【寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】「収量は(平年の)3分の1だよ。ここでワカメの養殖が始まって以来、初めてのことだ」。養殖歴60年という漁師、佐藤利喜夫さん(76)はため息をつく。4月中旬に訪ねた石巻市北上町の十三浜。この季節は毎朝、海で刈り取ったワカメを各漁港の岸壁いっぱいに湯煙を挙げてボイルする家族作業が風物詩だが、今、その姿は数えるほど。毎年5月の連休明けまで続く収穫の大半が終わっていた。何が起きているのか。海の異変を、全国に知られる「十三浜ワカメ」産地から報告する。
荒波が育てる肉厚で最高の品質
十三浜は石巻市の北端、北上川河口(追波湾)の三陸海岸に面し、小さな入り江や浜に漁業集落が連なる。肉厚で美味な「十三浜ワカメ」の産地だが、2011年3月11日、東日本大震災の津波で全集落が被災し、200人余りの住民が犠牲になった。多くの家族、仲間を亡くした住民らは高台に移転し生業再建に取り組み、2014年に特産のワカメを復活させた。だが今、三陸の海は激しい環境異変のさなかにある。
佐藤利喜夫さんはこの朝も、家族と漁船「大翔丸」で外洋の養殖場所でワカメを刈り取り、午前8時には大室漁港に水揚げ。出荷までの塩蔵保存のためのボイル(湯通し)作業に忙しかった。好天に恵まれた岸壁で、塩水が滴る茶色い生ワカメからメカブを取り、長さ1.5メートルほどのワカメを束にして抱え、大きな窯に沸かしたお湯に通す。茶色の肌が一瞬で鮮やかな黄緑色に変わると、水を切って、回転するミキサーに入れ、スコップで塩を投じてまぶす。家族3人での流れ作業だ。
利喜夫さんは湯通し前のワカメを手に取り、「見たところは悪くないんだ」と言う。滑らかに光る茶色の肌には、良い成長を示す細かい筋が見え、ずっしりと厚い。「これが十三浜のワカメ。静かな内湾でなく、外洋の荒波にもまれて肉厚になるんだ」。北上川の河口から流れ込む栄養分も海を豊かにしている。そこで培われた品質は、気仙沼で開かれる県産ワカメの競りで常に最高の評価を得てきた。
だが、ボイルされたワカメには白い大小の斑点が浮かび、小さな茶色い生き物の死骸も見えた。「食害の跡です。減らす方法ないんですかね?」と一緒に作業する家族が苦笑した。地元の人が「シャムシャリン」と呼び、一般にはワレカラというエビの仲間で海藻を食べる、日本の海に普通にいる生き物だが、「今年は異常発生した」と利喜夫さん。多くのワカメに食痕が目立ち、「見た目で売り物にならず、その部分を出荷前に切り取らなくてはならない。手間が増え、出荷する量は減ることになる」と利喜夫さん。しかし、それは「異変」のほんの小さな一部だった。
早々と作業終了、底をついた養殖ワカメ
刈り取りが今月始まったばかりの養殖ワカメの収量は、「うちで(平年の)たった三分の一だ」という。筆者は十三浜ワカメの収穫期、これまでも何度か取材に訪ねた。外洋でワカメを育てるそれぞれの養殖棚へ、漁業者たちは毎日早朝に船を出し、水面まで伸びたワカメを刈り取って午前8時には港の岸壁に水揚げする。シーズン中の漁港は、家族ごとに陣取り立ち上らせるボイル作業の湯煙が、もうもうと立ち込めて岸壁を見えなくするほどで、それがこの季節の風物詩になっていた。
この朝、利喜夫さんの作業を見に来た地元大室の佐藤清吾さん(82)=旧十三浜漁協組合長=によると、十三浜の浜々では最盛期、ワカメ養殖者が200人を数え、震災後の復活時には約100人、その後は高齢化と後継者難、作業負担の重さから60人ほどになった。その分、現役の養殖者たちが収穫できる量は増し、日々伸びるワカメの成長と競うように作業は5月の連休明けまで、一日も休みなく続くはずだった。
ところが、大室漁港で作業していたのは、利喜夫さんらを含めてわずか3家族。周りには、ボイル用の窯など無人の設備が開店休業のように連なっていた。「どこも、刈り取るワカメが海になくなってしまった」と利喜夫さん。平年で1シーズンに50~60㌧を水揚げする利喜夫さんも「今年は20㌧ほどしか海にない」と語り、実際に刈り取りとボイルの作業は5月を待たず、今月26日朝で終了になった。
海の温暖化という浜の生業の危機
ワカメの養殖は例年、地元の海の水が冷たくなる10月に、養殖ロープに種(稚苗)を挟み込んで沈め、育てる。だが、昨年夏は記録的猛暑で近海の海水温は平年より4~5度も高く、秋になっても暖かいまま。「海水温が22度以上だと種が死ぬ。冷えるのを待つうちに11月、12月と時期が遅れた。海に入れた養殖ロープに種が根付かぬうち、今年1月に大しけに襲われ、海に落ちてしまった」。利喜夫さんらと共に、十三浜のワカメ養殖を草創期から取り組んできた佐藤清吾さんは話す。 ワカメは夏にメカブから採苗し、発芽させて海中で種苗(幼葉)を育てる。多くの養殖者は種苗を仕入れて、水温の下がる秋にロープに挟み、海に垂らして葉を成長させる。水温が高いと種苗の育ちも遅れ、ロープに根付く力も弱くなるという。
問題の大しけは今年1月下旬、南岸低気圧の強風と高波で海が二昼夜、海が大荒れになった。この時、宮城県内の養殖ワカメには8億円を超える被害が報じられた。さらに2月下旬に再び、南三陸町や気仙沼で漁船が6隻も転覆するほどの大しけがあり、十三浜では育ったワカメがロープごと流される被害も相次いだ。「大しけはクリスマスと春彼岸のころにある、気を付けろ―。そんな古い経験則が役に立たくなり、荒れ方の規模も大きくなった」という漁業者の話も現地で聴いた。
大室に隣接する大指漁港にあるワカメの集出荷場も訪ねた。毎年、箱詰めした塩蔵ワカメを積んだ軽トラックが列をなすというが、出荷前の計量に並ぶ人の数もわずかで、ある養殖業者は「うちも同じ、収量は3分の1だ。海に残ったワカメもわずか」と語った。このため、ワカメ市場の品薄は深刻になり、価格は15㌔当たり5万円(十三浜ワカメは平年で1万5千~2万円)という異常な高値だという。
利喜夫さんは「こんな状態でも、漁業共済からひとまず損失の8割方は補填される。が、過去の収量・収入に基づいての保険であり、次の1年も、その先も異常気象と海の温暖化が続けば、ワカメ養殖そのものができなくなる」と不安を訴える。唯一救いは、ワカメの養殖ロープの下の水深2メートルで育っているコンブが、シケの影響から無事だったことで、5月末から刈り取れるのが希望だという。
13年前の津波を乗り超えた三陸の人々生業に、海の温暖化という新たな脅威がのしかかっている。