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物書き(秋田県男鹿市)

物書き。1949年、仙台市生まれ。大学を卒業するまで24年、同じく24年で新聞記者をやめた。さて、次の24年は? ということで、秋田県男鹿半島の一隅・加茂青砂集落に引っ越した。地縁血縁の全くない海辺のムラで、自給自足生活を目論み「半農半漁見習い」を名乗った。すると……。小舟を高波にさらわれ、せっかく覚えた素潜り漁からも遠ざかり、漁協の組合員をやめた。借りた畑は雑草との戦いに敗れて耕作放棄地に。「書くこと」だけが細々と残っているのだが、気が付けば3周目の24年の最後の年を迎えている。

  • 2022年1月21日

【加茂青砂の設計図】二番目の船「真漁丸」佐藤真成さんの物語②身の丈に合った宝物

「あん時は、涙が止まんなかった」。30年もの間、海での漁をともにした「真漁丸」が、コンテナ専用車でハマを離れていく。昨年11月のことだった。廃船したばかりのころ、真成さんは係留していた岸壁に行っては、寂しい思いを味わう日々が続いた。「朝マ、ハマさ行ぐ […]

  • 2022年1月14日

【加茂青砂の設計図】二番目の船「真漁丸」佐藤真成さんの物語①ラブレター

佐藤真成さんは、学校を卒業して以降の「漁師人生」を時代順に振り返った後、気になる言葉を口にした。「生きていく、それだけで精いっぱいだった。よく生きてこられたと思う。辛い思いさせたしな」。話が途切れた。サザエ網を同じリズムで繕う手を、休めようとはしない […]

  • 2022年1月7日

【加茂青砂の設計図】一番目の船「幸勝丸」大友幸雄さんの物語④故郷での暮らし

【土井敏秀】北洋での仕事はいずれも、半年ぐらいの操業だった。それ以外は地元に戻り、早春のサスラマス釣り、冬のハタハタ漁、ヤリイカ釣りなどで稼いだ。24歳で結婚、子供2人には教育費がかかる、父親が購入した土地に家を建てなければならない。休む暇はなかった […]

  • 2021年12月24日

【加茂青砂の設計図】一番目の船「幸勝丸」大友幸雄さんの物語③ちょっと寄り道

【土井敏秀】1970年代後半(昭和50年代前半)に、私は、福島県いわき市の支局に勤務していた。200カイリ水域規制が始まり、日本の漁船は北洋の海域から締め出され始めた時期だった。いわき市は北洋サケマス漁の基地だったこともあり、その影響が及んでいた。独 […]

  • 2021年12月17日

【加茂青砂の設計図】一番目の船「幸勝丸」大友幸雄さんの物語②後で分かった大変さ

「いつも眠かった。時間なんか関係ねえんだ、夜中の1時、2時にたたき起こされ、暗い中、母船から川崎船に乗り移る。10人分の飯が入った箱型のおひつ、みそ汁が入った鍋、それにたくわん1本も、10人でたった1本な、を渡されてな。漁場につくまで、立ったままで飯 […]

  • 2021年12月3日

【加茂青砂の設計図】第2部プロローグ・漁師に定年はない

【土井敏秀】秋田県・男鹿半島西海岸にある加茂青砂集落にも、雪の季節がやってきた。日本海は遠くに望む水平線さえ時化で、デコボコにうねっている。そのうねりは、繰り返し波を起こしては、白色をぶちまける。雪が覆い重なるように叩きつける。この「白い海」はほんの […]

  • 2021年11月1日

【加茂青砂の設計図 #12】記録しておくこと

【土井敏秀】公文書であれ、その公文書を解読した本であれ、それを基盤にした小説であっても、先人たちが著した「歴史もの」に触れていると、確信めいたものが流れ込んできた。 「書く者同士には、時空を超えた信頼関係って、ありなのかもしれない」 ちょっと大げさか […]

  • 2021年10月18日

【加茂青砂の設計図 #10】外国の百姓ってだれ?

【土井敏秀】「元慶の乱・私記」も終盤に差し掛かった。 寛平三年(八九一)九月十一日。二つの太政官符が出される。元慶の乱の十二年後のことである。『外国の百姓みだりに京戸に入るを禁制すべき事(前略)年来外国の百姓或いは小吏に賄(まいな)いて京畿の貫し(注 […]

  • 2021年10月11日

【加茂青砂の設計図 #9】乱の後

【土井敏秀】蜂起から約半年後の878年(元慶2年)8月、住民側は降伏した。朝廷が正式に、乱の終息を公にしたのは、さらに10か月後の翌元慶3年6月だった。 「終息」に向け中心となって動いたのは、乱勃発時の出羽国司ではなく、新たに任命された出羽権守(ごん […]

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