「石丸現象」を地方の現実とローカルジャーナリズムの経験から考える 

7月7日投開票された東京都知事選。今回独自の言動や発信で大きな注目を集めた候補者の一人が、前安芸高田市長の石丸伸二氏でした。世間を沸かせた「石丸現象」について、ローカルジャーナリストの寺島英弥さんが地方の報道の実情とローカルジャーナリズムの観点から考察します。

毎日の現場を「実況中継」した手法 

寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】東北文化学園大の後期・マスコミュニケーション論の授業準備のさなか、先の東京都知事選(7月7日投票)があった。無名の新人だった石丸伸二前安芸高田市長が得票約165万8000票で2位と、若者を中心にほぼ4人に1人の支持を得た結果と、政党の応援を求めずSNSで知名度と人気を高めた戦い方が大きな話題になった。 

「石丸伸二氏の躍進、ユーチューバーが一役 うねりはリアルな街頭にも」(7月8日・朝日新聞デジタル)、 「YouTubeが都知事選を左右…津田大介氏が驚く『石丸現象』」(7月11日、毎日新聞・同)や、在京テレビの競うようなインタビューで石丸さんは一躍「時の人」になった。筆者は都知事選そのものよりも、ローカルジャーナリズムの観点と経験から、以前の市長時代の活動の在り方が興味深かった。 

市長時代(2020年8月~24年6月)の動静はネット上の多くの動画に記録されている。地元・広島のテレビ局の就任直後のニュースでは、市長自らがSNSで仕事の現場を実況中継する姿が「話題」として報じられた。人口約2万6千人の郷里の「生き残り戦略として知ってもらう」ことが自らの仕事-と自身は語った(2024年2月1日、産経新聞のインタビュー記事)。それだけでなく、自身が登壇した市議会で旧態依然と映った地方議会の在りようを議場で批判し、住民の代表である議員が居眠りする姿も見逃さず「恥を知れ」と叱咤し、その姿勢に注目したフォロワーたちが中継の切り取り動画をYoutubeなどで配信。ファンや応援者が全国に増えた。 

地方の取材網が縮小するマスメディア 

地方の市町村議会は、筆者も新聞記者時代に取材した。選挙で選ばれる議員は、住民の声や要望を首長らに伝え、まちづくりや行政運営、政策の適否を問い、その議論とチェックの場が議会である。真摯な政策論議の一方、議場でのあきれた珍問答、執行部への陰謀劇、舞台裏の派閥争いなども、国会と同様に日常だった。最近も宮城県大河原町で、町議会中にスマホのゲームに興じていたベテラン議員が見学の小学生に目撃、指摘され辞職に至った(今年7月12日の河北新報などに初報)。 

そうした首長と役所、議会の双方を取材し、日々の議論、問題を外に報じるのが記者だ。首長の執務室など役所の内外、議会の傍聴席、議員控室も行き来し、読者、住民の目や耳となって話を聴き、問題を掘り起こし、市町村政と議会の双方をチェックする。住民の「知る権利」と地方権力の監視役を長年の信頼で付託された草の根民主主義の一環で、その役目は今も変わらない。が、変化も起きている。 

地方の拠点ごとに支局、通信部を置いて記者を常駐させてきた新聞は、過去二十数年の間に、一般紙で2000万部以上も減った=参照・新聞の発行部数と世帯数の推移|調査データ|日本新聞協会 (pressnet.or.jp)=。これはSNSを日常化させたスマートフォンの2010年以後の所有比率の急激な伸びのグラフと逆相関を描く。 

新聞の側からすれば、購読者・購読料収入の激減(広告収入も同様)からの経営見直しで、地方の支局を統廃合するなど取材網縮小に踏み切らざるを得ない流れにある。筆者が赴任経験のある山形県北村山地方では、往時の常駐4紙(山形、読売、朝日、河北)が現在は1紙(山形)のみ。村山市など3市1町、人口約10万人の地域が「情報過疎地」になった。行政、議会のチェック役のみならず、人口減と産業衰退など厳しい現実、そこからの地域興し、企業や観光客、定住者の誘致など対外的な情報発信も、常駐記者を通じたマスメディアの大きな役目だったからだ。 

