SNSフォロワー3万人超え「宮城のらむちゃん」って何者?

福地裕明】SNSの総フォロワー数が3万人を超える「宮城のらむちゃん」は、秋田市出身で宮城大学卒業の22歳だ。フリーランスのインフルエンサー兼モデルで、今年度より「みやぎライシーレディ」と「松島キャンペーンレディ」に就任。日々、宮城・東北の魅力を発信している。活躍の場を広げている彼女の魅力に迫った。

「『うる星やつら』と関係あるの?」

「『うる星やつら』のラムちゃんと関係あるの?」と聞かれることが多いと笑う「宮城のらむちゃん」こと小林来夢さん。仙台で「宮城のらむちゃん」と名乗る以上、このお約束事から逃れられない。

「漫画好きの両親が全巻持ってて、中学の頃に読みました」とらむちゃん。両親は「可愛らしい名前を」と、漢字読みが同じ「らいむ」になるはずだったらしいが、「『らむ』の方がかわいいのでは?」という祖父の一言で決まったそうだ。

「宮城のらむちゃん」こと、小林来夢さん

「らむ」という自分の名前は気に入っているが、あえてそこで「宮城の」という修飾語をつけたのは、「単なる『らむちゃん』じゃ埋没しかねない」と考えたから。「何、その名前?」と覚えてもらえるよう、戦略的に差別化したらしい。

聞くところによれば、「東北のらむちゃん」という名も候補だった。結局は、語呂の良さと、まずは大好きになった宮城の魅力から発信していこうと、「宮城のらむちゃん」と勝手に名乗ることにした。もちろん、「秋田出身なのに?」と突っ込まれるのも想定のうちだ。

この春、宮城大学を卒業したらむちゃんは、就職せずにフリーランスのインフルエンサーとして生きていくことに決めた。「両親や友人には心配かけましたし、ゼミの先生にはかなり迷惑をかけました」とらむちゃん。就職はしないけど東京か仙台のモデル事務所に入ろうと考え、あちこち話を聞いてまわった。が、結局、「一人でもできるんじゃね?」とフリーを選択。「根拠は特にありませんが」とケラケラ笑いながら話すらむちゃん。卒業直前のことだ。

宮城大学ではwebデザイン全般を専攻。高校時代の親友に頼まれ、ワインバーのロゴをデザインしたが、「今後はデザインの仕事はしません」と、きっぱり。

「親からは『公務員になってほしかった』などと言われたけど、最終的には『やりたいこと全部やれ。後悔しないように生きろ』と背中を押してもらいました。『来夢がいいと思ったのなら、いいよ』と言ってくれたことには、感謝しかないです」との思いを口にした。「私が頑固だって知ってるから、そうしか言えなかったのかも…」と、殊勝な一面ものぞかせた。

「教室でひとりラノベを読む子」が変化

インフルエンサーとして、笑顔を絶やさず元気に活躍するイメージのらむちゃんだが、少女時代は今とは真逆で、積極的に前に出るような子ではなかったという(本人は今でも苦手だとは言ってるが)。「可愛くない」「オタク」「根暗」「陰キャ」「腐女子」など、今の姿からは想像もできないフレーズが彼女の口から次々に飛び出した。

外に出たいとも思わない。人とワイワイするのが嫌い。化粧やメイクなんてどうでもいいと思っていた。どちらかと言えば、教室でひとり、ラノベ(ライトノベル)を読んでいる子だった。高校時代はアルバイトに明け暮れ、多少は社会性が身についたものの、自分磨きに走ったのは、秋田を離れ大学に進学してからだ。キャンパスで先輩や同級生の姿を見て「かわいい!」「かっこいい!」「キラキラしてる!」を連発。これまでの分を取り戻すかのごとく、本格的に可愛くなってやろうと思った。

「モテたい」という気持ちと、承認欲求を求め実名アカウントでインスタを始めたのが大学2年生のとき。自撮りや友人たちとの写真をバンバン載せて、フォロワーを増やしていった。被写体にならないかとも声をかけられモデルにも挑戦した。

そんな折、キャンパスコレクションに出てみないかと連絡をもらった。学生主体で行われるファッションショー。コンテストは最終審査まで残らなかったが、ランウェイを歩いてみて、人前に立つ楽しさを知り、ますます自分磨きとSNS投稿に拍車がかかった。

余談を紹介しよう。秋田での成人式、中学校の同窓会に参加したとき、「整形した?」などとあまりの変貌ぶりに周りから思いっきり驚かれたそうだ。当日の話題をさらったそうだが、残念ながら「運命の出会い」はなかったと聞いている。

