9年9カ月の旅どこで?震災で流出した船が八丈島に漂着 保存に向け有志動く

【有川美紀子】東京都八丈島の漁港に一隻の古びた小さな船が漂着した。引き上げてみると、中にはサンゴが大量に付着しており、たまった水に魚の姿もあった。船籍番号から持ち主は気仙沼市唐桑の人で、2011年3月11日の東日本大震災の津波で流出した漁船だと分かった。震災から間もなく10年。どのような旅をして八丈島にたどり着いたのか。震災の記憶が薄れつつある今に、どんなメッセージを携えてきたのか。この出来事に心を動かされた人々が、廃棄の運命から保全へ、船を守る取り組みを始めた。

震災で流出、長い旅を経て八丈島へ

「八重根漁港に宮城の船が漂着してますよ。内部にはサンゴがついていて、魚も入ってます」

島在住のネイチャーガイド、岩崎由美さんに連絡が入ったのは2020年12月11日の夕方だった。岩崎さんは興味を持ち、翌12日、船を見に行った。

「驚きました。外側は海藻が一面に付着して磯臭く、内部にはあちこちにサンゴが付着して魚もいました。いったい、どこを旅して八丈島にやってきたのかと」(岩崎さん)

船底の一部に穴が空いていたものの、ほぼ原型をとどめていた。船体番号も読み取れたため八丈島漁協が調べると、宮城県気仙沼市唐桑の漁協に所属する船で、東日本大震災の津波で流出したものだと判明した。

島に住む同じネイチャーガイドの大類由里子さんもニュースを聞き、実物を見に駆けつけた。

「サンゴがたくさん付いていたり、カニなど生きものがいるのを見て、不謹慎かもしれませんが、いったいこの船にどんなドラマがあったんだろうとワクワクしてしまいました。どういう経路で海を漂い、いつから生きものが船にすみつき始めたんだろうと考えると、絵本にでもしたくなるようなストーリー性を感じました」(大類さん)。

(岩崎由美さん提供写真)

津波で流出した船が別の場所に漂着した例は他にもある。しかし、この船はサンゴが大量に付着していることで、さまざまな想像力をかき立てる。筆者でもある有川も、船が10年近く漂流していた証であるサンゴをどうしても見たくて八丈島に飛んだ。

12日の夜には、島在住のマスメディアの特派員の撮影した動画や写真が配信され、全国的なニュースにもなっていた。その映像も見ていたが、引き上げ直後には鮮やかなピンク色をしていたサンゴは色が抜けて白くなっていた。

驚いたのは、付着したサンゴが数種類あり、海の中ではサンゴの中に隠れるようにして棲息するサンゴガニの仲間が船底のあちこちで見られたことだ。太平洋やインド洋、紅海などに広く分布するオヤビッチャらしき魚もいた。生物はすべて死んでいたが、1つ1つが9年9カ月の旅の証人として重要なのではないかと感じた。

船についてどうするか、八丈島役場に話を聞きにいったところ、総務課も教育課も「町として船をどうするかという方針は何も決まっていない」という答えだった。来島する前に電話で話を聞いた八丈島漁協も、「気仙沼の持ち主に連絡したところ、『そちらで処分してほしい』という意向を聞いているので、解体業者と話がつき次第処分する予定だ」とのことだった。

実は、この船が引き上げられたのは奇跡であり偶然だった。12月10日の時点で、八重根漁港から800メートルほど南の横間海岸の沖を漂流しているのを漁師に目撃されている。それが翌日、漁港の入口に漂ってきたという。漁船の航行のじゃまになるという理由で引き上げたところ、震災で流出した船と判明したのだ。

船は半ば沈みかかっており、引き上げる時は、縁しか見えなかったので流木だと思われたそうだ。内部の高い位置にまでサンゴが付着していたのは、浸水しても、船の素材のFRP(繊維強化プラスチック)が浮力を保ち、さながら水槽のような状態で漂流していたからだろう。もしも漁港に漂流してこなければ、そのままま太平洋の旅を続けていた可能性のほうが高かったのだ。

まるで「何かメッセージを伝えるためにやってきた」とに感じた人々が漂着船に集まり、「なんとか解体を止めて保存する方向へ持っていけないか」と、Facebookでグループをつくった。岩崎さん、大類さん、筆者を含め、この問題に興味を持つ専門家や研究者8人をメンバーとする「八丈島漂着船の今後を考える会(以下「考える会」)だ。考える会は、漂流してきた経路解明の一助にするため、甲殻類やサンゴの研究者に連絡を取って種の調査を依頼し、一部の標本を送った。

当面解体は見送り、気仙沼との交流も

動きがあったのは12月23日だ。伊豆諸島自然史研究会の会長でもある長谷川雅美・東邦大学理学部教授が来島し、船を見たことがきっかけだった。長谷川さんは、漂着船の内壁に付着している生物の簡易調査をし、潜在的に海洋学、生物学の上で高い価値があると判断した。

いつ廃棄、解体されるか分からない状況と知り、すぐさま「保存することの意義」を提案書としてまとめた。提案書は、島に住む伊豆諸島自然史研究会の事務局長、菊池健さんによって関係各所に届けられた。有志の熱意に八丈町も「町有地に仮置きしてもよい」と見解を変え、二転三転の後、岩崎さんの働きかけもあり、島内の個人の敷地に仮置きされることが決まった。

「考える会」を通じて先日、八丈島と気仙沼の住民のやり取りも始まった。もしかすると漂着船を縁に、双方の交流が生まれるかもしれない。今後、「考える会」は仮置き後の船の保存についても話し合っていく予定だ。

漂流した船が無人島や人気のない海岸などに打ち上がり、破船となっているのをよく見かける。それが、ほぼ完全な状態で漂い続け、震災から10年を前に八丈島の漁港にたどり着いたのは、船が「震災を忘れないで」というメッセージを携えてきたように筆者には思える。さらに今後、付着した生物の種などが解明されれば、船がどのような経路で海を漂っていたかが分かるかもしれない。

船からメッセージを受け取り、動いた人々の輪は次々と広がり、震災を新しい形で未来につなごうとし始めている。

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