異常高温、高齢化、園地放棄…難題増す「日本一のリンゴ王国」どう守る?青森県弘前市の農家、いま後継者と考える未来

寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】日本一のリンゴ王国、青森県津軽は昨年夏の異常高温続きの影響で、果実に日焼けなどの障害が多発、4~5割を廃棄や加工用にせざるを得ない農家が相次いだ。高温再来の不安に加え、生産者の高齢化、後継者不足、放任園(栽培放棄)の広がりなど難題も。産地の未来をどう守るか―その模索を続けてきた農家、弘前市の山本富幸さん(59)には心強い後継者が2人もできた。昨年初め、一緒に決意したという双子の息子の幸助さん、繁さん(29)だ。作業や団らんの場で、山本さんはリンゴ作りの道の深みを伝え、また新たな可能性を息子たちと語り合っている。 

息子たちへの「講義」終わりなく 

弘前市の西郊、岩木山のふもとにリンゴ園が広がる五代(ごだい)地区。山本富幸さん(59)はここで、3㌶近い畑に約千本のリンゴを栽培している。間近にそびえる冬の岩木山の姿は雲に隠れ、津軽の代名詞の雪の代わりに小雨が降る中、豪雪地帯では異例な積雪ゼロのリンゴ畑で、山本さんは木々のせん定に追われている。日当たりの良い実りを得るために必須の枝切りだが、「こんな2月は初めて。積雪があれば高い枝も地面から近くなり、作業は楽なのだがね…」と異常気象に驚く。 

山本家の歴史は、曾祖父の富繁さんが初めて、畑の一角にリンゴを植えたことに始まるという。祖父富栄さんは昭和30年代、「りんご一路で進む気持ちでいますから、水田は全然いりません。第一に、りんごは収入が多い」(昭和38年1月27日週刊『りんごニュース』の記事『りんご園造成の夢』より)と地区の仲間と共に稲作からリンゴへ大転換。自ら全国品評会で農林大臣賞に選ばれたリーダーだった。 

富幸さんは3代目の父富宏さんの背中を見ながら就農した。2007年に父が70歳の若さで他界するまで栽培の技と経験を培い、それからは「味の追求」と「働く環境」を両立するリンゴ栽培に取り組んできた。県りんご協会の青年部長や、わい化栽培など研究活動のリーダーも経て、現在は協会の常務理事を務めている。 

樹齢60年になるという木の下で、山本さんは二人の息子たちに、長く太い枝から伸びた細かい枝々の見方、切り方、実の付け方の「講義」をしていた。それぞれの木の樹齢も大きさも形も異なり、品種が違い、「人間と同じで、リンゴの木も、同じ系統は同じような特徴を受け継ぐもの。せん定でも、それぞれの来歴を知った上で木に向き合うことが大事なんだ」。凍てつく冬の黙々とした作業の間も、手早い効率を負うのではない。山本さんはリンゴの木の1本1本と対話をしているよう。 

せん定の道具類を手に語り合う(右から)山本さん、幸助さん、繁さん

栽培の道具類や機械が並ぶ倉庫に移り、山本さんは愛用している鉄のせん定ばさみ、のこぎりを見せてくれた。年季が入っているのに丹念に研がれ、いぶし銀のような輝きがある。そこでも「講義」は続いた。「このはさみは、もう亡くなった地元の名人が作ったもので、いま買えば何十万円するか。でも、『これが分かる相手にくれてやる』と譲られたんだ。一生ものの道具とは、運命の出会いのようなものがある」、「木それぞれの状態や系統の特徴が分かっていればこそ、決して傷つけることのない切り方ができ、良い道具も生きる。リンゴの木の医者でもあるね」

省力と味の追求が「葉取らず」リンゴ 

「小さいころからそばにリンゴがあって、そこで働く父の姿がいつもあって、いずれは農家になろうと自然に…」。こう語る幸助さんは、地元農協に勤めて営農や技術の指導に携わっていた。「仕事で自由に動けず、収穫の繁忙期には手伝っていたが、30歳くらいになった継ごうと思っていた」 

山本さんは、父富宏さんの他界でリンゴ栽培を受け継いだ年を思い出し、「平年の2~3割増しの大豊作で、毎日、朝から収穫に追われ、夜も9時まで選果を続けた。農家がふつう、独りで作業をこなせる畑の広さが0.5㌶といわれている。死ぬかと思ったし、否応なく自立しなくちゃならなかった」と言う。 

山本さんのリンゴ収穫暦は、9月の「つがる」に始まり、「トキ」、「シナノスイート」、「ジョナゴールド」、「シナノゴールド」、「北斗」、そして雪が降り始める前の11月5~20日ごろが主力で贈答品で人気の「ふじ」の繁忙期になる。担い手が二人から一人になっても、リンゴは時を待ってくれない。山本さんが「死ぬかと思った」教訓から決断したのが「省力化」だった。 

「それまでのリンゴ栽培では『葉取り』が当たり前だった。日が短くなる秋に、収穫前の実が赤く色づくよう、日当たりを良くするために周りの葉っぱを取るんだ。もちろん手間も時間も取られたが、色づきを優先させた『葉取りリンゴ』は見栄えが良く、値段も高くなった。私はそれを止め、『葉取らず』に切り替えた」 

10月の岩木山を背景に、シナノスイートが実る山本さんのリンゴ畑(山本さん撮影)
10月の岩木山を背景に、シナノスイートが実る山本さんのリンゴ畑(山本さん撮影)

