「東北未来芸術花火2022」が6月開催。プロデューサー中田源さんに伺う、東北初開催へ寄せる想い

黒田あすみ】来る6月11日(土)、宮城県亘理町荒浜「鳥の海公園 特設会場」にて「東北未来芸術花火2022」が開催される。津波被害から再生した鳥の海地区は“亘理町再起”の拠点。プロデューサーの中田源(なかた・はじめ)さんが東北初開催へ寄せる想いを、鳥の海会場に至った経緯とともに伺った。

鳥の海の空のもと中田さんをパシャリ(2022年・記者撮影)

国内唯一のツアー型花火大会「芸術花火」とは?

「東北未来芸術花火2022」鳥の海公園 特設会場全景(提供写真)

2014年の札幌初開催を皮切りに、これまで、茅ヶ崎・浦安・名古屋・京都・大阪・福岡・宮﨑など全国で開催されてきた、国内唯一のツアー型花火大会「芸術花火シリーズ」。

中田さんが所属する GREAT SKY ART(グレートスカイアート)が企画・演出・運営の全てをプロデュースし、年間を通してチームメンバーが各地を巡行。2019年には有料観客動員数が15万人を超えるなど、全国の花火ファンから愛される花火大会へ急成長してきた。

さらに、チームが目指す先にあるのは“持続可能な地域創生”。行政、企業、市民の方々と手を取り合い、開催地ごとの特性を生かした花火大会を作り上げることで、地域への誘客・活性化を実現している。

『茅ヶ崎サザン芸術花火(2018年)』の打上げ風景(提供写真)

「芸術花火」が見つめる東北の「未来」

ーータイトルに「未来」が使われたのは、東北開催が初めてですね。

「未来」のコンセプトは、僕のルーツとなった「東北との繋がり」が由来なんです。僕は札幌市出身で、東日本大震災発生時も札幌にいました。地震が起きて、ニュースで見て、「すごい事が起きたな」と。ここまでは遠方の反応として一般的ですよね。ただ僕が違ったのは、同僚の実家が鳥の海周辺だったんです。

両親と連絡が取れなくて当惑する同僚の姿がとんでもなくリアルだった。でも、僕らは何にもできない。そういう状況を目の当たりにして初めて、「本当にとんでもない事が起きちゃった」という印象に変わりましたね。

四方山展望台より亘理町荒浜・鳥の海をのぞむ(2017年・記者撮影)

そこで僕はすぐさま募金と支援物資を集めて、しかるべきところへ幾度も送りました。元々ファッションや音楽のイベントを札幌で主催していた繋がりがあったので、自粛するよりはできることをやろうと。それでもどこか現実感が持てない自分に引っかかりを感じて、実際に被災地へ。同僚の帰郷とともに東北へ向かいました。

ーー2011年5月、亘理町荒浜・鳥の海地区へ初めて足を踏み入れたのですね。

同僚のご両親は幸いご無事だったんですが、住まいは流されてしまっていて。やはりその現地に立つとむちゃくちゃショックでしたね。驚愕するほど何もない。同僚も20年近く通った地元の道が全く分からなくて、自分がどこにいるのか、自分の家がどこだったのかさえも。

二人で必死に探したらなんとか落ちている表札が見つかり、「ああ、ここだったんだな」って飲み込む彼の姿を前に、何とも言えない気持ちになったのを覚えています。

荒浜海水浴場の砂浜(2016年・記者撮影)

札幌へもどった後は「自分に何ができるのだろう」と考えあぐねました。けれども、その時の僕が被災地へ届けられるのは、最低限の生活が成り立った上で楽しめるものばかりだった。

だから「今の仕事を辞めて、東北の地でできることをやってみよう」と決断して、2011年7月には車とテントを頼りに再び東北へ。支援物資の配布や泥かきなど何でもやりながら、宮城県気仙沼市、次は石巻市と移って、最終的には半移住のような形で岩手県陸前高田市へ辿りつきました。

よそ者だからこその復興支援プロジェクト

ーー陸前高田市にはどのくらい滞在されたのですか?

