【福地裕明】従来から秋田県内を中心に活動しているフリーアナウンサーの相場詩織さん。今年5月に民放の某人気番組に出演して以来、毎週のように「秋田の美人アナ」といった見出しでネットニュースで紹介されているが、そんな世間の評価とは裏腹に当の本人は「自分の実力だけで出演できたわけではない」と、いたって冷静だ。
番組出演できたのは、一生懸命活躍して秋田を引っ張ってくださってきた先輩方が自分が秋田でやってきたことを見てくれて声をかけてくれただけで、「『もっと秋田の役に立つ存在でいたい』と気持ちを新たにした」と率直な思いを口にしていた。彼女がそう思うようになった素地は一体何なのか、独占インタビューで迫ることにした。
土日、祝日はイベントの司会で大忙し
記者が本業の取材でお世話になっている複数の秋田の方から「相場詩織さんってすごい方だよ」と聞かされることがあった。物腰も低く、トークに機転が利いていて現場をまわせる稀有な存在のようで、彼女にイベントの仕事が集中するらしい。言われてみれば、秋田を訪れると、そこかしこでポスターやCMなど彼女を見かける機会があった。実際に今年10月の彼女のイベントスケジュールはこんな具合だ。
1日、2日:I LOVE 秋田産応援フェスタ2022
9日 :大門オクトーバーフェスト
10日:LOCAL FISH CANグランプリ全国大会
14日:第64回建築士全国大会あきた大会
17日:第74回全国理容競技大会
22日、23日:あきたNEXTモーターショー2022
29日:秋田県育苗交換会(同時開催:県産米「サキホコレ」イベント)
30日:もったいないからはじめよう! あきた食品ロス削減大作戦
これはほんの一例で、日によっては分刻みであったり、一日に複数の仕事が入ったりと大忙しのようでプライベートの時間はほとんどない。しかも、こういったイベントの告知やその模様も自らSNSで発信している。
インタビューの冒頭、先ほど紹介した「相場詩織評」を本人に伝えると、「素敵な方々がいらっしゃる中で、私を選んでいただきありがたいですし、とっても嬉しいです」と満面の笑みを浮かべた。「評価してくださった方々に恩返しがしたい」との一方で「やっとここまで来れた!って感じです」と話す言葉の裏には、ここまでたどり着くまでの苦労がしのばれた。
忙しい毎日を過ごしながらも現状に甘んじることなく、アナウンスの技術を磨くためボイストレーニングに通い、学生時代に学んだ英語や韓国語を学び直すなどしている彼女。
その理由を聞いてみると、現状に満足できない「損な性分」であることや自分に自信がないこと、「不器用なので努力し続けるしかない」など、それこそ見た目の印象とは真逆の意外な言葉が返ってきた。
確かにアナウンサーという職業は人の前に立つ仕事でもあり、見た目に注目が集まりやすい部分はあるだろうが、インタビューの間ずっと、自分自身と他者との「ギャップ」について触れていた。「努力できるのも才能の一つだよ」と恩師から言われた言葉を「宝物」に、人の何倍も努力して現在の立ち位置をつかんだのだろう。 アナウンサーの仕事をしてあらためて気付かされたこと。それは、「魅力的だ」と思う人や、「もう一度仕事をしたい」と思う人たちの共通点が「誰かのために一生懸命になれる」人だということ。そして、その人の周りには、多くの人が集まってくるということ。「社会のために何ができるかを常に考えています」と自分のあるべき姿を話してくれた。
アナウンサーになって体験した「天国」と「地獄」
アナウンサーになりたいとはじめて思ったのは、小学生の頃。放送委員や学校行事で司会をしたことがきっかけだった。その場を盛り上げ、みんなが楽しそうにするのが好きだった彼女に粋なプレゼントがあった。「卒業のとき、担任の先生が一人ひとりに、得意なことに触れ『○○のプロ』って書いてくれたんですが、私には『アナウンスのプロ』と書いてくれたんです。幼心にとても嬉しかったです」。
次のターニングポイントは中学校の時。「絶対に最優秀賞をとる」と気合い入れて練習して挑んだ英語の暗唱大会。既定の時間を5秒ほどおしてしまい、賞を逃した。悔しい思いとともに、決められた時間で伝える「重み」も痛感した。この悔しさをバネに高1のときにはリベンジを果たした。
こうした経験を機に、自分の思いを言語化できれば、誰かの役に立てると思えるようになった。「言葉で人を幸せにする」というやりたいことに「一番近いのはアナウンサー」だという目標が明確になった。
高校卒業後は秋田を離れ、東京の大学に進学。夢叶って、静岡県内の放送局にアナウンサーとして勤めることになったが、2年目に休職をせざるを得ない状況に追い込まれた。最終的には退職して秋田に戻ることになるが、この時期は「本当に地獄だった」と振り返る。
