楽しくなければ秋田じゃない!若者の活動を共有し地域で応援する「地域力フォーラム」秋田市で開催

秋田県という「地域」のこれからを考え続けるイベント「地域力フォーラム in あきた2019」が11月17日、秋田市の遊学舎で開かれた。毎年1回開いてきて、7回目の今年は、これまでのテーマ「We create our future」を、「楽しい秋田をくりえいと」に切り替え、「楽しくなければ秋田じゃない」を掘り下げた。イベントは「地域おこし先進地の事例に学ぶ」ことから始まり、秋田の若者の発想、行動を応援することに流れを導いた。 7回目では、その流れを具体的に一歩、踏み込んだ。このフォーラムが、秋田県内で暮らす人々にとって、どんな存在になっていくのか。「道しるべ」のひとつになり得るのか。このイベントに隅っこでかかわってきた1人として、書きながら考えていく。世界中のどこの「地域」にでも、あてはまる「参考例」になる、と言い切って、話を進める。「おい、大 丈夫かよ。そんな大風呂敷広げて」。わっかりましぇーん。【文・写真/土井敏秀

秋田でも、子供が自然と親しむ機会は少ない?

はじめに、今年のフォーラムの内容を説明する。 3部構成の講演で、第1部が自然パート「森で遊ぶ」、第2部は「秋田をプロデュース」、そして第3部が音楽パート「秋田でレゲエ」。その後にプレゼンターを囲んでの質疑応答「アフタートーク」という展開で進んだ。

第1部は、「秋田は自然が豊かと言われているが、それを楽しんでいるのか」という秋田県立大大学院生北村芽唯さんの問題提起で始まった。子供のころ「野生児」として育った北村さんは「大都会だけでなく、秋田でも子供が自然と親しむ機会が少ないのではないか」 をテーマに、フィールドワークを通して研究している。すると、もうすでに親の世代が「危ないことをしないで」「危ないところに近づかないで」と言われて育っているのがわかった。子供たちにも、同じことを伝える。自然の中で遊ばない子供たちが増えていくのは当たり前ではないか。北村さんは「これってどうなの?」と問いを投げかけた。

1950、60年代(昭和30年代)に小学生だった「どんくさい」私は、フナ釣りをしていて何度か、沼にはまり、水を飲んだが、何とか助かった。冬に同級生が薄氷の、その沼を歩いて落ち、死んだ。葬式に飾られていた遺影は、はっきりと思い出せる。沼のそばに「危険。近づくな」(○○警察署、○○小学校、○○小学校 PTA)の看板が立ったのはいつだったろうか。そこには、あの同級生の死を悼む気持ちがみじんも感じられなかっ た。子供心にも、「大人に迷惑をかけるな」というメッセージだけが伝わった。20歳を過ぎてからだろうか。「子供がわくわくして、危ないところに行くのは当たり前」という指摘と「気をつけろ、子供は急に止まれない」の交通標語を見たのは。

子供も大人も「未知の体験ができ、交流できる」場所を

北村芽唯さんの問いかけに、秋田市近郊の「河辺の森」で「Akita コドモの森」を主宰する小玉朋子さんの活動がきちんと答えた。「小学校に入る前の子供たちが、ダメだ、できない、という泣き顔から、自分で立ち直っていくことを見守っています」。ナイフを手に枝を削ってもいい。殴り合いのけんかになっても、待つ。「さあ、みんなで一緒に、寝転んで大空を見よう」。小玉さんは確信を持って話す。「本当にしてはいけないこと、だけを伝える。それが命を守ることにつながる」。「本当にしてはいけないこと」が、真っすぐに走ってくるのが見えた。「人を殺すな。人に殺されるな」と。

小玉さんの「コドモの森」は「オトナの森」になってもいいんじゃないか。第1部の最後に登場したのが、北秋田市大阿仁地区で「一般社団法人大阿仁ワーキング」を主宰する佐々木宗純さん。1000人弱が暮らす集落で、この地での暮らしを「山業」と名づける。 その山業の営みへの尊敬を胸に、培ってきた暮らしの技を広く伝えたいと、「ムラ市」「料理教室」などいくつかのイベントを手掛けている。佐々木さんは「山に囲まれた里山が、未知の体験ができ、だれもが交流できる、場所になる」との確信を元に。