約3年ですね。被災地の皆さんは自分たちが苦しいのにもかかわらず、よそ者たちにものすごく優しくしてくれました。それで僕も何かしらの形で地域に還元したくて、この期間に2つのプロジェクトを立ち上げています。

がれきの高さが、ゆうに中田さんの長身を超えている(提供写真)

まず、皆さんは等しく家も仕事も失っていた。男性や若い方は力仕事をしていたけれど、高齢の女性や障がいがある方の働くあてが見つからない状況がありました。これを受けて「進まないがれきの処理と雇用の課題をともに解決できるのでは」と考案したのが、復興支援グッズ「瓦Re:KEYHORDER(ガレキーホルダー)」の製作・販売です。

本来がれきはゴミではなくて、暮らしの跡が残る大切なもの。「Re」に「Re:MEMBER(忘れない)」の想いを込めて、がれきをキーホルダーに仕上げる工程を僕らよそ者が地元の方々へ発注し、手仕事で収入を得てもらったんです。

すると、全国から集っていたボランティアスタッフによる拡散やその先の支援から世界へと販路が広がり、日本で最も売れた支援グッズとして約10万個を売り上げることができました。

1個につき10グラム。合計1トンのがれきが資源に変わった(提供写真)

ただキーホルダーは無限に売れ続けるものではないだけに、始まりの段階から終わりを見据えていました。売上の一部を貯蓄し、街で作り上げた予算を使うのだから街に意味のあるものを作りたかった。そうして1年近く街の人々と会話を重ねるなかで、「世代を超えて集まれる場所が無い」ことが最も気にかかったんです。

そこで、2013年に全て手づくりでオープンしたのがコミュニティカフェ「ハイカラごはん職人工房」でした。カフェをきっかけに地元で就労したい若者が出てきてくれたし、子どもたちが来店したらとんでもなく料金を安くするなど、とにかく楽しんでもらうのが第一義。結婚パーティーも最高でした。

しばらくして、「こういう街にしたい」「こんなチャレンジがしたい」なんて会話がわきおこる光景を見届けられたのを区切りに地元スタッフへ運営を引き継ぎ、僕は2014年に札幌へと帰郷しました。

カフェは場所と形を変えて、今も地域の要として愛されている(提供写真)

東北で見上げた花火の素晴らしさを札幌でも

ーー札幌に戻られてからはどう過ごされていたのでしょうか?

「東北のチカラに」と駆け抜けた3年を経て、僕は人生が変わりました。「故郷ではない土地であんなにも熱くなれたのに、なぜ生まれ育った札幌で行動してこなかったんだろう」という原点に立ち返り、ここから花火の縁に繋がっていきます。

2011年「LIGHT UP NIPPON(東北沿岸部11ヶ所で同時に花火玉を打ち上げた慰霊祭)」が始まって、2012年は陸前高田でも打ち上げられることになり、初めて僕も花火のサポートに入りました。この時の感動から東北で見上げた花火の素晴らしさを札幌の人たちにも伝えたくなって、地元の仲間と「LIGHT UP NIPPON HOKKAIDO」を立ち上げたんです。今も僕が代表を務めています。

2021年は車内から見上げる「Drive in hanabi」を札幌市内で開催(提供写真)

そして当時の僕の勤め先が、事業の一環として手掛けていたのが「芸術花火」なんです。「日本の花火師の素晴らしさを世に示すことで、花火文化を再燃させよう」という目的で、2014年に「モエレ沼芸術花火」を初開催しました。その後は年を追うごとに規模が拡大していったので、株式会社GREAT SKY ARTとして新たにチームを立ち上げ、今日に至ります。

『モエレ沼芸術花火(2021年)』の打上げ風景(提供写真)

ーー東北初開催が企画されたのはいつ頃だったのでしょうか?

「いつか東北で『芸術花火』をやりたいね」という声は、チーム内で早い段階から上がっていたんです。2019年より候補地を下見に巡り、鳥の海地区へは2011年以来の訪問となりました。そこで僕はとにかく胸にジーンときてしまって、「まさかあの何もかも失われた景色が、こんなにもきれいになっているなんて」と。

僕らが企画を詰めるにあたって、最も大切にするのは“ロケーション”なんです。単純に「きれいな花火を見てもらいたい」のが一番だけれども、その深いところにはちゃんと理由があります。「悲しいことはあったけれど、ここ鳥の海でたくさんの人が笑顔になれる花火が打ち上げられたら、ものすごく良いんじゃないか」という希望が、亘理町を会場に選んだ理由のひとつ。正直なところ僕の個人的な感情はデカいですね(笑)。

荒浜海水浴場の砂浜から土砂が整理された(2017年・記者撮影)

ーー震災からこれまで、そしてこれからを見つめての「未来」なんですね。

開催地の申し入れをした際に、亘理町長の山田周伸さんが寄せてくださったメッセージに「復興から発展へ」というキーワードがあって。また「震災から10年以上経って確実にフェーズは変わっている。心の部分で変わっていなくても、10年前と今は絶対に同じじゃない。ここから新しい形で亘理町を知ってもらう意味で『芸術花火』のようなチャレンジは大事なんだ」とも。これらが深く自分に刺さったんです。

