田んぼの中の「蝋燭と蛍のカフェ」秋田・男鹿半島

【文・土井敏秀、写真・堀井学=秋田・男鹿半島】小さな灯りが、闇の中をスウーッと下り、スッと消えた。大輪の打ち上げ花火が散って、降ってくる、そのひとつに似ていた。ゲンジボタル。何年ぶりだろう、ホタルを見るのは。

 いま暮らしている、秋田県・男鹿半島西海岸の海辺のムラにもいた。打ち寄せる波の音を耳にしながら見るホタルは、新鮮だった。

 海が荒れに荒れた土砂降りの日。海水が道路にあふれ、沢水が流れる堀をさかのぼる。ロープを切られ、岩場に打ち付けられている、小船「土井丸」にカメラを向けていた私は、足元をすくわれ、堀に落ちた。体をまるめ、「濁流に飲まれる」とは、こういうことを指すのだなと、妙に納得しながら上流に運ばれた。水はひざ下。立ち上がると合羽のポケットは、砂利で膨らんでいた。

 ホタルの幼虫のえさとなるカワニナは、全滅した。なぜ、そんなことを思い出したのか。それ以来、十数年ぶりのホタルだから、かもしれない。

 ここは、同じ男鹿半島でも北海岸の五里合琴川地区。この季節、稲がまだ淡さを残した緑の色合いで、広がっている。県道から、車がすれ違うのがやっとの、狭い田んぼ道を1㌔ほど奥に進むと、集落の入り口の道路沿いに「こおひい工房・珈音」がある。10人も入れば、いっぱいになる小さなお店。6月末から7月上旬にかけて、営業時間を夜の10時まで延長して「蛍カフェ」を開いた。7月23、24日には「蝋燭と蛍のカフェ」を開く。6年目を迎えた、灯りをロウソクだけにする、田んぼの中のオープンカフェ。

人間たちが空を見上げるように、ホタルたちも空を見上げることだってあるだろう。人間たちが天の川を見て「ワァッ」と思うように、ホタルたちも「ワァッ」となるのだろう。もし、そんな場面に遭遇したらホタルたちの舞いはいつもと違ってたりして……仕事上がりに現地へ向かい撮影を開始するも、ホタルはそんなに居なかった。カメラはそのままにして、車の中で星が出るのを待つ……そして車内で寝てしまう。でも、起きてみたら天の川と数匹のホタルが飛んでいた(2014年6月男鹿市、堀井学撮影)

 夕暮れどき、砂浜の海岸線を店に向かう。海に沈む夕日に雲がかかり、水平線だけが赤みの強い薄紫色に延びる。どこまでも真っすぐ。雲の流れで色の表情が変わる。夕日が顔を出しそうになると、いっせいに輝くオレンジ色に。すっぽりと隠すと、海と雲が同じ黒っぽい灰色になって、見分けがつかない。あっ!船が雲の中を飛んでいる。

 午後7時ごろ、店のオーナーの佐藤毅さん(41)は、手作りのロウソクが入った小さなガラス容器数個を手にした。外灯のない道路の道案内代わりに、要所要所に置いていく。店の周りの田んぼには、ゲンジボタルとヘイケボタルの両方が、すみ分けている。

 「いた」

 ポツン、ポツポツッ、ウワー。チカッスッ、チカッスッ、チカッスッ、チカッスッ……

 「頭の上にいるよ」

 「これはヘイケボタル。瞬く時間が短いでしょ。はかない感じがしませんか」

 佐藤さんの説明に頷きながら、歩を進める。

 「乱舞を見られるのは、年によって違いますが、だいたい7月中旬かな。発生場所は、移動するんですけどね」

 道路わきには杉の大木が、闇の中で仁王立ちしている。

 「田んぼの向こうの雑木林の中、今、光りましたよね?」

 「いる、いる。ピカーッスッ、ピカーッスッ。ヘイケの倍ぐらいありますね。大きさも光っている時間も。動きも優雅で、ヘイケが踊るなら、ゲンジは舞うって感じかなあ」

 洒落たことを言ったつもりだったが、佐藤さんは気づかなかったのか、最後のロウソクを置いて、戻った。

立ち止まり、ゲンジボタルが舞っている雑木林と向き合った。すかさず「♪こっちのみーずは あーまいぞ♪」と、口ずさんでしまい、照れた。ここは、秋田市のアマチュアカメラマン堀井学さん(41)が5年前、初めてホタルに魅せられた場所なのだ。

