【カンヌ国際映画祭の現場から】今年もフランスで第76回カンヌ国際映画祭が開かれ、日本作品の受賞が話題になりました。世界の主要映画祭の現場を取材し、TOHOKU360にも各国の映画祭のリポートを寄せてくれている映画評論家・字幕翻訳家の齋藤敦子さんがカンヌ国際映画祭の現場から、現地の熱気や今年の作品評をお伝えします。
【齋藤敦子(映画評論家・字幕翻訳家)】5月16日夜、今年の名誉パルム・ドール受賞者マイケル・ダグラスと今年の映画祭の顔カトリーヌ・ドヌーヴの開会宣言で、第76回カンヌ国際映画祭が始まりました。
日本からは是枝裕和監督『怪物』、北野武監督『首』、二ノ宮隆太郎監督『逃げ切れた夢』など出品
昨年は公共の場所でのマスク着用義務が徐々に解禁され、正常化に向かいつつあるフランスでしたが、今年はマスクをしている人を見かけるのが稀で、パンデミックがはるか昔のことに思えるほど。フランスの映画興行界も盛況で、カンヌもすっかり元通りの賑わいに戻っています。
とはいえ、いつもは南仏の明るい太陽に迎えられ、一足先にバカンス気分が味わえるカンヌですが、今年は天候不順。アルプス山脈の北側に位置するリヨン周辺は干ばつの被害が出ているのに、アルプスの南側、特に北イタリアのエミリアロマーニャ州では、死者が出る洪水の被害が出ています。同じアルプスの南側にあるカンヌも、今年は雨模様のはっきりしない天気が続いています。
さて、第76回となる今年の映画祭、日本からはコンペ部門に是枝裕和監督『怪物』、カンヌ・プレミア部門に北野武監督『首』、ACID部門に二ノ宮隆太郎監督『逃げ切れた夢』などが出品されました。またコンペ部門のヴィム・ヴェンダース監督『Perfect Days』は役所広司主演で、全編東京で撮影された作品なので、日本映画と言ってもいいかもしれません。
審査員は、昨年『逆転のトライアングル』で2個目のパルムを手にしたばかりのリューベン・オストルンド監督を長に、俳優のブリー・ラーソン、ポール・ダノ、ドゥニ・メノシェ、監督のアティク・ラヒミ、マリヤム・トゥザニ、ルンガノ・ニョニ、ダミアン・ジフロン、ジュリア・ドゥクルノーの9名です。
ジョニー・デップがルイ15世役『ジャンヌ・デュ・バリー』
オープニングセレモニーに続いて上映されたのは、フランスのマイウェン監督がタイトル・ロールを演じた『ジャンヌ・デュ・バリー』。僧侶と料理女の間に私生児として生まれながら、男たちを踏み台にして出世し、ついに国王ルイ15世の寵愛を一身に受けたクルティザンヌ(高級娼婦)デュ・バリー夫人の生涯を自由な発想で描いた作品です。アンバー・ハードとの泥沼の離婚裁判以来、映画から遠ざかっていたジョニー・デップがルイ15世役を(フランス語で)演じているのが話題。同日フランス全国公開されました。
オープニング作品『ジャンヌ・デュ・バリー』で久々に銀幕復帰したジョニー・デップと監督・主演のマイウェン。
「いじめ」を多面的に描く『怪物』
翌17日夕、コンペ部門のトップを切って、是枝裕和監督『怪物』の公式上映が行われました。是枝監督は昨年の『ベイビー・ブローカー』以来、2年連続7回目のコンペ出品。1995年に『幻の光』をヴェネツィア映画祭に出品し、国際舞台に初登場して以来、世界中の映画祭で作品が上映され、数々の賞を受賞してきたキャリアを誇っています。
新作『怪物』は、須藤元気プロデュース、坂元裕二脚本の企画に後から是枝監督が加わったもの。大きな湖がある町(諏訪市)を舞台に、夫を亡くしたシングルマザー(安藤サクラ)が、いじめの加害者にされた息子(黒川想矢)を守るために学校に抗議に行くところから物語が始まり、いじめを目撃した担任(永山瑛太)、紋切り型の謝罪に終始する学校長(田中裕子)、いじめられた少年(柊木陽太)ら、複数の視点で事件を多面的に描きながら、本当の怪物とは誰かを紡ぎ出していきます。
記者会見では、まだあどけない年少の柊木陽太(ひいらぎひなた)くんが、外国の記者からの質問にしっかりと答えているのが微笑ましく、会場の人気をさらっていました。
同日午後、『怪物』の上映に先立ち、同じリュミエール会場で、ヴィム・ヴェンダース監督の『アンセルム』が上映されました。アンセルムとはドイツ出身のアーティスト、アンセルム・キーファーのこと。絵画、彫刻、インスタレーションといった、現代美術の枠を超えた巨大な世界を創り出すアンセルム・キーファーの足跡と作品を、ヴェンダースが映像の世界から3Dの技術を使って立体的に再構築したもの。アンセルム・キーファーのアートとヴェンダースのアート世界が重なり、モアレのような効果を生み出している、不思議な、美しい作品でした。私は特に、アンセルム・キーファーのアトリエの巨大さ、規格外な作品の数々、旺盛な創作力に圧倒されました。
王兵監督のドキュメンタリー『青春』。出稼ぎミシン工を追う
18日(木)には今、世界で最も精力的かつ先鋭的に活躍するドキュメンタリー作家王兵監督のコンペ作品『青春』が上映されました。コンペ部門にドキュメンタリー作品が選ばれるのは、マイケル・ムーア監督の『華氏911』以来19年ぶりだそうですが、今年はもう1本、『オルファの娘たち』というチュニジアのドキュメンタリー(純粋なドキュメンタリーではなく、いわゆるドキュドラマ)がコンペに入っています。
『青春』は完成すると9時間にも及ぶという3部作の第1部で、特に『春』という副題がついています。舞台は上海から150km離れた志里という町にある縫製工場。そこで働く20才前後の出稼ぎミシン工たちの姿を5年間に渡って追ったもの。彼らは工場団地の上階にあるベッドだけが置かれた粗末な部屋で共同生活を送りながら、主に国内向けの子ども服を縫っています。工場内には雷のようなミシンの音が轟き、みるみるうちに服が出来上がっていく手際の鮮やかさ。互いに縫う速さを競ったり、休み時間はスマホの画面に見入ったり、そんな日常が続いていくうちに、隣同士で服を縫い、他愛ない言い合いをするカップルに、やがて愛らしきものが芽生えていきます。将来の夢や結婚観を語る彼らに注ぐ視点は暖かく、『鉄西区』で世界に衝撃を与えた新進気鋭の王兵も、もう50代になっていたんだなという感慨がありました。
しかし、『春』は微笑ましいとばかりは言えないエンディングを迎えます。ようやく隣席の彼女を口説き落とした彼が、彼女を連れて故郷に帰ってきます。緑多い静かな田園風景の中に、不釣り合いなコンクリート作りの立派な家がぽつぽつと建っています。おそらくは出稼ぎの青年たちの仕送りによって建てられたものでしょう。少しでも歩合を上げてお金を稼ぎたい彼らの肩には、故郷の家族の生活がかかっていたのです。彼の家の居間に置かれた豪華なソファと、縫製工場の貧しい部屋の対比。そこに急速に発展する中国経済のひずみを見たように感じました。
ちなみに、王兵によれば、このカップルはいったんゴールインして子どもが出来たものの、今は別れて、彼が子どもを育てているそうです。
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