このわずかな期間、彼女のキャリアは空白になっているが、別に隠しているわけではない。「あなたの場合、数カ月完全に仕事から離れないと死ぬよ」とドクターストップがかかり、そういった状況を伝えられないまま辞める形になっただけだ。しかし、そのようなことを知らない「外野」の人たちはネット上で好き放題書き立てた。見知らぬ人からの容赦ない言葉の応酬は、これが最初ではなかった。高校のときも大学時代もweb上に画像や動画が「美人すぎる…」といった形容詞で括られ紹介されたことで、時には誹謗中傷にも晒されてきた。
そのたびに彼女は、外見だけで判断され、自分のことを分かってもらえないことに心を痛めてきた。「どこにも味方がいない」と思い詰めることもあった。しかし彼女は、たくさん傷つけられた痛みを憎しみや怒りに転換することはせず、むしろ、「言葉で誰かを幸せにしたい」という思いがいっそう強まっていった。
「この人たちのために」と秋田で再起
身も心もボロボロで、もう二度とカメラの前に立てるとは思いもしていなかった彼女を救ってくれたのも、人の言葉だった。静岡の局を辞める直前、年配の女性が涙ながらに「テレビに出なくなって心配してたけど、元気でよかった」と声をかけてくれた。「こんなふうに思ってくれる人が一人でもいるのなら、この人たちのために頑張ってみよう」と思い直すことができた。
秋田に戻ったばかりの彼女に、週5で生中継の仕事をやってみないかとチャンスが舞い込んだ。再び人前に立つことに怖さもあったが、せっかくの話だからと引き受けた。「最初は表情もこわばっていた」と振り返っているが、連日の生中継がリハビリとなった。何より嬉しかったのは、地元の人たちが「秋田出身の若い子が、秋田のために頑張ろうとしてくれている」と存在を受け入れ、応援してくれたことだった。この時の感謝の思いは、「秋田のために頑張ろう」とか「秋田に貢献しよう」といった行動に深くつながっていく。
これを機に、「『相場詩織にお願いして良かった』と思ってもらえるよう、期待以上の仕事をしよう」と心に誓った。どんな仕事にせよ前日の夜には台本を読み込み、例えば一緒に共演している方がド忘れしてもフォローできるように中身をすべて頭に入れておくのは、基本中の基本。イベントのMCを引き受けた際は、本人のSNSで大々的に発信する、公私ともに秋田県内をまわるときは、ご当地の良さを台本なしで話せるよう知識を深めるなど、求められている以上のパフォーマンスをするため自分自身を磨いてきた。
彼女の流儀を支えているのは、仕事ができる「ありがたみ」と、支えてくれた方々への感謝の思いだ。「常に明るくポジティブに、どんなことにも楽しんで挑戦している姿を見せたいじゃないですか」
アイドル好きはやめられない
フリーランスは、セルフプロデュースが大事だとも語る彼女。ただ原稿を読んで伝えるだけに終わらせず、「耳を傾けたい」と思われるためにいかにすべきか常に考えるというルーティーンに役立っているのが、幼い頃から好きだったアイドル鑑賞なのだとか。
「アイドルの子たちを見ていると、その中になぜか引き付けられちゃう子がっていませんか?『ほかの子と何が違うんだろう?』と気になっちゃうんです」と目をキラキラさせる彼女。特に、どんなパフォーマンスが人を惹きつけるのか、「応援したい」と思わせる言動とは何かなどについて分析している。侮れないことに、アナウンサー試験の面接でもかなり役立ったらしい。
テレビの世界で活躍することを夢見る子たちの面接・指導に携わるようになった今も、この分析は役立っている。奇をてらわず、拙くても自分の言葉で話そうとする子や、「こんなに頑張ってきた」という苦労話ではなくポジティブな話をする子が気になったり、「一緒に仕事をしてみたい」と思ってしまうとのことだった。
夢に向かって一生懸命努力している様子を見ていると応援せずにはいられないと話す彼女。学びもたくさんあるのでアイドル好きはやめられない、と笑った。趣味のアイドル推しまで仕事に活かすとは、よほどオフの時も仕事が頭から離れないのかと思ったら、さすがにそうではなかった。
「たとえば一人で海に行って、ただただ日本海に沈む夕日をのんびり眺めたり、電車に揺られて車窓からの景色を眺めたり…。頭を使わずにボーッとする時間を大切にしています」と、現実逃避が息抜きだと語った。
ほかには、アニメや映画を見たり、本を読んだりして、自分以外の何者かになれる時間を作るようにしているそうだ。特に「相場詩織を演じているわけじゃない」が、仕事の時は常にスイッチがオン状態だからこそ、思考をストップさせるオフの時間は欠かすことができない。特に何をすることもなくぼーっとしたり、心許せる家族や友だちと出かけたりすることで安息を得ているようだ。「こんなに忙しいにもかかわらず、こうして体を壊さずに仕事ができるのは家族のおかげです」と、感謝の思いも欠かさなかった。