「雑木林全体が光っていたんだよ。それが一斉に田んぼの方に飛んできた。もう鳥肌もの。ザワッとなって、すっかり虜になった」

「こんなに多くのホタルがまだいたのか」と思わせてくれたこの場所の虜になった。 この地でホタル撮影を始めて数年、人間の欲とは裏腹に、自由気ままなホタルたちはある時間になると夜空を飛び回る。 1年に1枚いいのが撮れればいい、そう思いながら毎年この場所でシャッターを切る。ここは風景写真として収めるのはとても難しい場所である。若干の棚田にはなっているものの、奥行きの効いた構図はなかなか生まれてこない。できるだけ奥行きを考えて撮った構図の1枚(2011年7月男鹿市、堀井学撮影)

 堀井さんはこの地だけでなく、秋田県内の生息地を巡る。クリスマスツリーのようにホタルが光る木や、珍しいヒメボタルの生息地などにも出合った。防虫スプレーは使わない。「蚊に百か所刺されても、1枚いい写真が撮れればいい」。そこであらためて知る。ホタルという生き物は、環境の変化に敏感に反応する、と。見に来る人たちの安全を確保するため、道路わきに外灯をつけたら、翌年には発生しなかった例も知っている。

 蛍カフェは、車で15分ほどかかる、境内一面に青いアジサイが広がる雲昌寺と一緒に、ちょっとした観光ルートになってきた。この地で生まれ育った佐藤さんは「子供のころは、今と比べものにならないほど多かった。それでも、蛍カフェの6年間、減ってきたりはしていません」

 それは、訪れた人たちにマナーを守ることを、繰り返し伝えてきたからだろう。ホタルに懐中電灯を向けない。カメラのフラッシュは使わない―などなど。堀井さんは「ホタルは車のウインカーにも、仲間と錯覚するのか、近寄ってくる。それを消すと、『仲間はどこへ行ったんだ』とパニックに陥り、死んでしまう。大声で話していると、光らなくなる」と注意を呼び掛ける。

 「昔はどこでも家のそばにいた。それが今はいる所を探して見に行かないといけない」(堀井さん)。山のわき水を利用する暮らし、広がる水田、そんな環境だからこそ、ホタルが生息する。

 「田んぼに行けなくなり、他の人に委託する農家は増えています。任される人数は少なく、ひとりで幾つもの田んぼを耕作しないといけない。除草剤や農薬を使うのは仕方がないことなんです。でも、20年、30年後にも、この環境を残したい。ホタルを多くの人に見てほしい、という気持ちもありますが、蛍カフェの売り上げで、農薬を使っていない田んぼのコメを買う。それを『ホタル米』とでも名付けて販売していけたらいいな、と考えています」

 佐藤さんはコントラバスの奏者でもあり、招かれてひとりライブを開いたりしている。見に来た80歳のバサマが、コントラバスを愛おしく抱きかかえて、演奏する姿を見て「私、あの楽器になりたい」と、ため息をつく。その姿は「ホタル米を計画する」佐藤さんに似合っている。

 帰途、運転する車の中で「埋もれているニュース」に感じた違和感はなんだろう、と考えた。人は埋もれて生きているわけではない。田舎の暮らしはあまり興味を持たれていないから、埋もれていて、ニュースになるのか。違う。これは田舎に住んでいる者の僻目だな。昔読んだ、倉本總の小説「ニングル」の中に、確か「知る権利」と「知らない権利」という表現があった。「知られたくない権利」というのもありだろう。生物としてのホタルは、それに当てはまるのではないか。蛍カフェはその境界線に近い。観光情報になり得る。「ウインカーに反応するホタル」は、好奇心をかき立て、「試してみるか」を招くに違いない。

 ではなぜ書いたのか。初めて知った驚きを共有したかったのだ。子供みたいに「ねえ、ねえ、知ってる?」レベルなのは情けないけど。

 水平線が真っすぐに光っている。10隻ぐらいのイカ釣り船のこうこうとした灯りが、イカを呼び寄せる。漁火と呼ぶ。見るたびにいつも、かつて漁師が話した「きれいとか、ロマンティックだとか言うけれど、あの灯かりの下で、おれたちは汗だくになって働いているんだ」を思い出す。その時、漁火という言葉に、人の存在を見ていなかった自分自身を恥じたのも。

 夏場未明、自宅の目の前の水平線に、月が沈む。海に銀色の1本の道がずぅっと延びる。太陽が、あらゆる絵具をぶちまけたように、豪華絢爛に沈むのとは違う。満月時はその荘厳なさまに、背筋を伸ばして毎年、見入る。あぁでもない、こぅでもない、ぶつぶつ、ぶつぶつ、あっちこっち行ったり来たりしながら、細々と書くのを繰り返しながら。