思いつめた日々、「まだ何も始まっていない」と気付く

2020年、大学3年生の頃から、宮城県内の飲食店や観光地を訪問しては無償でSNSに発信するようになった。フォロワーが5000名を超えたあたりから、お店や企業から声をかけられるようになった。翌21年には総フォロワー数が1万人を突破。夏に山形市内のスイーツショップをプロデュースするなど順風満帆だったが、突然、らむちゃんは倒れた。

無償であれ有償であれ、自分はSNSで発信する価値がある人間なのかと悩み、インフルエンサーの宙ぶらりんなスタンスや、見下すような社会の風潮などを真剣に受け止めようとしたところ、プレッシャーとなり、彼女を押しつぶした。

らむちゃんには、自分の認知度や影響度合いは少ないと自覚しながらも、自分に恥じないことをしてきたという自負があった。しかし、ひとりに頼らずに何でもやってしまう性格が災いしてか、誰にも相談できなかった。食事も喉を通らず、眠れない日々が続き、見かねた両親の手で秋田へ強制送還。秋田では、何もしない日が続いた。

「SNSやめようか」「このまま普通に就職しようか」など、いろんな思いが頭をよぎった。「今だから笑って話せますけど、このまま死んだほうが楽かな」とも思い詰めたという。その一方で、せっかくここまでやったのに、諦めたくないという思いもあった。

そんなとき、励ましてくれたのも両親だった。「やめなくていいじゃん」「来夢の好きなようにすれば」との言葉に、「まだ何も始まっていない」と気付かされた。「就活も何もしていない娘に、普通、そんな言い方します?」と振り返るらむちゃん。感謝の気持ちから、両親には頭が上がらないようだ。

アンチや中傷より「プラス」に目を向けられるように

約一ヶ月の静養を経て立ち直ったらむちゃん。その年の9月から、宮城の魅力発信を再開した。「これまでの積み重ねや結果を考えたら、自分を犠牲にする必要はない」と思い直して、飲食店や企業のPRを有償で行うことにした。「お金を頂くことで責任が生まれ、真剣に向き合える」と考えた末の判断だ。これまで紹介したところからの紹介で、新しい仕事が舞い込んでくるといった循環も生まれているようだ。

と同時に、どん底を知ったことで、「アンチや中傷が気にならなくなった」とキッパリ語る。マイナスなことよりも、プラスになることに目を向けられるようになった。

飲食店の取材では、店の方と綿密に打ち合わせ。気になるアングルを探しては、スマホ2台を用い納得がいくまで撮影を繰り返す。もちろん、ひとりで(取材協力:韓国料理屋台「ピンナダ」さん)
飲食店の取材では、店の方と綿密に打ち合わせ。気になるアングルを探しては、スマホ2台を用い納得がいくまで撮影を繰り返す。もちろん、ひとりで(取材協力:韓国料理屋台「ピンナダ」さん)

フォロワーが増え、仕事の依頼も増えていく中で、同じように宮城の魅力を発信するインフルエンサーやYouTuberとの知り合う機会も増えてきた。「彼ら(彼女ら)はライバルではありません。私の『仲間』です」と語るらむちゃんは、気心が知れるようになったインフルエンサーらと、コラボ発信をするようになった。お互いのフォロワーが相互フォローするなど、相乗効果もあらわれている。

そんな流れの中で出会ったのが、仙台のあらゆる情報を発信するインフルエンサー「仙台つーしん」さん。彼に出会えたことで、らむちゃんの活動の幅が広がった。「仙台つーしん」さんには基本的に、代理店やメディアからの問い合わせを担当してもらうなど、事務的なやり取りをサポートしてもらっている。

寝坊がちな性格のため「起こしてくれないんですか?」と尋ねたら、「起こしませんよ~」と丁重に断られたそうだ。「もちろん、楽しくやらせてもらってます。勉強になることばかりです」と仙台つーしんさんに支えられていることは、彼女の安心感につながっている。

名刺、ロゴ、シールのデザインは大学時代の友人の手による。こうした「仲間」を大切にするのも、らむちゃん流だ

2月9日が「宮城のらむちゃん」降臨記念日

「これまで大きなトラブルもなくやってこれたのは、人に恵まれたからだと思っています」と語るらむちゃん。座右の銘は「謙虚にして驕らず」だ。

「フォロワーさんのために、宮城の魅力や有益な情報を紹介すること。依頼してくれた企業やお店の魅力を、私ができる限り全力で発信すること」がらむちゃんの流儀。だからこそ、これまでPRしてきた飲食店や企業からの紹介で、次々に仕事の依頼が寄せられるのだろう。

