【岩崎尚美】「1人でもいい……1秒でも幸せにできるアーティスト」として、仙台で活動を続けるシンガーソングライターのアユムさん。自身で作詞作曲を手掛け、精力的にライブやラジオ番組に出演し、歌手として大成したいという夢に向かいひたむきに走るその姿からは想像できないほど、苦悩に満ちた学生時代を過ごしてきました。「歌は得意じゃなかった」というアユムさんがどのように暗いトンネルを抜け、歌手を目指すことに決めたのか。そのストーリーを聞きました。
周囲とうまく関係を築けず、不登校になった中学時代
「もともと、あまり人と関わるのが得意じゃなかったんです」
中学2年生で不登校になった理由を尋ねると、アユムさんはそう穏やかに答えます。ゆっくりと言葉を選ぶような語り口から、きっと優しくて繊細な人だからこそ、他者との関わり方に悩むことも多かったのだろうとうかがえます。
学校に通えず家にこもりがちになってしまった彼を勇気づけたのが、FUNKY MONKEY BΛBY’S(ファンキーモンキーベイビーズ)の歌でした。強く優しく励ましてくれる歌詞やメロディを聞くたび、心にかかった黒いもやが晴れていくような心地がしたそうです。
音楽の力に感動し、勇気をもらったアユムさんは「自分も音楽を通して、誰かを勇気づけられる立場になりたい」と考えるようになりました。
その後は別室登校(=教室ではない部屋で勉強する)を続け中学を卒業、定時制の高校に通い始めます。高校でも周囲と馴染めず、ストレスによりパニック障害を発症するなど苦難が続きましたが、「音楽」の夢がアユムさんを支えてくれました。
高校1年生からはボイストレーニングに通い、本格的に歌手を目指して前進します。
東京でのボイストレーニングで現在の歌い方を確立
高校卒業後は、本格的に音楽の勉強をするため上京し、より本格的なレッスンを受けることに。ここではとくに、聞き手の心をつかむ表現方法を叩き込まれました。仙台のスタジオとは比較できないほど厳しく、講師のOKが出るまで何度でもやり直しをさせられたそうです。
とくに手応えを得られたのが、息の使い方。それまではどちらかと言うと声を張るように歌っていたのが、東京でのレッスンを受けてからは息の割合が多い「ウィスパーボイス」で、囁くような歌い方にチェンジしました。
「この歌い方に変えてから、お客さんが『感動するね』と声をかけてくれる機会が増えました。東京で勉強して良かったと思います」とアユムさん。「聞く人を勇気づけたい、癒やしを与えたい」というアユムさんの曲と、穏やかに囁くような歌い方がマッチしたのでしょう。
2020年に地元仙台へ戻り、本格的に音楽活動をスタート。コロナ禍真っ只中だったため、まずはYouTubeチャンネル「アユムOfficial Music」を立ち上げ、そこでミュージックビデオの配信を始めます。
人前に出るのは「今でも怖い」
現在制作楽曲は19曲、2023年10月には自身が厳選した15曲を収録したファーストアルバム「Origin」を発売。またブランチ仙台(泉区)での定期ライブなど、県内さまざまな場所でのライブも精力的に行っています。
さらに2023年からは、FMたいはくラジオパーソナリティーとしても活動し、「お悩み相談室」を担当。アユムさん自身、過去につらい経験をたくさんしてきているので、その経験から、同じように悩んでいる同年代の人たちにエールを送りました。2024年4月からは「アユムとFRIDAYゲストーク!」という番組がスタートし、毎回ゲストを迎えトークを楽しんでいます。
とはいえ、もともと人付き合いが得意でなかったなら、人前で歌ったり、ラジオで喋ったりすることは怖くないのでしょうか。
そう尋ねると、「今でも怖いです」とアユムさんは笑います。
それでも、そこを避けていたら成功はつかめない。だから腹をくくって、自分なりに努力しているのだそう。彼のその姿勢こそが、どこかで誰かを勇気づけていそうです。
地元・仙台を代表する歌手として認知拡大を目指したい
生まれ育った仙台の街並み、人の温かさが何より好きだというアユムさんは、今後も仙台・宮城を中心に活動していきたいと話します。直近では、2024年6月2日(日)に開催される「第23回とっておきの音楽祭」に出演予定です。
「今の夢は、超満員のセキスイハイムスーパーアリーナ(利府)でライブをすることです。夢を叶えるためにも、まずはたくさんの人に自分のことを知ってもらい、一歩一歩着実に進めていきたいです」
アユムさんの出演情報がチェックできるInstagramはこちら
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