写真部特別企画「9年目の被災地を撮る」仙台・荒浜地区

TOHOKU360写真部(部長=写真家・佐瀬雅行)は2019年4月13日、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた仙台市若林区の荒浜地区で、取材研修「9年目の被災地を撮る」を行い、7人が参加しました。
 震災から8年を経て、被災地に関するメディアの報道は3月の一時期を除けばかなり少なくなりました。東北に根ざして生きる私たちは、今、被災地域とどのように向き合い、伝えるべきなのか。「写真を撮る」という行為を通じて考える企画です。

撮影に先立ち、参加者は震災遺構となっている旧荒浜小学校を訪れ、地元で記憶の伝承やコミュニティの再生に取り組んできた高山智行さんにお話を伺いました。現在の荒浜は市の災害危険区域に指定され、旧荒浜小と防潮堤以外に目立つ物は無く、道の傍らに家の基礎だけが残された広大な荒れ地が広がっています。しかし、荒浜は震災前、2,000人以上が暮らしていた町です。そこには、古くから受け継がれてきた伝統や文化、そして、それぞれの素朴な生活が営まれていました。有形無形の多くのものが失われ、今なお、荒浜の入り口にあたる県道の交差点から先に進むことができないという被災者も少なくないといいます。

 津波で失われたものと残ったもの、時間の経過で変わったものと変わらないもの…。参加者は、今、被災地にレンズを向けるということの意味をあらためてとらえ直し、旧荒浜小から深沼海岸を目指して地区を歩きました。撮影にあたっては、写真家・佐瀬雅行が構図や視点などのアドバイスを行いました。

【阿部哲也さん】

海に入り釣りを楽しむ人がいた。眼の前には白い波しぶきも見える。荒浜を襲った津波は人を海から遠ざけた。あれから8年が経ち、海から離れていた人が戻りつつある。
県道荒浜原町線と県道塩釜亘理線との交差点。以前訪れた2018年12月上旬ではまだ土は盛られていなかった。開発が急速に進んでいるようだ。

【鈴木ゆかこさん】

津波に耐え抜いた鳥居と、震災後に慰霊碑として建てられた観音像。新旧のこの地を守る神仏だが、鳥居は海を向き、観音像は海に背を向けている。
「海の写真を撮ることなんて非人扱いされることだった」 県外から越してきた私はこの言葉から、仙台の人たちの海に対する思いを知ることになる。 9年目の今は、写真を撮っていても後ろ指さされることもなく、 海岸に釣り人や犬の散歩をする人たちの姿も見られた。

【吉田薫さん】

土(地面・コンクリート)がえぐられた状態のマンホール(下水管?)植物が成長しているため、初めは露出の違和感に気付きませんでした。でもこんなにえぐられるなんて…家(建築物)だけじゃなく地面もなんて…津波の力のすごさを感じました(右方向に、震災遺構・旧荒浜小学校)
家の基礎だけが残るおうちで見つけた、可愛いタイル。花柄の素敵なタイルに少しときめきました。(宝物を見つけたような、子どもの頃お母さんの口紅を見つけたときのような気持ちに)
スケボーをする少年たち。1人づつ順番こに滑りだす「シャー」「ザッ」「カキーン」転んでもまた、果敢に何度もレールにチャレンジする。その度に「カキーン」と高い金属音が鳴り、お父さんからは「お。今の惜しかったな!あと少しだな!」の声。責めるわけでも、教えるわけでもない、その見守る声に「暖かさ」「安心感」を感じました。だから彼らは何度も挑戦できるのだろうな…

【小山田陽さん】

かつての住宅の跡は草で覆われただけでなく、立派な木が枝を広げていた。奥には旧荒浜小が見える。時間の経過を感じさせる光景。
住宅街だった場所の一角に、椿が鮮やかな花を咲かせていた。人が植えなければ咲かないものだ。ここに人が暮らしていた痕跡が今も残っている。
津波に耐え抜いた鳥居と、震災後に慰霊碑として建てられた観音像。新旧のこの地を守る神仏だが、鳥居は海を向き、観音像は海に背を向けている。

【渡邊真子(TOHOKU360編集部)】

流木だろうか、元からある木だろうか。大型の動物のようにも見える不思議な形に心打たれた。奥には鎮魂の観音像が立つ。
「ヒラメが釣れるんだよ」と楽しそうに話す釣り人たち。震災から年数がたち、浜辺にも人が戻ってきていることにホッとした。

【佐々木佳(TOHOKU360編集部)】

旧荒浜小の屋上から私の暮らす仙台市太白区の方角を眺めると、右奥に見慣れた街並みが見えた。時間が経つほどにその「距離感」は遠くなっているように思える。それは他でもなく、普段の暮らしで浜に関心を払わなくなってしまった自分自身が広げている距離である。
青空の下に続く巨大防潮堤は、犬の散歩道として日常に溶け込んでいた。ここから南へ北へ、防潮堤は延々と東北の海岸を貫き、それぞれの浜で日常の一部になっているのだろうか。左手の荒波と右手の荒れ地、そして犬の散歩という平和な日常とのコントラストに、何とも言えぬ不思議な気持ちになった。