情報地図の空白、無名の被災地を生む恐れ 

「1紙あればよい」と言う人もあろう。が、1紙が地域の独占媒体になれば、メディア間の健全な競争は失われ、問題、話題が掘り起こされて報じられる機会も減り、情報の活発な流れは滞る。「マスコミュニケーションとは、社会や人の間を情報が、新鮮な水や空気のように自由に流通している状態」と筆者は考えるからだ。対外的な情報発信を担ったマスメディアがにわかに不在になり、記者が取材に来ない街になれば、そこは情報地図上の空白、あるいは無名の地域にもなりかねない。 

東日本大震災の当初、各放送メディアの取材は、最大の被災地となった宮城県の石巻市や、気仙沼市、南三陸町、岩手県陸前高田市などにはっきり偏った。逆に岩手県山田町、大槌町、宮城県岩沼市、山元町などは、報道の遅れが以後の支援の差にも現れた=参照・拙稿『どう乗りこえるか、風化と風評 マス倫懇大会で見えてきた課題』Journalism2015年12月号=。2017年の「平成30年7月豪雨」の大水害の際も、岡山県真備町からの在京テレビ局の中継が集中し、隣町の被災者が「同じように浸水、断水、孤立している」と救援を求めたSNSの悲鳴を筆者は目にした。 

それゆえ、どんな街、地域にも、そこにいつも留まり、多様な困難を背負う人の声の発信を助け、地域の問題を外に知らせ、社会とつながりたい人の役に立てる住民のローカルジャーナリストが生まれてほしいと考える。能登半島地震の被災地、輪島市の用品店主がスマートフォンから地元の被害をYouTubeで投稿し続け、孤立無援からマスメディアにつなげた話もある(2024年1月11日「news zero」で放送)。 

あくまで「取材した事実」をもって向き合う 

地方のこうした現状で、SNSを駆使するスキル、経験を持つ人(とりわけ若い世代)が首長になること、「情報の空白地域」の危機感から自らが発信者となること、SNSでシティーセールスを担うことは驚きではない。石丸前安芸高田市長の登場はその象徴に思える。首長が地域の問題を社会に直に伝え、議会という地方政治の場の議論も例外とせずに発信した点で、ローカルジャーナリスト的な存在だったとも言えるのではないか。もし地元で災害が起きていたら、陣頭指揮の現場からSNSで被災状況を逐次発信し、広く支援を求めたのではないかと想像できる。 

石丸さんのフォロアーたちが編集、投稿した市長時代のYoutube番組には、役所の会見に訪れた地方紙の記者との質疑の模様が多数ある。相手を論破する「石丸構文」が話題になったが、その激しいやり取りは、トランプ元米大統領が2016年の就任直後、CNNの記者を「フェイク・ニュース」「国民の敵」と攻撃する記者会見の動画を想起させた。だが、その内容は、市長と議会の対立を住民が心配している-といった首長の「あり方」を諫めるような記者の問いに対し、前市長は「客観的な事実を示してほしい」と、住民の声の取材を踏まえた提議を求めていた。日常的な不在で取材力、チェック機能の弱まったマスメディアへの苦言とも聞こえた。 

石丸前市長自身も、<第四の権力(マスコミ)には監視役がいない。僭越(せんえつ)であるのは承知しており、首長の仕事でもないが、たまたま自分が今そういう立場に置かれているので、(監視役を)やった方がいいのかなという思いだ>と発言している(前掲・産経新聞のインタビュー記事)  

自らSNSを駆使して地域から発信し、全国にフォロワーを生む~つまりは全国規模のメディアを手にする首長は、石丸さんを嚆矢として各地に登場するだろう。その時、地方の取材網を縮小しつつある新聞や放送はどう向き合えばよいのか? 

SNSの圧倒的発信力と膨大な支持者を有したトランプ元米大統領の時代、CNN、ニューヨークタイムズ、ワシントンポストなどが依って立ったのは「事実(FACT)」だ。記者が掘り起こす事実や反証を掲げて対峙し、視聴者、読者の信頼を積み上げ、ニューヨークタイムズの購読者は電子版を柱に1000万人を超えた。新しい現象を「話題」と追うより、地方の現実を見つめ直し、取材の手法を工夫し、住民とのつながりから新鮮な事実を掘り起こし、それを基に評価や批判をし、対案を出し、本来のチェック機能を再構築する。そんな努力は日本でも変わらぬ生き方ではないか。 

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