加茂青砂の設計図
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加茂青砂の設計図

秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、99人が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。 加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていくエッセイです。

  • 2021年12月3日

【加茂青砂の設計図】第2部プロローグ・漁師に定年はない

【土井敏秀】秋田県・男鹿半島西海岸にある加茂青砂集落にも、雪の季節がやってきた。日本海は遠くに望む水平線さえ時化で、デコボコにうねっている。そのうねりは、繰り返し波を起こしては、白色をぶちまける。雪が覆い重なるように叩きつける。この「白い海」はほんの […]

  • 2021年11月1日

【加茂青砂の設計図 #12】記録しておくこと

【土井敏秀】公文書であれ、その公文書を解読した本であれ、それを基盤にした小説であっても、先人たちが著した「歴史もの」に触れていると、確信めいたものが流れ込んできた。 「書く者同士には、時空を超えた信頼関係って、ありなのかもしれない」 ちょっと大げさか […]

  • 2021年10月25日

【加茂青砂の設計図 #11】「正史」が映し出したこと

【土井敏秀】元慶の乱を伝える「日本三代実録」は、日本の古代史を著した6つの公文書「六国史(りっこくし)」の6番目の書である。858年(天安2年)から887年(仁和3年)までの清和、陽成、光孝の3人の天皇の時代を記録している。 いやあ参ったなあ、だって […]

  • 2021年10月18日

【加茂青砂の設計図 #10】外国の百姓ってだれ?

【土井敏秀】「元慶の乱・私記」も終盤に差し掛かった。 寛平三年(八九一)九月十一日。二つの太政官符が出される。元慶の乱の十二年後のことである。『外国の百姓みだりに京戸に入るを禁制すべき事(前略)年来外国の百姓或いは小吏に賄(まいな)いて京畿の貫し(注 […]

  • 2021年10月11日

【加茂青砂の設計図 #9】乱の後

【土井敏秀】蜂起から約半年後の878年(元慶2年)8月、住民側は降伏した。朝廷が正式に、乱の終息を公にしたのは、さらに10か月後の翌元慶3年6月だった。 「終息」に向け中心となって動いたのは、乱勃発時の出羽国司ではなく、新たに任命された出羽権守(ごん […]

  • 2021年10月4日

【加茂青砂の設計図 #8】蜂起

【土井敏秀】蜂起した878年(元慶2年)3月15日の前日、14日。 「炎立つ」など、蝦夷4部作を著した作家高橋克彦は、小説「水壁~アテルイを継ぐ男」の中で、主人公らに翌日の戦いに臨む心境を、こう語らせている。 「何十年とただ堪え忍んできた蝦夷が、よう […]

  • 2021年9月27日

【加茂青砂の設計図 #7】周到な準備

「元慶二年(878)三月廿九日。出羽国守正五位下藤原朝臣興世、駅を飛して上奏す。夷俘叛乱して、今月十五日秋田城幷郡院の屋舎と城辺の民家を焼損す。仍て且つは鎮兵を以て防守し、且つは諸郡の軍を徴発す」 これは「元慶の乱」勃発(878年)を記した古代の公文 […]

  • 2021年9月20日

【加茂青砂の設計図 #6】蝦夷浜の伝説

【土井敏秀】哲学者内山節さんは、著書「新しい共同体の思想とは」の中で、大和朝廷時代を次のように説明する。 「600年代ぐらいになってくると、中国の真似をしたとも言えるけど、律令制の日本ができていって、そこでは日本の土地とか人民は国王のものであるという […]

  • 2021年9月13日

【加茂青砂の設計図 #5】都びとに映る蝦夷

「元慶の乱(がんぎょうのらん)」に関する本は、「古代秋田の住民闘争」と副題のついた「元慶の乱・私記」(田牧久穂著、1992年)だけではなかった。2017年に出た研究書「元慶の乱と蝦夷の復興」(田中俊一郎著)があり、小説では「羽州ものがたり」(菅野雪虫 […]

  • 2021年9月6日

【加茂青砂の設計図 #4】理不尽さに抗う生き方

【土井敏秀】東北に生まれ育ち、「東京」にコンプレックスを持っていたからだろうか。「まつろわぬ」の言葉に、というか、その服従しない生き方に無条件に惹かれる。歴史を古代にまでさかのぼってみる。男鹿半島を含む東北には、先住民「蝦夷」(えみし)が暮らしていた […]

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