「秋田って何もない」をポジティブワードに
「私の理想は、秋田に暮らして、仕事がある時に東京に行くという柳葉(敏郎)さんスタイルです。同性だと、青森の王林ちゃんですね」
今後のことについて聞こうとしたら、秋田を生活の拠点に仕事するスタイルは変わらないと即座に返された。秋田にいること自体、「心の安らぎ」なのだという。秋田の自然や美味しい食べ物、落ち着いた雰囲気すべてが好きだからこそ「終のすみかは秋田」だと言い切れる。
もちろん、自分のスキルがどこまで通用するのかや、第一線で活躍してる方にインタビューしてみたいなど、東京を含めた全国で勝負したいのは正直なところ。だからこそ、王林さんが青森から東京に仕事に通うように、秋田愛、東北愛を大事に、東京などで仕事はしても、終われば秋田に帰るというスタイルを貫くことにした。
「なんで秋田にいるんだ?」とか「どうせ秋田を捨てて、東京に行くんだろう」などと言われることもあるが、相場詩織の知名度が全国区になれば発信力も高まり、それだけ秋田や東北のために貢献できるようになると考えている。それこそ、秋田・東北の広告塔として「自分の身を削る覚悟」で取り組むつもりだし、だからこそ「心の癒しのために秋田にいさせてほしい」と強く願っている。
その一方で、「秋田って何もない」については。「本当に『何もない』のでしょうか?」と疑問を呈する。秋田を仕事で巡る中で魅力的な人や場所に出会い、何もないわけじゃないことに気づくことができた。いっとき秋田を離れたからこそ気づくものもあった。
「何もない」ことは悪いことじゃないし、いろんな意味があるのではないかと彼女は考える。
「何もない」とは、美しい自然を遮るものが「何もない」ということ。
「何もない」ところだからこそ、ゼロから人生を面白くする挑戦ができる。
こんなふうにポジティブに考えようよ、というのが彼女の言い分だ。移住者がわざわざ違う県から秋田を選んで来てくれることはそれだけでもありがたいことなのに、「何もない」などと地元の人がディスっている場合ではない。外から秋田に住んで見て、秋田の課題を見つけてくれるありがたい存在である人たちとタッグを組んで、もっと秋田の良さをアピールしてみたいと意欲的だ。
秋田に魅力がないから若者が出ていくと言われていることについては、自身の経験も含め「若者が一度、地元を離れることは悪いことではない」とも。
故郷を「窮屈だ」と思う人もいれば、「都会って遊ぶにはいいけど、居心地の良さはやっぱり秋田だな」という人がいたっていい。人それぞれの人生なのだから当然のこと。大切なことは、当事者に第三者が「秋田に残りなさい」とか「外に出なさい」などと強制することではなく、その人がどう生きるかを尊重することではないだろうか。だから彼女は、秋田で暮らすのなら、それぞれの持ち場・立場で無理に背負い込むことなく、自由にあればいいという。彼女はそれを「適材適所」という言葉で表現した。
「様々な職種の方々を取材させていただく度に皆さんが普段取り組まれているお仕事や研究内容の凄さに純粋に感動すると同時に、自分も形は違えども人に喜んでもらえたり人の役に立てたりするようなお仕事をしたいと思います」と彼女は自らのSNSで述べている。
「大切なのは自分自身のスキルや経験で、秋田とどう関われるかだと思います。誰にでも遅かれ早かれ、故郷を思うタイミングがやって来ます。それを促すように、『こういう生き方もあるよ』『こんなふうに秋田を楽しんでる人がいるよ』と伝えられる人でありたい」と話す彼女。伝えるだけで、強制は一切しない。言葉を受け取った側が、どうすべきかを自分で選択できればいい、と。「言葉で人を幸せにしたい」「誰かの励みになれる存在でいたい」「心は秋田にある」という不変の軸があるからこそ、彼女はそう言い切れるのだろう。
彼女のことを「アナウンサーの枠には収まりきらない」と評価する方がいるとも聞いた。それはきっと、ただ与えられた原稿を読むだけではなく、その原稿をどう感じて、どう伝えようかと必死で考えて伝えようとする姿勢が、受け手にも伝わるからなのだろう。
彼女にとってアナウンサーとは、確かになりたかった職業かもしれない。でも、話を聞くにつれ、アナウンサーになることが目的ではなく、アナウンサーは「言葉を伝える」ための手段なのだろうと思えてならなかった。「良くも悪くも直球タイプ」と自己評価し突き進む彼女の今後をこれからも見届けたい。
(相場詩織さんへの仕事の依頼・問い合わせはこちら)
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