1500キロの距離を越え、女川町に「ベリーナ」がいるわけ

【福地裕明】確か昭和から平成に変わるころだったか。JR東海の広告で「距離に負けるな好奇心」というキャッチコピーが話題となった。そんなフレーズを30年ぶりに思い出させた女性がいま、宮城県女川町に暮らし、女川で働いている。

岩部莉奈(いわべ・りな)さん(24)は宮崎県都城市生まれ。福岡県の大学に在学中に、学生インターンで女川にやって来た。現在は女川町内の活動人口創出に向け、お試し移住の受け入れや創業支援などを行う特定非営利法人「アスヘノキボウ」で、広報業務などに携わっている。

宮崎と女川は約1500キロも離れている。実家に帰省するにしたって大仕事だ。べリーナは、どんな思いで女川にやって来て、いつまで女川にいるのか?―そんな「好奇心」から、話を聞いてみたいと思った。

復興の牽引役となった30〜40代の男衆の輪の中に、彼女はいつもいた。「女川さんま収獲祭」や「復幸祭」などの町内のメインイベントでは司会役を務め、昨年、オンラインで開催された「女川つながる感謝祭」でもアシスタントMCの一人として場を盛り上げた。いつしか彼女は町民から、本名をもじった「べリーナ」という愛称で呼ばれるようになり、女川のまちづくりにとって欠かせない存在になっている。

(福地裕明撮影)

「あえて遠い場所で自分を見つめ直そう」と女川を選んだ

べリーナは1996年、芋焼酎「黒霧島」のふるさと、宮崎県都城市に生まれた。高校時代はアナウンサーに憧れ放送部に所属。NHK杯全国放送コンテストに進んだ経歴を持つ。部活動のドキュメンタリーづくりを通じて、地元でがんばっている人や素敵なものの存在に気づき、「知られていないのはもったいない」と感じるようになった。そんな実体験から「地域に役立つ存在になりたい」と、地域社会のマネジメントを学ぶべく福岡県内の大学に進学した。

2017年、大学3年生の夏。べリーナは就活前の時期ではあったものの、やりたい仕事もわからないまま就活に挑むことに不安を覚え、「単位も取れるし」と学内の長期インターン制度に手を挙げる。周りが福岡県内やその周辺をインターン先を選ぶのに対して、彼女は選択肢の中から一番遠距離にある女川を選択した。

「せっかくまちづくりに関して学んできたのに、このまま普通に就活するのもちょっと違うかな、と。インターンするなら、甘えられない環境で、ひとり、考える時間が欲しかった」と、遠方の地を選んだ理由を話すベリーナ。女川はもとより、東北は知らない土地。被災地の現状などほとんど知らなかったが、自分の目で確かめたいという思いもあった。行き先が決まってしまえば、そこからの行動が早いのもベリーナの持ち味か。復興庁の「復興・創生インターン」が8月から女川で開かれるのを知るや、「1カ月早く女川に滞在できる」と女川行きを前倒した。

7カ月間となった女川でのインターン生活。受入先となった「アスヘノキボウ」では、女川町への移住体験を提供し、女川町のことを知ってもらうきっかけを作る「お試し移住プログラム」の受け入れや、地方での起業を考える人たち向けの支援事業「創業本気プログラム」の運営などをお手伝い。拠点となる「女川フューチャーセンターCamass(カマス)」の運営業務にも携わった。

「アスヘノキボウ」ではインターン生と定期的に面談し、彼らの思いを把握することに重きを置く。ベリーナの面談相手となったのは代表の小松洋介。「彼女自身、まだ何をやりたいか、どんなふうに生きたいか、固まっていないように見えた」と話す小松。せっかく女川に来たのだからと、「自分をしっかり持っている」女川の人たちと触れる機会をつくった。

さらに小松は、ベリーナの「頑張っている人を紹介したい」「地域に役立つ存在になりたい」というアナウンサー志望の動機をすくい取り、「広報も人やモノを伝える仕事だよ」と提案。東京在住の広報スタッフの下に就く形で広報業務のいろはを学ぶことになった。

2018年2月、「自分の良いところを認められるようになった」と手応えを感じるベリーナに、インターン終了の時期がきた。全国各地からやって来たインターンの学生や女川の人びとと「刺激的な」日々を過ごしてきたゆえか、3月に行われる「復幸祭」に関わりたいとそのまま滞在。ステージ部会長に直談判してイベントの司会を担当した。放送部の経験を活かし、女川の役に立つことができた。「やり切った」「4月からは本気で就活を」との思いから、女川を離れることにした。女川町長をはじめとした大勢の仲間たちが盛大な送別会を開いてくれた。

岩部莉奈さん提供

当たり前に就活することに違和感…再び女川へ。

しかし、べリーナは帰って来た。わずか2カ月で。彼女に何があったのか?