僕自身、東北と心の底から携わった3年があったけれど、その後の関わり方がむずかしかった。どうしても自身の東北が風化していくなかで、山田町長を筆頭に町役場や観光協会の皆さんから半端ない熱量を頂戴して、本当に嬉しくなりました。「東北の地で新たな文化を築けるかもしれないし、ともに一生の付き合いができるかもしれない」という夢のような可能性が、鳥の海会場の決定打です。

津波では写真中央5階建ての屋上まで浸ったが、今は強化された防波堤が海を囲う(2022年・記者撮影)

「鎮魂」の意味でも、花火の光がもたらすものは大きいと信じています。そして何より子どもたちにめちゃくちゃ見て欲しいんです。「この町で生まれてよかった」「ここでもチャレンジができる」そんな明るい「未来」を、夜空の輝きと一緒に描いてほしい。

これら幾つもの想いが積み重なって、「東北初開催で、ただ地域の名前をつけてもしょうがないよね」とチームで話し合った末に、タイトルを「東北未来芸術花火2022」に決めました。

チームが目指す先は“持続可能な地域創生”

ーー「芸術花火シリーズ」が目標とされている“持続可能な地域創生”。東北初開催ではどのような展開があるのでしょうか?

僕らって花火だけをやりたいわけではなくて。これまでも地域の方に出店してもらって、地産の美味しいものが楽しめるイベントなどを併設してきたんです。鳥の海会場では「楽しい防災訓練みたいなの」をやりたくて、絶賛計画中です。

もしも会期中に非常警報が鳴ったら、僕らで速やかに安全な避難誘導を行います。もちろん、避難誘導計画は警察や町役場の方々としっかり作りました。しかしながら、現実に1万人を超える来場者の多くは地理感覚がゼロ。だからイベントとしてあまり固くならずに、大切なことをレクチャーしたいなと。それが、被災地に住まう皆さんが向き合っている震災後のリアルでもありますから。

本番当日の花火打ち上げ位置(公式サイトより)

宿泊施設「わたり温泉 鳥の海」観覧セットプランも企画・販売(満室御礼!)しました。地域と一緒に経済の活性化も促進できたらなと。応援企業は日毎に増えていて、本当にいろいろな方が携わってくださっています。

協賛金に限らずトイレットペーパーやドリンクなど備品の寄付もありがたくて、さらには人手の派遣も。県南広域圏の郵便局からは、約50名もの局員さんがボランティアとして参加くださるんです。仙台大学とも、学生さんの派遣を相談させてもらっています。

ーー公式サイトでもボランティア【大】募集されていますね。

はい、【大】募集なんです(笑)。事前設営から本番当日のおもてなしまで全面的に市民ボランティアのお力を借りて、僕らは手づくりで運営しています。アルバイトを雇用すれば幾ら資金があっても足りない規模なので、人海戦術も“持続可能な花火大会”を目指してのことなんです。

特典として、6月9・10日の全日参加者にはもれなく「東北未来芸術花火2022」特別ペア観覧券を配布しますし、11日本番は打ち上がる花火を体感しながら活動いただける。「ご提供いただく分の価値は美しい夜空でお返しできる」と自負しています。皆さんのご応募を心よりお待ちしています!

「桜島と芸術花火(2022年)」より設営風景(提供写真)

最高峰の花火師が集結して東北の「未来」を照らす

ーー「芸術花火シリーズ」ならではの見所とは?

「芸術花火」はツアー型のあたらしい花火大会。プロデュース陣や技術クルーはほぼ固定ですが、協働する花火師たちは開催地ごとに編成が変わります。内閣総理大臣賞などを受賞するトップレベルの花火会社へお声がけし、東北初開催では20社が一堂に会すことが決まりました。東北からも秋田4社・山形1社・宮城2社が参加しますよ。

そして贅沢なことに、僕らは各社渾身の花火玉をごちゃまぜにさせてもらってプログラムを組みます。約60分ノンストップ。音楽の世界観にシンクロするよう1/30秒単位という怒涛の勢いで打ち上がる、総数13,000発の大輪の花火たち。これこそが「芸術」と謳う理由なんです。

名港水上芸術花火(2017年)の打ち上げ風景(提供写真)

さらに各社の職人技には、超人的だからこそのクセがある。同じ色の出方でも彩りと輝きがぜんぜん違うから、全て計算して一夜限りのストーリーを紡ぎます。

花火師たちには、僕が「すごく良いなぁ」と思う関係性があって。皆んな口を揃えて「恥ずかしい玉は出せない」って語るんです。競うようにして最高の芸術玉をご提供くださるのは「リスペクトし合っているが故じゃないかな」と感じますね。

中田さん(右端)と花火師(左から芳賀火工・石村さん、伊那火工堀内煙火店・松田さん)で村井知事へ表敬訪問(提供写真)

ーー「東北未来芸術花火2022」では、どのようにプログラミングされるのでしょうか?