秋田弁でレゲエを歌うお寺の副住職

第2部の「秋田をプロデュース」では、初めに、三種町の松庵寺副住職渡辺英心さんが語り出す。なぜ、「仏教的レゲエバンド」(英心 & The Meditationalies)を作り、秋田だけでなく全国各地でのライブを繰り広げているのか。秋田弁の歌詞、たとえば「過疎地の出来事」「Oi Bamba!」などの作品を生みだした理由は何か、を話した。その原点ともいえる、象徴的なのは、こんな話だった。

「アマゾン川で出会った、ワニを取って生計を立てている耳の聞こえない少年。この少年とハグして、見渡したアマゾン川と、見上げた大空の星」

笑顔で肩を組んでいる写真を見せてくれた。「お寺を継ぐ」ことに反抗した青年時代のバンド活動、サンバ、レゲエなど南米音楽との出会い、そして大河アマゾンで出会った少年。 それで納得した、という。「ふたりはお互いに分かったのだ。こんな大きな世界で、ちっぽけな自分でしかないけど、私たちがそれぞれ、できるはずがあること。だから、秋田に帰ってこそ、私が確かにあること。それが仏の言葉『知足』だと得心しました」

「秋田だからこそかなえられる夢がある」

秋田市出身で、「イクスキューブ合同会社」の鈴木優子さんは、これまでの演劇、ミュージカルにかかわってきた経験を踏まえ、秋田から「発信」している。秋田出身の漫画家高橋よしひろの秋田犬が主人公の「銀牙〜流れ星銀〜」を「2・5次元ミュージカル」 (漫画やアニメ、ゲームなどを原作にした舞台芸術)として企画、公演している。「秋田は 『これができる人いないかなあ』と聞くと、いるの。そのひとつながりでいろんなジャンルの人たちとかかわれるの。秋田だからこそかなえられる夢って、あると思う」

青森県出身で、今は「NPO 法人はちろうプロジェクト事務局」の鎌田洋平さんは、八郎潟残存湖の「八郎湖」に生息している生き物からの視点で地球を考えている。遊びと実際に生き物と触れることを通して、子供たちに伝えている。八郎湖は決してきれいな湖ではないし、でもその環境の中でも生をつないでいる生き物が沢山いる。それは「生きているってなんなんだろう」を考える大切なヒントになるのではないか。 だれもが、ひとりひとりが誠実な思いを伝えた。

そして「英心 & The Meditationalies」のライブ、プレゼンターへの質疑応答を終えて、イベントは、懇親会に引き継がれた。

地域の人々が支え、7回目を迎えた地域力フォーラム

2日後、11月19日付の秋田魁新報に、イベントを紹介する記事が載った。大きな見出しは「地域の資源を生かそう」、わきの少し小さな見出しが「参加者、活性化策探る」。 これは、全国各地で開かれている「地域を考える、どんなイベント」にも当てはまる、言葉足らずの言い方だなあと、がっかりした。このイベントが目指していることが「見出し」に表われていない。

取材した記者が「ワンパターン」の内容でしかないと受け止めたのなら、主催者の力不足だったかもしれない。でもイベントはこの7年間、県内でさまざまな活動している人たちの発表を聞いてきた。そこにこそ、着眼点がほかとは違う特徴があるのだと思うのだが。

このイベントの1回目は2013年7月に、開かれた。「まちづくりに取り組む人を紹介 している雑誌・かがり火」の発行人・菅原歓一さんが、生まれ育った秋田に少しでも貢献したい、という呼びかけに、秋田の人がこたえた形だった。ボランティアの実行委員に41人が集まった。高知県馬路村の農協組合長・東谷望史さんが「小さな村の大きな挑戦」 と題して講演、哲学者内山節さんは「新しい共同体の思想」を自らの実践を通して、話した。秋田県内でそれぞれの地元に拠点を置いて、さまざまな活動をしている若い世代が8人も、その活動を報告した。内山さんと8人の質疑応答もはつらつとしていた。

実行委員の1人として参加した私は、わくわくした。実行委員41人が集まって作り上げたイベントである。会場には共有できる思いが、いっぱい飛び交っていた。 その後も実行委員は40人前後で参加している。

