「良い爺さん」とは、現役時代に仕事の達成感があり、潔く身を引き家族との団欒や趣味の世界を大切にする、いわゆる達観した人生を送るイメージがありました。「良い爺さん」に憧れていたのは中年の頃でしょうか。
生まれつき貧乏性で小心者がそんな爺さんになれるわけがありません。地方新聞社を60歳で定年退職し早や10年余が過ぎました。当てにしていた再就職が駄目になり、社会保険労務士資格を取得し開業。未知の第2の人生に踏み出し、あたふたと日々を送り、働き、暮らす人との出会いがありました。見なくても済むことを見、しなくても良いことした感じもしますが、これも人生です。世間の風は意外と冷たく、若い世代が働き、暮らす環境は、われわれとは比べられないほど厳しいのかも知れません。
一方、有り余る時間の中、少しのお金を残すより記憶を刻んでおこうと小旅行を復活させ、学生時代、独身の頃の気分に浸れました。加齢に伴う病気や不注意による怪我をし、健康の大切さをかみしめた次第です。
人生80、90年時代。齢を取ると寂しいですが、元気を出して。老年折り返しの地点で、「定年10年ドタバタ日記」をまとめてみました。
第1章 生活者との出会いの中で
1、再就職が駄目になり、悄然としました
メールで採用見送り
「貴君の大学採用の件、極めて困難な状況になりました。全力を挙げて頑張ったのですが、文科省関連の規程上、やむ得なき状況に至った次第です」。
私立大学教授のAさんからメールをいただいたのは、後6か月で定年退職し新聞記者人生を終えようとしていた60歳のときです。先輩記者で、駆け出しの「サツ回り」の頃から、ずっとお世話になっていたAさん。採用できなくなったのは、少子化により大学志願者が減り、教員の枠も狭まっている、という理由でした。
「ジャーナリズムと、就職試験の際出題される小論文などを担当してほしい」。
Aさんから市内のホテルに呼び出され、再就職の話しを持ちかけられたのは、その1年前。退職後どうしようかと迷っていた折り、とても有難いお話しです。年間を通して何十時間もの講義ができるかどうか不安もありましたが、新しい挑戦に踏み出そうと決めました。こちらからお願いし、記者として携わった調査報道の内容などを含む履歴書や新聞社最後の3年間で書いた記事を提出したのです。
夏頃、Aさんを大学に訪ね、今後のことの説明を受け、将来学生さんたちと接する機会を楽しみにしておりました。朝は早起きし予習。ジャーナリズムや、取材の方法、文章の書き方など、集めた本を1時間半ほど読み、自身の記者体験と照らし整理し直し、メモを作成していたのです。「実名報道と匿名報道」、「世界的ニュースと地域ニュースの価値」「メディア・リテラシー」「調べて書く」「レポートのまとめ方」「文章の磨き方」等々。
仕事はずっと編集だけ
新聞社に入社以来37年間、ニュースを伝えたり、誰も知らない出来事を掘り出したりする仕事は面白く、あっという間に過ぎた感じです。転勤先の青森、一関、石巻ではその土地の良さを存分に味わい、東京では政治・経済などのダイナミックな展開に感心しました。本社の仙台では、連載企画などを担当し、チームで収集した情報を一つ一つ組み立て物語にしていく際は、ついつい時の経つのも忘れがちになりました。
一方、退職の時期が近づくにつれ、後悔の念も湧いて来ます。「薄っぺらな記事を書き、論を展開した」「地に足がつかず、空回りしていた」。どれだけ生活者ときちんと向き合い、暮らしぶりなどを見つめていたか。高尚に見える主張、議論はともすれば、人々の生活と遊離しがちです。
ともあれ、ずっと編集の仕事をしており、関連会社に再就職しても事務、労務、営業など全く経験がなく、厄介者になるだけです。関連会社の生え抜き組からすれば、お荷物でしかないでしょう。加えて、最後の職場となった論説委員会で担当した社説などで「公務員の天下りはいけない」と主張していた手前、民間といえども、同じ天下りのような選択をするわけにはいかない事情がありました。
10年、15年の人生設計は必要
採用見合わせのメールをいただいたときは、そろそろ講義内容を詰めなければならないと考えていた矢先です。ショックは大きく、悄然としました。
「60歳で職を失くし、このまま老人になってしまうのか」。春に行われた会社の継続勤務意向調査の際に、「希望しない」と回答しており、今更それを覆して継続勤務を頼むわけにもいかず、落ち込み、焦りました。
振り返ると、自身の甘い見通しのツケが回ってきたと言わざるを得ません。大学の新年度のカリキュラムが何時決まるかは知りませんが、秋ごろになって、本当に講義ができるかどうか分からない人物を教員として採用するわけがありません。現に、大学当局との面談は1回もなく、採用についてのやり取りもなかったのです。
人生80年、90年時代です。60歳、65歳で退職するにしろ、その後10年や15年の人生設計は必要でしょう。その場その場で帳尻合わせをしてきたいい加減さの報いが退職時にやって来て、大きな失敗をすることになってしまいました。
【連載】新聞記者から社労士へ。定年ドタバタ10年記
「貴君の大学採用の件、極めて困難な状況になりました」。新聞社を60歳で定年退職したら、当てにしていた再就職が白紙に。猛勉強の末に社会保険労務士資格を取得して開業してからの10年間で見えた社会の風景や苦悩を、元河北新報論説委員長の佐々木恒美さんが綴ります。(毎週水曜日更新)
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