お一人で全ての「芸術花火シリーズ」を手がけている花火コレオグラファーの大矢亮(おおや・りょう)氏に、今回も参画いただいています。日本中を探しても、花火打ち上げから開いて消えるまでの全てを計算して、60分ノンストップで演出できる方はそうそういません。

音楽に合わせて起承転結や喜怒哀楽を表現し、繊細で緻密かつ圧倒的。花火エンターテインメントを作り上げる彼の感性は天才的で、「素晴らしい」の一言に尽きます。かつては、自慢の花火玉を他社と同時に打ち上げることに抵抗を示した花火師が、演出が良いからそこに納得してご了承くださった、なんて場面もあったんですよ。

コレオグラファーとは「振付師」のこと(提供写真)

ーー有料の観覧券を「個人協賛チケット」と称する背景を教えてください。

「花火は無料」のイメージが根強いですが、それは自治体の補助金や大企業のスポンサーありきでした。昨今の経済状況や社会情勢により、実は少しずつ花火大会は減少しているんです。花火業界は本当にピンチで、それはコロナ禍において加速しています。

打ち上げ場所が無くなって「工場が開けられないから」と参加を辞退した花火会社や、「稼げないから」と職を変えたりアルバイト掛け持ちしたりする花火師たちも少なくなくて、このままでは貴重な文化と技術が継承されなくなってしまう。だからこそ「個人協賛」を頂戴することで、「芸術花火」は“永続的なまちのお祭り”を目指していきます。

座席のレイアウトは十分なグループディスタンスを確保(公式サイトより)

ーー購入を迷われている方へ届けたいメッセージはありますか?

なかなか実際に目にしないと伝わらない雄大さなので、「とにかく一回会場に来てもらう」ことを全力で勧めたいですね。「芸術花火」で一番の要は、音楽としっかりシンクロしているところ。亘理町は高い建物が無いので、正直に言うと花火自体は近隣のどこからでも見れます。けれども音楽と、打ち上げ花火の共鳴は会場でしか感じられない躍動感ですから、ぜひ足を運んでください。

『モエレ沼芸術花火(観覧客撮影)』観覧席の様子(提供写真)

ーー本番当日ご来場される方へのメッセージもどうぞ!

日本の花火は世界に誇れるかけがえのない財産で、「日本一の花火は世界一の花火」といっても過言じゃない。「復興から発展へ」の象徴であり、様々な人たちが手をくわえながら前進している鳥の海公園という素敵な場所で、僕ら「芸術花火」をきっかけに皆さんが亘理町とふれあい、たくさんの笑顔を生み出せたらめちゃくちゃ嬉しいです。

それから「東北未来芸術花火2022」は打ち上げ当日だけでは終わらない。翌日12日は「芸術花火シリーズ」恒例の「世界一たのしいゴミ拾い」を行いますよ。

とことんふざけて、来年も来たくなる「世界一たのしいゴミ拾い」

開催地と会場に感謝を込めて、翌年もまた開催できることを願って、花火前よりもキレイな状態で1秒でも早く会場を地域へお返しするために。これまでも、僕らは自分たちの手で完結させることをすごく大切にしてきました。

花火ガラ(花火のゴミ)は、神棚に飾る風習が残るほどの縁起もの。皆んなで拾って皆んなでハッピー!協賛企業ご提供の豪華景品がもらえる(かもしれない)抽選会もあります。たくさんのご応募をお待ちしています!

傷跡は消えない、それでも一歩ずつ前へ

記者と中田さんは今回が初対面。数通のメールを経てお会いして、ご挨拶してお話しして、ふと時計に目をやるとあっという間の90分が経っていた。「芸術花火」に応援者が集う理由を体感できた気がする。中田さんが発する“人を魅せる熱量”が、台風の目のように周囲を引き寄せたのだろう。

「僕らは諦めのわるい集団なんです」と中田さんは笑う。「きっと世の中を変えるのはいつも、最後まで諦めない人たちなのでは」と記者は思う。6月11日に亘理町へ集い、花火を観覧するとはつまり「東北の明日を思い、力を合わせて、今、新しい物語を始める」ことなのだ。「東北未来芸術花火」は「東北の明るい未来を願い、ともに夜空を見上げましょう」と、私たちに語りかけている。


【東北未来芸術花火 公式ウェブサイト】
https://www.tohokumirai.geijutsuhanabi.com/

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