【連載:陸前高田 h.イマジン物語】東日本大震災で店舗が流出し、2020年に復活した岩手県陸前高田市のジャズ喫茶「h.イマジン」。ジャズの調べとコーヒーの香りに誘われて、店内には今日も地域の人々が集います。小さなジャズ喫茶を舞台に繰り広げられる物語を、ローカルジャーナリストの寺島英弥さんが描きます。
客がゼロの日も
【寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】「先月、隣の大船渡市でクラスターが出て、年配者をはじめ、みんなピリピリして出歩かなくなった。店の客が日に1人、2人、ゼロの日も珍しくなく、のんびりしたものだったよ」
新型コロナウイルス禍は岩手県南部の沿岸、気仙地方も無縁ではなかった。東日本大震災の津波被災地、陸前高田市の海岸から約1キロの本丸公園に面して立つジャズ喫茶「h.イマジン」。店主の冨山勝敏さん(79)はカウンターの向こうで、諦め半分の笑みを浮かべながら、「おいしいコーヒー、入れましょうか?」。
カウンター越しの景色は美しい。手前には「h.イマジン」のオリジナルブレンドや、吟味した最高級の「マンデリンドバコG1」の豆の瓶が並び、奥の食器ケースではカクテルライトを浴びたような赤や緑、青のガラスのカップが輝く。その上で、岩手県紫波町のステンドグラス作家の個展で買い求めたガラスビーズの傘のスタンドランプが3器、幻想的な光を放つ。それらが、店の普請を手掛けた若い木工職人が贈ってくれたカウンターの深い艶と一つに溶け合う。
思わぬにぎわい
「いつもはランチタイムも客がいないが、きょうは3月11日。誰か来そうだな」。そんな冨山さんの予想は当たった。大きなJBLのスピーカーやピアノ、ウッドベース、天井にシャンデリアが見えるラウンジのソファー席にはやがて二組の客が入った。カウンター席にも一組の中年夫婦が座って「お久しぶり。変わらず、お若いわね」と、冨山さんと話を始めた。
「おととし10月にこの店を開いて、今年8月には80(歳)だからね。でも、気ままはいいですよ。『一人で寂しい』なんて、とんでもない」と店主。「お客さんにも恵まれてるから」と、夫婦が笑いを取った。話は続く。「月1回くらいライブをやっているんですか?」。冨山さんは首を振って、「ほら、コロナ騒ぎで東京などから演奏者がほとんど来なくなったから。いまは、地元の若い女性と男性のシンガー二人が自作曲の、いま流行りの無観客ライブの動画配信をやっている。この店を会場にして。もう“Vol.5”まで続いているよ」
フロア席で話し込んでいた男女3人のグループは、人気メニューという「薬膳カレー」を注文した。白米、玄米、押し麦と五穀米、東京の専門メーカーが調合した20種類のスパイスを使った健康第一のカレーだ。実は筆者を含め先に3皿分が注文され、残りは2皿分だけになっていた。冨山さんが困って伝えると、女性が笑って「大丈夫。3人で分けて、いただきます」。
命日の墓参帰りに
柳下(やなした)サキ子さん(68)。10年前に家を流され、冨山さんとは、同市高田高校にあった仮設住宅で近所付き合いをした。一緒の男性2人はNHK長崎放送局の若いディレクターらで、この日、震災10年の取材のため再訪したという。
「去年2月、仮設住宅で『たこ焼きバー』のイベントがあり、取材に来ていた彼らと出会ったの。きょうも遠くから来てくれたから、コーヒーに誘ったの。公営住宅を出た日、仙台から新居に掛け時計を届けてくれた河北新報の記者もいる。津波の時は着のみ着のままだったけれど、いろんな人との出会いの縁が支えになっている」
柳下さんは、この日が命日の義兄姉の墓参りの帰りだった。「主人の兄とお嫁さんで、歳は70と65だった。義姉に『いつの間にか、あなたの歳を越えてたよ』と話したの。家族のこと、周囲のこと、街のことを、『こんなことあったよ、街も変わってきたよ』と近況報告するの」
「いまは日々の生活があるから、一生懸命に生きていかねばならないけれど、出掛ければこうして、誰かに出会わせてもらえる。せめてこの日は夢に出てきてほしい、と願っているの」
即興演奏、始まる
店には、ジャズでも名曲の『枯葉』がずっと流れている。会話の途中で気づくと、至高のビル・エバンス・トリオをはじめ、ピアノからテナーサックス、バイオリン、歌、オーケストラと、異なるアレンジの『枯葉』の名演奏がエンドレスで…。冨山さんに尋ねると、「10年前にいただいた支援品に、『枯葉』ばかり名演奏を入れた4枚組の手作りCDがあり、ジャズ好きの人が送ってくれた。何気なく選んだが、こんなに思いの込もるCD、今日にふさわしいかもしれないね」
そのBGMにやがて、生のピアノの音が混じってきた。お客が即興演奏を始めたらしい。(続く)
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