「みんなと同じように就活することに違和感があった」ようで、就活のために福岡に帰ったものの、ほとんど就活しなかった。心のどこかにモヤモヤするものがあった。ゼミの先生に相談したところ、女川への思いを断ち切れない本心を見透かされた。

「自分の中では、決めているんでしょ?自分で決めなきゃ意味ないよ」

いつしかベリーナは、人や物事を伝える「広報」に興味を覚え、さらにスキルを磨きたいという思いを募らせていた。「広報のスキルを身に付ける」「仕事以外でも地域と関わる」といった自分の「やりたいこと」を実現できる場所は女川だと感じるようになっていた。実際、就活する自分よりも、女川でわいわい語り合うイメージばかりが脳裏に浮かんでいた。

一方、ベリーナの去ったアスヘノキボウでは、ちょっとした課題を抱えていた。現地に広報スタッフがいないことで、女川の肌感覚やニュアンスを伝えきれていないと小松は感じていた。広報の仕事がやりたいベリーナと、現地広報スタッフを欲するアスヘノキボウ。こんな偶然があるのかというぐらい、互いのニーズが一致した。

ベリーナは「もう少し勉強させて欲しい」と小松に願い出て、まずは3カ月間、試用期間(アルバイト)として復帰した。さらに同年10月には在学中にもかかわらず、アスヘノキボウに晴れて正式入社。女川で業務の傍ら卒論を書き上げ、大学卒業に至った。

女川を盛り上げるためさまざまなイベントの開催に飛び回るのは男性が中心で、若い女性は少ない。にもかかわらずベリーナは臆せず、「女川の人たちは『よそ者』にも優しい」と、飲み会や様々な会合に飛び込んでは、多くの人と出会い交流を深めていった。と言いつつも、「同世代で、気兼ねなく話せる女子がいなくて、しんどい時期もあった」と振り返る。

そんなベリーナの心の支えになったのは、秋田出身で保育士のゆうちゃん。お試し移住のリピーターとして女川を再訪した際に、インターンでやって来たベリーナとルームメイトとなった。以来、お互い知らないまちで暮らす二人は、辛いことや慣れないことなど支えあってきた。シェアハウスでの共同生活を経て、今はお互いに公営住宅に一人暮らし。適度な距離感で仲良い関係を維持している。2019年には関西出身のなっちゃんが加わり、3人で気軽に女子会を開いては、美味しいご飯を食べたり、ドライブに出かけたりなどして、ストレス解消しているようだ。

岩部莉奈さん提供

女川でしか味わえなかった貴重な体験

「変わったことができることから面白い」と、女川での暮らしぶりを話すベリーナはとても楽しそうだ。

まちの人だけでなく、お試し移住や起業を視野に女川を訪れる人、すなわち、ベリーナと接する人たちが皆、「変わり者だらけ」で面白いという。彼女に言わせれば、この<変人たち>は、「自分が稼げればいいと言うわけではなく、周りのことを考えて行動している」そうで、彼らとの出会いを重ね、刺激を受け、十分すぎるほどにエネルギーをもらっている。

中でも、「女川に来なければ絶対にやっていなかった」ことが二つあるという。奇しくも両者とも女川町長が深く関わっていた。

一つは、人前で歌うこと。女川町の須田善明町長はヘビメタ好きのギタリストとしても有名だが、その町長から直々にバンドでボーカルをやらないか?と誘われた。2019年6月に町で開催された「我歴stock」で初舞台を踏み、2020年2月には、あの楽器を持たないパンクバンド「BiSH」などが所属する音楽プロダクション「WACK」と女川町の共催イベント「onagawack」において、なっちゃんとともにWACKメンバーや大勢のギャラリーの前で熱唱した。