月一回のペースで撮影会のモデルも行っている(協力:仙台撮影会 SHOOTING SENDAI)

そういえば、いつから彼女は「宮城のらむちゃん」と名乗るようになったのか?本人も時期が曖昧だったりするので、彼女のSNSを遡ってみた。すると、今年2月9日付のインスタグラムにハッシュタグ「#宮城のらむちゃん」が初登場していた。「じゃあ、2月9日が『降臨記念日』ですね!」とらむちゃん。このポジティブさは武器だ。

この4月からは、宮城米キャンペーンキャラクターの「みやぎライシーレディ」と、松島町の観光親善大使「松島キャンペーンレディ」に就任した。自分のインフルエンサーとしての発信力で貢献したいという思いからだ。また、フリーであるが故の「立ち位置」の不安定さを、観光PR大使などといった「客観的な肩書」で克服したいという考え方も少なからずあった。

今年は3年ぶりに各地で様々なイベントや祭りが再開される見通しだ。らむちゃんにとっても活躍の機会が増えることだろう。「ライシーレデイなら、サンドイッチマンさんに会えるんじゃない?もしかしたら、らむちゃんのこと知ってるかもよ」と彼女に振ってみた。ご承知の通り、サンドウイッチマンさんは「みやぎ米イメージキャラクター」としてイベントや広告に登場している。ライシーレディとして共演できる可能性はゼロではないだろう。「もちろん、共演できたら嬉しいですよ。私のこと、知ってもらえるように頑張らないと、ですね」と声を弾ませた。

「らむちゃん語録」にも注目

彼女は時折、Twitter上でなにやらつぶやいているのだが、中には人生訓のようなメッセージ性のあるものもある。このまま、日めくりカレンダーに使いたいほどのクオリティがある。

基本「自分は雑魚」だと思ってた方が良かったりする。(2022/4/2)

私の周りには大好きな人たちだけ。SNSもリアルも仕事も含めて。その人たちのおかげで自信満々の自分でいれるんだよな。(2022/5/20)

「失敗してもまた進めばいいんじゃん」って大人に言われたかった。だから私はそう言える大人になりたい。(2022/5/25)

できない自分を恥ずかしいと思わないこと(2022/5/29)

ダメな自分もまた自分なのか…とようやく気付けた22歳。「ダメ=悪」ではないんだよな(2022/5/31)

「自分に言い聞かせるところもありますが、頑張っている人に届けたい」と話す彼女。いわば「らむちゃん語録」といったところか。アンチや中傷に心を痛めている人、何かに取り組もうと思っている人、宮城を盛り上げようとしている仲間たちへの、彼女なりの応援メッセージだと受け取った。

「20代のうちは『宮城のらむちゃん』として活動を続けたいですね。そのあとは、私のようになりたい人を応援する立場にまわりたい」と将来の展望について語るらむちゃん。

「インフルエンサーはライバルではなく、仲間」とする発言の延長で、一緒に宮城の魅力を発信し、盛り上げることのできる仲間を増やしたいとの思いのあらわれか。話しぶりだと、もっと深い思いはあるようだが、「まだ口にする時期じゃないので」という。

「私は、特別な存在じゃありません。私に仕事の依頼が来ることはとてもありがたいこと。私ができたということは、『誰もがインフルエンサーになれるよ』ということであって、そのことを伝えたい」

「最近は黒い服が好き」と語る来夢さん。「自分らしくいられる」「何色にも染まらない」といった彼女の性格があらわれているのかも

実際に、彼女の元には「らむちゃんのようになりたい」とDMをくれる女子が増えているそうだ。「同性に好かれているのはラッキーですね。女性の方が、『計算している』『作ってる』ことに敏感じゃないですか。正直に、ありのままに生きているのが伝わっているのであれば、嬉しいですね」と微笑んだ。

本年10月、「うる星やつら」が再びアニメで帰ってくる。あらためて「宮城のらむちゃん」も話題になるかもしれない。その頃には、どのくらいフォロワーが増えているのだろうか。と同時に、新米の季節だ。もしかしたら、サンドイッチマンさんと共演しているかもしれない。その勢いに乗って、東北流行語大賞候補にノミネート…?などと、個人的にも興味は尽きない。

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