2回目の基調講演は「日本海の離島に若者が増えている理由」を話す、島根県海土町町長の山内道雄さん、3回目は、農家民宿が「町の力」になっている長野県小布施町町長の市村良三さん。 だれもがみんな、パワーポイントを使って、その地の魅力を説明した。

3回目で私は、なんとなく気づいた。「地域おこし先進地の人たちのマニュアル」は、最も大切なものを、そぎ落としているのではないか。マニュアルだけでは納得できないもの、 マニュアルから削られたもの。それは、まだ言葉として生まれていないものかもしれない。 私たちが生み出す「言葉」を待っているのかもしれない。それは、7回続いた(これからも続いていく)このフォーラムが、小さな村や集落に、そこで暮らす人々の笑顔に届いたらいいな。

「地域を軸にして社会全体をつくりなおす」

今回の実行委員長の袴田俊英委員長は、今年のイベントを振り返って、こう話す。

―発表者は足を地にきちんと着けている活動を報告してくれた。音楽のライブもあり楽しいイベントになった。中身が充実していたのに、来てくれた人は少なかった。だから、 「なんでみんな来て、一緒に楽しんでくれなかったのだろう」という残念な気持ち、悔しさが残った。 このイベントの周知を図ることが足りなかったと思う。それと時代背景として、このイベ ントを最初に開いた7年前は、みんなで一緒になって、地域の力を発揮しようという高まりがあった。「世の中を変えるんだ」という1960年代の学生運動と似たような高まりが。

どちらも、運動が停滞し始めると、社会はいい方向には向かっていない。「どうせ、何をやっても変わらない」というあきらめが生まれたうえに、今は、社会の貧困化が進んでいる。 イベントに参加したくとも、日々の暮らしを支えなければ生きていけない層が、増えている。そこまで視野を広げないと、「地域力」そのものを、見つめ切れない時代になっている のかもしれない―

イベント発起人の菅原歓一さんは、こんな視点で話す。

―私が発行している雑誌「かがり火」は、無名だけれど、地域を見つめて、ここで、なにが必要かを考え、行動している人たちを紹介している。そういう人は全国各地にいる。 だから雑誌を続けられる。今の社会では少数派だが、そういう人たちと出会える喜びがある。でも少数派とともにいるわけだから、経営は厳しい。そのジレンマを繰り返している。

このイベントは秋田市出身の私が「言いだしっぺ」なので、毎年欠かさず参加している。 イベントへの参加者を、増やそうということに、力を注がなくてもいい。イベントの中身をどう充実させるか、が大切だと思う。(かがり火の編集人であり、この地域力フォーラム の1回目で基調講演をした)哲学者の内山節さんが、北海道大学農学部で講演するイベントに同行したことがあった。イベント関係者が壇上に並んで、客席を見ると、壇上にいる人よりも少ない10人足らず。それでもね、内山さんは話に一切、手を抜かない。人数が多いか少ないか、なんて関係なしに、これまで培ってきた話を伝える。大切なのはこれだと思う。実行委員のメンバーが「ぜひ一緒に話をしたい人」を、どんな思いで捜すのか、そこにこそ、イベントの充実を図れるのではないか。参加者が増えると、とんでもない人 も来たりして、面倒がかかるかもしれない、しね―

その内山節さんが、最新書「内山節と読む古典50冊」の中で、こう記している。

「これからの社会はどうあったらよいのか。この問いに対して私は『地域から』と答えた。私は今日の地域づくりには、『地域をどう維持していくのか』という問題意識とともに、 『地域を軸にして社会全体をつくりなおす』というもう一つの問題意識が必要になっていると考えている。中央集権的な政治と経済によって、矛盾ばかりが顕在化する時代に今日の私たちは立っている」

国、県、各市町村といった行政の在り方に、ほころびが出ている。中央と地方という発想で、人々の暮らしを考えていることに、無理が生じているのではないか。「ふるさと活性化」は「地域力」を土台にしてこそ成り立つ。それが全国各地でばらばらに芽生えている。 「地域力フォーラム in あきた」もこれまでの7年間、46人のプレゼンターは、それぞれの暮らしを、だれもが胸を張っていなかったか、いた。みんなが一堂に会することはないかもしれない。だけど46人だけでなく、プラス、数百人の実行委員が、秋田という「地域」の各地で、それこそばらばらに、きょうも、笑顔でいてほしいなあ。