1999年12月にオープンし、今年の12月でちょうど20周年を迎える映画館、フォーラム仙台。そして2004年にオープンし、15周年を迎えたチネ・ラヴィータ。どちらもメジャーな作品からアート系の作品までバランス良く上映する映画館として知られ、多くの映画ファンが利用しています。映画館支配人として21世紀の仙台の映画文化を支えてきた橋村小由美さんに、フォーラムの歴史、映画館運営のあれこれ、そして映画館で映画を観ることの意義について、お話を伺いました。
「映画を待っている時間も大切」
筆者も2009年に大学入学とともに仙台に越してきて以来、ほぼ毎週にわたって通っている2つの映画館。基本的には中規模映画、アート系映画を好む筆者としては、必然的に大型シネコンよりもフォーラム仙台やチネ・ラヴィータに足が向きます。でもそれだけではなく、この二つの映画館はラウンジや劇場内も含めてとても居心地がよく、落ち着いて映画に向き合える空間を提供してくれていることが大きいと感じています。
「映画そのものだけじゃなくて、映画を待っている時間も大切だと思うんです。それと、一日に何本も映画を見る映画ファンの方は、かなり長い時間を映画館で過ごしますよね。そういう人たちが居心地いいように、とも思っています」。そう語るのは、この二つの映画館の支配人を長らく務めている橋村小由美さんです。
日本で初めて「市民出資」で設立された映画館の系列
フォーラム仙台、チネ・ラヴィータの経営母体である「フォーラムシネマ・ネットワーク」は、1979年にできた「山形えいあいれん」という山形の市民サークルがもとになっています。当時の東北地方では、大きな映画を上映する映画館がいくつかあっただけで、いわゆる作家性の強いアート系作品は、東京などの大都市でしか見られなかったそう。それを山形でも見られるようにしよう、というのが結成のきっかけだったのだそうです。
1984年に日本で初めて市民出資というかたちで「フォーラム山形」を設立して以来興行を広げ、現在東北地方では秋田県を除いてフォーラム系列の映画館が各県に一つ以上あります。まさに東北の映画文化を支えている会社といえます。
市民出資型の映画館としてはフォーラムが日本初ですが、そのすぐ後に新潟のシネウインド(1985年)や札幌のシアターキノ(1986年)といった市民出資型の映画館が次々とできてきました。「どこが初めてっていうより、当時そういう気運が盛り上がっていたんだと思います」と、橋村さん。
授業をサボって映画館へ通うほどの映画好き
橋村さんは仙台出身で、大学入学とともに山形に越され、フォーラム山形でアルバイトをするようになり、その後そのまま就職。『フォーラム盛岡』の支配人を務めたあと、1999年のフォーラム仙台開館から支配人を務め、現在に至っています。
「小学生のころから大の映画好きで、中学生からは年間100本以上観るようになりましたね」と、橋村さん。今では「忙しい合間を縫って400本以上観る」というから、筋金入りの映画ファンですね。最近も映画館で6本もの映画をハシゴしたとのこと。
ジャンルとしては、もともとはコメディ映画などが好きだったそうですが、「観るなら社会派映画を観なさい」という親の教えもあり、「映画館で最初に字幕付きで観た映画は、アル・パチーノ主演の『ジャスティス』と、『クレイマー・クレイマー』の2本立て」だったそうです。
高校、大学時代は授業や集まりをさぼって、映画を観に行っていたのだとか。「高校では生徒会総会をさぼって、『戦場のメリークリスマス』を観に行きました。そしたら映画好きのクラスメイトと遭遇しましたけど(笑)。大学は授業料より映画料金の方が安いことに気づいたんですよ。映画の方が学べること多いじゃんと思って、映画館に行ってましたね」と笑います。
「中高生の頃はビデオやDVDもなく、映画を観るのは映画館かテレビでした。もちろんテレビの録画もできたんですけど、私は基本的に映画館で観るタイプでしたね。決まった時間に、集中して、だれからも邪魔されずに観られるのが映画館ですよね」
その姿勢は今でも変わらないらしく、好きな映画のブルーレイは応援の意味もこめて買うけれども、ほとんど観ないのだとか。映画だけでなく、映画館で映画を観ることを大切にする姿勢が、さすがは映画館の支配人という感じです。(後編へつづく)