岩部莉奈さん提供

もう一つは、選挙カーのウグイス嬢。2019年10月の女川町長選では、再選を目指す須田町長に「やらせてください!」と直訴した。聞くところによれば、須田町長もベリーナにお願いしようと思っていたらしい。残念ながら、須田氏が無投票で再選したため、ウグイス嬢役も告示日の一日限りとなったが、選挙カーに乗って有権者に呼びかける貴重な機会を味わうことができた。

もちろん、アスヘノキボウでの仕事においても、着々とスキルを身につけている。カメラ片手に女川駅前の商店街「シーパルピア女川」を駆け回る姿も板についてきた。「創業本気プログラム」参加者による最終プレゼンテーションでは、取材に訪れた記者たちへの対応をそつなく行っている。また、実際に起業した「プログラム卒業生」を取材した記事も執筆している。

取材中の岩部さん(福地裕明撮影)

アスヘノキボウが2015年度から取り組んできた「お試し移住プログラム」の体験者は2019年度までに累計で500名を超えた。しかし、2020年度はコロナウイルス感染拡大防止の観点からお試し移住の受け入れを中断せざるを得なかった。

「中長期のスパンで女川に滞在してもらって、女川を好きになってもらえる機会が失われたのは残念」とベリーナ。その一方で、自分自身のような(定住する)人が増えることについては、「無理して定住する必要はない」と話す。

「もちろん、女川の雰囲気にフィットする人であれば(定住は)ウエルカムです。要は、それぞれの距離感で女川に関わって欲しい」と。さらに、少し考えてから、「住み始めた後で、『何か』があわなくて女川を離れたり、嫌いになられるほうが、むしろ悲しいです」と続けた。

ベリーナは自分なりに、女川町が目指す「活動人口増加」のイメージ像を描けるようになっていた。

流れにまかせながら、納得できる道を

インターンを含めベリーナの女川ぐらしは3年半になった。最近は「えっ?まだ3年?」「もっと長くいるかと思った」と声をかけられることが多いらしい。「女川に馴染んでいるってことですよね?」と屈託なく笑うベリーナは、今夏には25歳の誕生日を迎える。「まずは3年(勤める)」と就職の際に小松と話し合っていた。雇用満了期間は来年3月。「期限を決めることが大事だった」と話す小松には、3年という限られた期間でどれだけ実績を積み、自信を付けられるかという意味合いも含ませていた。

当のベリーナといえば、「まだ何も考えてない」とまるで他人事のように話す。女川の外のこともあまり知らないし、知ろうともしていない。心惹かれる地域、企業も特に思い浮かばない。

「なるようになるんじゃないですか」と話すベリーナには、それなりの根拠もある。今年の正月、町内に新しく再建された熊野神社に初詣に訪れ、おみくじを引いたところ、「流れに任せよ」とあった。書き初めでも、今年の抱負に「流」と一文字したためた。「もう少し、ここにいることで見えてくることがある…ってことでしょうかね?自分としては、少しでも納得できる道を歩みたいだけです」と楽観的に構えている。

(福地裕明撮影)

昨年末、念願の自動車免許を取得したベリーナ。これからは、仲良し3人組でドライブする機会も増えるだろう。もしかすると、町の外に新たな「出会い」が待っているかもしれない。

「行ってみたいところですか。そうですね…」としばし考えた末に「気仙沼の『鶴亀の湯・鶴亀食堂』ですね」と具体名を挙げた。

震災で失われてしまった漁師向けの銭湯を復活すべく、気仙沼の女将たちからなる「気仙沼つばき会」の有志らがクラウドファンディングで立ち上げた公衆浴場と食堂。もちろん、漁師だけでなく、市民も観光客も立ち寄ることができる交流の場だ。運営スタッフには、全国各地から気仙沼に移住してきた「ペンターン女子」も名を連ねている。事業に至るまでのストーリーだけでなく、「よそ者」同士の交流など、ベリーナにとって大きな刺激になることは間違いない。

生まれ育った九州を離れ、かつ、大学を卒業して企業に就職するという「定番」から飛び出したベリーナ。一見ゆるっとしながらも、「こういう生き方だってあるよ」と主張しているようにも見える。

ベリーナの今後について、小松はこうも言っていた。「(女川に)残る、残らないは自分自身で決めること。たとえ女川を離れたとしても、彼女が蓄積してきたものは『女川にとっての財産』だし、関係性は変わらないはず」。

縁あってやって来た女川で輝きを放ち続ける彼女は、これからどこに向かうのか。まだまだ目が離せない。

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