてゆく勝雄を呼び止めることもできない。できるのは考古学者の作業のように事実を掘り、「現在側」の人間の一人として、疑問や驚きや憤りや哀憐を素直に表明しつつ、同じ80年後の時間を生きる読み手の目、耳となって追体験に誘う者に徹することだった。その道筋が連載の一章一章に連なった。

記録する時間は限られている

取材も東北から離れることがなかった。勝雄が生まれた青森県田舎館村、「東北を救え」という二・二六事件の蹶起の背景となる激しい小作農争議があった同県車力村、昭和の東北大凶作を知る古老がいる岩手県久慈市山形村、農村の恐慌に追い討ちとなった昭和三陸大津波の体験者に会えた大船渡市…。当事者捜しの旅からの貴重な証言も、本に記させてもらった。しかし、語り手はいずれも90代。兄を語ることに執念を燃やした、たまさんも104歳で他界した。地域から歴史を掘り起こし、当事者の「肉声」を記録するための時間は限られている。すべては日々の出会いに始まり、誰かの人生に背負われた「物語」を知ることから始まる。それゆえ、どこの地域にも「ローカルジャーナリスト」の存在理由がある。その証左の一冊となれば。(完)

【書評】たまさんとの強い信頼関係の元で取材した、ローカルジャーナリストの一冊

長谷山博之(公益財団法人仙台フィルハーモニー管弦楽団事務局事業部)】私事であるが、大変お世話になった方が昨年お亡くなり、その方のお爺様が二・二六事件を目の当たりにしていた事を数年前にお聞きして驚いた。

二・二六事件が起きたのは1936年と言えば昔と言えば昔であるが、私が生まれるほんの23年前。60を超えた私にとっては23年前の事等つい最近のような気がするので、私の父、母などは鮮烈な記憶であったのだろうと思う。

二・二六事件に関してはこれまで種々多々で取り上げられてきたので、私等が此処で今更論ずる立場ではないのだが、そもそも裁判は弁護人無しの非公開の特設軍法会議で上告も無し。なので、真実の欠片も記録に残る筈はなく、わずかに残された手記と、関わりのある人間の記憶だけが全てである。日本を揺るがした昭和の大事件ではあるが、殆ど総括されるまま、平穏を取り繕う如何にも官僚国家日本の姿とも言えなくはないと私は感じてしまう。

元外交官で数々の書を送り出した岡崎久彦が「大日本帝国を滅ぼした責任者はこの3人」と言われる、首相、外務大臣、陸相・参謀総長が揃って職に就いたのもこ事件の直後。3人も3人であるが、それを咎める人も居なかったのは、如何にも日本人の悪い意味での和の精神と言う、事なかれ主義と言えば言えなくもない、極め付きではあろう。こと起こした輩は最後までしっかりと監視すると言う『思想犯保護観察法』の成立であろう。御上の方針に従うしかない空気が確立され、この事件に関わった者は「国賊」の烙印を戦争が終わるまで押され、戦後は「軍国主義の先兵」の烙印を背負うこととなる。

勝雄が生まれた青森県田舎館村の早春風景(遠景は岩木山)=2019年4月7日、筆者撮影

この著書は青森に生まれた真面目で、勤勉だった青年対馬勝雄が軍隊に入り真摯に社会と向き合いながら激動の時代流れの中で何を思い、何を考え、二・二六事件に身を投じて行ったのかを追いかけている。軍隊に入り満州に行き匪賊と戦う中で「天皇を頂点とした国民のための軍隊」を自問する様は、妹の記憶の中で生きる、村の誇り、父の自慢、部下思いの優しい兄であるが故、鮮明である。

部下を失った満州での記憶は「天皇を頂点とした国民のための軍隊」への想いを更に加速させた心情が、この著書の行間から容易に読み取れる。事に及んだのではなく、事に及ばざるを得なかった心情は現代人には察することは無理かもしれないが、銃殺前の「何度でも生まれ変わってお国のために尽くします」との「自」がなく、家族ら「他」を思う対馬中尉は、妹にとって最後の最後まで優しい兄であったのだろう。

これまで出版されてきた二・二六事件の書籍とは明らかにベクトルが違うのは、著者が、妹の波多江たまさんと強い信頼関係の元で時間をかけ取材したと言う、正にローカルジャーナリスト故だからこその一冊であることは確かであろう。

2019年、104歳で兄の元に旅立った妹の波多江たまさんは、勝雄兄の家族(その妻の千代子さん、息子の好彦)等と共に天国から今の日本をどう見ているのだろうか。

戦争は何の予兆もなしには始まらない。もしもあの時、速やかに「二・二六事件」をしっかりと総括し対応していたら、変わっていたのではないか思うのは私だけだろうか。しっかりと総括する事のできなかった時代の出来事として片付けられない現代(いま)である。

評者
はせやま・ひろし
公益財団法人仙台フィルハーモニー管弦楽団事務局事業部

『二・二六事件 引き裂かれた刻を越えて 青年将校・対馬勝雄と妹たま』
著 者:寺島英弥
発行所:ヘウレーカ 
発行日:2021年10月12日
定 価:本体2,800円+税

これまでの連載

https://tohoku360.com/226-3/

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