以前は夜も照明を点けてまで葉を取ったといい、農家は過酷な長時間労働を強いられた。「わい化(背丈を低くした木)で200個、大きな木で1000個くらい実るが、葉取りは1日で10本できるか。『葉取らず』の方が当然たくさん光合成をして、でんぷんを糖分に変え、甘みを増す。食べて比べてみれば、『葉取り』のリンゴは味が薄いと感じる。かつて青年部で省力化を課題に『葉取らず』の味の良さを広める活動をした。でも、広まらなかった。農協でも市場でも『葉取り』の方が1箱500~1000円、あるいは2000円も値段が高いから。見栄えの信仰は続いている」 (注・農協や民間の選果場では現在も、光センサーで色、大きさ、形から等級を選別し、味や糖度は価格にほとんど反映されない仕組みだ) 

山本さんが生産するリンゴは年に約3000箱(60㌧)、その出荷の大半が『葉取らず』だ。関東などの200人に上る得意客への宅配分には、一人一人に手紙やチラシで『葉取らず』の味の良さを伝えてきた。苦情などは1件もなかったという。 

幸助さんは以前の仕事で農家への現場指導をしながらも、就農して「自分が農家の内側に入って初めて知ることが多い。口で語るのはたやすいが、作業の本当の辛さ、経営の大変さは経験してみなければ…。父の模索と信念を学び直している」。

難題解決を現場の実践から 

津軽の全国一のリンゴ産地は昨年、未曽有の「災害」に見舞われた。8月9日に39.3度、同23日に36.3度、同31日に37.3度―。異常高温続きのため、9月から始まる収穫に先駆け「葉取り」されていたリンゴで「日焼け」が多発したのだ。リンゴの実は30度の暑さの日光を浴びると、表面温度が45度にも上がるという。「葉取り」されて日焼けに無防備なリンゴは白く変色し、ひどいと中身も腐ってしまう。 

「売り物にならず、4~5割を廃棄や加工用にせざるを得なかった農家も多い。むろん、大変な減収になる」。県りんご協会常務の山本さんは、その実態把握と対応にも追われた。 葉を付けたままだった山本さんのリンゴは「2割程度の被害で済んだ」という。 

この2月に弘前で積雪ゼロという状況を見れば、今年の夏も異常高温になる恐れが強い。酷暑下の長時間作業による『人災』を防ぐ上でも、『葉取らず』のリンゴ作りへの転換こそ一番の対策だ。しかし、『葉取らず』リンゴを扱わない業者がいるのも現実。消費者への理解の訴えも含めて、産地全体で変わっていかねば」 

現地ではいま「放任園」という言葉が聞かれ、ニュースも流れる。同県が定める薬剤の散布、せん定などの管理が放棄されたリンゴ畑のこと。長年農家が手塩に掛け、地域の「宝」を産んできた農地は「文化財」にも等しい。しかし、団塊世代が多い生産者たちが年齢、体力の面で引退の時期に入り、後継世代の担い手も不足しており、相続や譲渡、委託も、老木の伐採もなされぬままに毎年、多くの畑が放置されているという。病害虫発生も心配される、荒れ地化した放任園の総計は県内で100㌶にも迫っている。「葉取らず」への転換は、労働の改善、経営移譲や新規就農をしやすい環境づくりの点でも、それら大きな課題への対策になるのだという。 

家での団らんのひととき、2つ新品種のリンゴの違いを息子たちに当てさせる山本さん
家での団らんのひととき、2つ新品種のリンゴの違いを息子たちに当てさせる山本さん

後継者に伝えたいことは山ほど 

「後継者は周りでも少ない。近くに、おじいさんから畑を引き継いだ同級生が1人いるけれど、ほぼみんなが後継者にならずに県外に出ていった。農家に生まれると、親たちの辛い面を見てしまい、リンゴ作りにも夢を抱けないのかもしれない」 

弟の繁さんは、同世代の現実を冷静に見つける。文字通り畑違いの銀行の仕事をしてきたが、幸助さんと話し合い、一緒に後継者になることを決めたという。 

「父が尊敬できる人だから。リンゴ作りという一本の道でもさまざまな問題に直面し、そのたび父は考えを突き詰め、終わりない闘いに挑んでいる」。心を動かし、未来も共に生きたい存在が一番身近にいたことを、兄と確かめ合ったという。 

「収穫、せん定はもちろん、月に最低1度はやらねばならないほど伸びる草刈りも受け持ってもらう。学んでほしいことはたくさんあるが、まず馬力の要る仕事から分担してもらうだけで大いに助かる」と山本さん。県などへの農家支援の陳情や会合など、県りんご協会の仕事が入る日も、息子たちに後を託せるようになった。 

「父からもらった、取り組むべみテーマは『省力化』。父の良い面を受け継ぎながら、どこかでやって来るリンゴ作りの転換点に柔軟に立ち向かいたい」と繁さん。 

幸助さんは「リンゴの生の味を父は追求してきたが、皮をむく手間から若い世代がリンゴから離れている。弘前名物のアップルパイだけでない、リンゴを生かす新しい発想の商品づくりを考えたい」。 

家に戻って団らんの時間になっても、新品種の見分け方など山本さんの「講義」は途切れない。「青年部時代からね、リンゴ談義は止まらない。ここから、どんどん深くなっていくんだよ」。頼もしい息子たちに伝えたいことは山のようにある。 

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