【写真・文/土井敏秀=男鹿市】夕暮れ時、そのバンドのライブは、お寺の境内で開かれた。歌声がはるか遠く響いていく。「♪明日晴れたら お外で思いっきり遊んでおくれ 僕が疲れるくらい♪」。突然、こみ上げてきた。どうしてだろう? 父親が子供に「おやすみ」を言う前、笑顔でかわし合う「ごあいさつ」。そのシーンを思い浮かべれば、微笑えましい光景じゃないか。それができない。なぜだ。明日? だれにも必ずくる、わけではないからか。この歌は、どこかで苦しんでいる子供、亡くなった子供にも、祈りを込めて伝えようとしている―そう考えると、こみ上げてきた理由が腑に落ちた。勝手な解釈かもしれない。お堂の上にまんまるな月が昇る。あらためて話を聞きに来よう、と決めた。
副住職が結成したバンドが、音楽雑誌レゲエ部門1位に
秋田市から車で北へ約40分。秋田県三種町鹿渡に着く。古い街道に沿って、松庵寺がある。この寺の副住職渡辺英心さん(32)は、2014年に「英心&The Meditationalies(メディテーショナリーズ)」を結成、2015年に出したCD「からっぽ」が音楽雑誌のレゲエ部門で、年間1位となった。ボーカルを務める英心さんは、ギターやパーカッションなどさまざまな楽器を演奏する。お寺の長男として生まれた英心さんは、子供のころから毎朝5時の「お務め」を欠かさなかった。その一方で、ピアノを習う音楽少年でもあった。そのまま、音楽青年に育つ。
「寺を継げ、という親の圧力はなかった。継ぐのだろうな、と漠然と思っていたが、仏教系の大学には行きたくなかった」(英心さん)。東京学芸大学に進み『宗教社会学』を学んだ。音楽活動も続く。サンバが好きになり「ラテンアメリカ音楽研究会」に所属。大人数で打楽器を演奏する魅力にはまり、選択授業でプロのパーカッショニストの指導を受けた。4人の仲間とラテンバンドを作り、パーカッションを担当、東京を拠点にしてライブ活動も繰り広げた。
卒業すると、曹洞宗の本山・永平寺での修行に入った。「オレの目を見るな」「返事は、はい、だけでいい」。先輩たちの、いじめにも似たしごきに遭う。修行は1年、と決めていた。父の住職・紫山さん(65)が話に加わる。「1年でよかったんです。私は2年修行したので、後輩にいじめ返すのを覚えてしまった」。やめるころ、交通事故に遭った。骨盤を3カ所、骨折した。入院した病院で「生死をさまよった」。リハビリに2カ月もかかったが、元に戻れた。この事故は英心さんにとって、修行そのものだった、という。坐禅ができた、という喜びで1週間、坐禅しっぱなしでした。嫌で嫌で仕方がなかったのに」
父・紫山さんが歩んできた道も、紆余曲折。若いころに出会った縁が、今ある人生の伏線となっている。長野県出身の紫山さんはやはり音楽少年だった。中学生のころ、吹奏楽部に入りトランペットを手にした。上智大学に進むと、オーケストラ部の部長に。「あのカラヤンが私たちの練習で、タクトを振ってくれる機会がありました。緊張しましたが『さあ、ここで音を出すんだ』という指揮に、引き込まれました。なにしろ、神さまみたいな人ですから。その人が、私たちを気に入ってくれて『君たちはやればできる』と励ましてくれました」
卒業して最大手のコンピューター関連会社に就職。営業の接待で借金、休職。荒れた飲み方をさとされ、実家のある長野県のお寺で坐禅、そのままお寺に住みついた。26歳の時だった。曹洞宗のもうひとつ本山・總持寺で修行していた時、縁があって秋田県三種町の松庵寺に婿入りした。
サンバのリズムの中で坐禅を組んだ、ブラジルでの転機
英心さんに戻ろう。永平寺を出て、東京のお寺に。「目まぐるしく、慌ただしい大都会に驚いた。地域、先祖とのつながりではなく、個人個人バラバラの供養をしないと、成り立たなくなっている。世の中の移り変わりで、田舎の寺もこうなっていくのだろうか」と考えさせられた2年間だった。
この間に貯めたお金を元手に次は、知り合いが住職のブラジルのお寺へ。食住付き3万円の給料で手伝った。サンバのリズムが周りに流れる環境で、坐禅を組む。憧れていた人のライブを安い料金で見て回る。どのイベントもレベルが高く、ブラジル音楽の幅広さを知った。英心さんは、秋田に帰ったら音楽活動は終わり、それまで精いっぱいやろう、と考えていた。でも頑なにならなくてもいい、ひとつのジャンルにこだわらず、音楽活動を続けていこう――ブラジルは、その背中を押してくれた。
東北各地で年50回以上のライブ 父子コンビ「松庵ズ」も結成
自宅には元々、「ラッパ吹き」の父がいるのである。音楽活動が終わるはずもない。帰って2年後の夏には一緒に「松庵寺郷土祭り」を寺の境内で開く。檀家のお墓を背に、ラテン音楽を繰り広げた。民謡あり、地元に伝わる太鼓演奏あり―毎年趣向を変え、今年の夏で5回目を数えた。300人もの観客を迎え「イベントで盛り上がることで、地域のまとまりが強くなっている」(紫山さん)。年1回開く、檀家のお楽しみ会では、父子のコンビ「松庵ズ」で「美空ひばりメドレー」を披露している。
同じ大学のジャズ研にいた同級生も秋田に戻ってきた。高校当時の音楽仲間もいる。そのメンバー6人でバンドを結成した。「禅的瞑想」のバンドである。CD「からっぽ」はレゲエを基調にはしているが、民謡を取り入れたり、秋田弁の歌詞だったりして、秋田で暮らす楽しさを謳歌している。秋田県内だけでなく、青森、岩手、山形でもさまざまなイベントに呼ばれ、年に50回以上のライブを開いている。英心さんは「限界集落にも行って喜んでもらっています」と話す。
そして、あの「こみ上げてきた歌」のタイトルは「靴にじゃがいも」。「♪君が靴にじゃがいもをいれてから 空が青いことに気づいた 緑はとても深くて 花はきれいに咲いてて 世界は僕たちのものさ♪」。英心さんの友人の子供が、靴にジャガイモを入れて遊んでいるのを見て、発想したという。やはり、勝手な解釈だった。だけど、作品は作者の手を離れると、勝手に歩き出す、と言うではないですか。夕暮れ時の野外。歌声はほのかな闇にも、呼びかけていたのです。