【陸前高田 h.イマジン物語】ジャズ喫茶主人の夢路はるか ②3月11日の客(下)

被災したピアノの歌

【寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】2021年3月11日のジャズ喫茶「h.イマジン」に流れ出した生のピアノは、ベートヴェンの「月光」の激しい第3楽章から始まり、それから、悲しみの琴線に触れるようなバッハに変わって、最後は優しい音色の「花は咲く」。

東日本大震災の津波で被災した大船渡小学校の体育館にもともと置かれ、引き取って修理をした地元楽器店の社長から「店が復活したら、使ってもらえないか」と、冨山さんが譲られた小型のグランドピアノである。あれから10年のこの日、内に秘めていた歌が解き放たれたようだった。

カウンター席から演奏者は見えぬまま、上手な演奏に聴き入っていると、一転、サックスが勢いよく鳴り出した。「イン・ザ・ムード」、「茶色の小瓶」…と、お馴染みのグレン・ミラーのメドレーだ。予期せぬソロのライブが終わると、他の客たちから拍手が湧いた。演奏していたのは、フロア席に来ていた若い女性たちの1人だった。「すみません、使わせてもらったサックスのリード、どうしたらいいですか?」と、持ち主の冨山さんに問い掛けた。

「また吹いてくれるなら、洗って取っておくよ。ここでは、音を出せる人なら、いつでも来て好きに楽器を鳴らしてくれるのは大歓迎だ」。マスターは満面の笑みで答える。

若い音楽仲間との出会い

女性2人組は大船渡高校を2年前に卒業した、吹奏楽部の仲間だった。「家は大船渡と陸前高田で、お互いに大学1年生を終えた春休み、帰省して久しぶりに会って、ずっと気になってこの店に来たの。3月11日だからじゃないけれど…。カレーがおいしかった」

それから、冨山さんのサックス談義になった。「吹いてくれたアルトサックスを、私は仮設住宅にいた3年前に趣味で始めてね、陸前高田市民吹奏楽団に誘われたんだ。市民歌、パプリカ、恋のフォーチュンクッキー、演歌メドレーなんかは、楽譜はともかく、何とかやれるようになって、地元のイベントでも吹いてるんだ」

「ライブもできてよかったね。また、ちゃんと来てよ。看板娘募集中だからね」と見送るマスターに、2人は「楽しかったです」と再訪を約束した。店のファン、音楽仲間がまた増えたようだ。

即興のミニライブをした地元出身の大学生たちと音楽談義が弾む

「よかったね」と、カウンター席で柳下さんが言った。「コロナは、人の出会いを止めてしまったから。誰にとっても新しい人生のチャンスなのに、これほど悔しいことはないよね。きょうも兄夫婦の墓に向かって、『早くコロナ禍が終わるように』と祈ったの」

冨山さんもうなずいた。「私たちはまだいいけれど、若い人を助けてあげたいんだ。今しかでさきないこと、この時しかできないことがあるからね。あの子たちには」

そして午後2時46分

しみじみと語ったマスターの傍に、津波で流された前の代の「h.イマジン」が、写真となって飾られている。筆者も見たことはない「幻の店」は淡い緑色と赤で塗られた洋館のよう。

「私にとっては2代目の店でね、2010年12月22日にオープンして、年が明けて3月11日まで、わずか3カ月足らずの間の店だった。我ながら良くできた、素敵な店だったわい、と思う」

柳下さんも「幻の店」を回想した。「地元のテレビも、おしゃれな店と話題にしたよね。街のマダムたちも集ったでしょう。子どもが同級生だった私の友だちも、コーヒーを飲みに通ったそうよ。私も行こう行こうと思っているうちに、あんなことに…。その友だちは津波で亡くなったの」

それぞれの3月11日を語る客が訪れた「h.イマジン」の店内

いま、こうしてある「h.イマジン」は、冨山さんにとって、陸前高田の被災からの歳月をともに歩み、復活させた店だった。そして3月11日は、洋館のような佇まいの写真だけが残る、津波で失われた店の命日でもあった。幻であればあるほど、どんな店だったのか、知りたいと思った。

「その前の、初代の店を開いてから数えれば16年になる。その店も消えてしまってね。『七転び八起き』というけれど、人生、何とかなるものだ。だから人間、やめられないのさ」

柳下さんは、午後2時46分を自宅で迎えたい、と帰っていった。にこやかな笑みを絶やさず、さらりと客を元気づけるジャズ喫茶店主の、人生の物語もたどってみたいと思った。

やがて、大震災から丸10年を告げる防災無線のサイレンの音が店の中にも響いた。(続く)

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