8年間通い続けた被災地 背の曲がった73歳のボランティア

【相沢由介=福島県浪江町】すっかり曲がった背中。ヨレヨレの衣服。両手に下げたコンビニ袋に新聞記事の切り抜きを突っ込み、素足にサンダル履きでと歩く「ヨーコさん」(73歳)の身なりは、はじめ浮浪者のそれを連想させた。「浪江町までタクシーで行くんだけど、一緒に乗っていかない?お金は私が全部払うから」。その身なりとは裏腹に、おそらく¥6,000ほどかかるであろうタクシー代を惜しまない様子に大きなはてなマークが頭に浮かんだ。

8年間通い続けた福島県浪江町

「今日(3/10)はね、暗くならないうちに浪江に行って写真を撮りたいの」。東京港区の自宅から在来線を乗り継いで福島県富岡まで来たヨーコさんは、日暮れが迫る中、JRの代行バスがなかなか来ないことにヤキモキしていた。毎年この時期に浪江を訪れ、町の様子を写真に記録しているのだという。

震災のあった2011年、ヨーコさんは地震の1か月後には被災地入りしていた。津波被害を受けた沿岸地域を見て回り、最終的には福島県の沿岸地域でボランティアを続けた。「肉体労働したかったんだけど、おばあちゃんだからということで津波で流された写真の整理をしてたの」

東京から何度も何度も福島に通い続けた。「東京で使うんだから、東京に原発を作ればよかったのに」。そう言われることもあった。何も言い返せなかったが、それでも最後はみんな感謝してくれたという。

被災地の祭を記録

 手に下げたコンビニ袋から、ここまで来る途中にゴミ箱からかき集めてきたという新聞記事を広げ、ヨーコさんは浪江町請戸地区の田植え踊りについて熱っぽく語り始めた。フランス、インド、中近東…、若いころから世界中を旅してきたヨーコさん。世界中の「祭」に興味があり、今回の目的の一つは、浪江町請戸地区の田植え踊りを撮影することなのだという。

 その情熱もさることながら、宗教、哲学、言語学と、横滑りしながらも次々と広がっていく話に圧倒された。気が付くと2時間以上、ヨーコさんはしゃべりっぱなしだった。

約束事をとっぱらったたくましさ

「今日は漫画喫茶に泊まるわ。いつもそうしてるの。そうだ、その前にお寿司を食べに行くわ。仙台はお魚がおいしいでしょ。私、ホヤ大好きよ」。3月11日の震災命日は福島県郡山のイベントに参加する予定だというヨーコさんは、仙台駅で電車を降りると、エスカレーターをガシガシ登って夜の雑踏へと消えていった。

すべての約束事をとっぱらい、無一物でさすらうその姿は、あの日、あらゆる常識がガタガタと崩れ去ってむきだしになった、人の営みのたくましさを感じさせた。