【続・仙台ジャズノート】定禅寺ストリートジャズフェスティバルなど、独特のジャズ文化が花開いてきた仙台。東京でもニューヨークでもない、「仙台のジャズ」って何?
街の歴史や数多くの証言を手がかりに、地域に根付く音楽文化やコロナ禍での地域のミュージシャンたちの奮闘を描く、佐藤和文さんの連載です。(書籍化しました!)
【佐藤和文】音楽ファンの心を動かす、仙台の秋の大型音楽イベント「定禅寺ストリートジャズフェスティバル 2024」が2024年9月7日と8日の両日、開かれました。2日間で70万人が訪れたそうです。この10年、筆者はジャズフェスで演奏する機会を得てきましたが、わけあって、ことしは出演機会がなく、聴く側、見る側からの参加となりました。自分の関心に合わせて2日間の予定を組み立てる楽しさをあらためて思い出しました。
ジャズフェスの楽しみを思い出させてくれた一例として、サンバを中心にMPB(ブラジル大衆音楽)やショーロ1などブラジル音楽に取り組んできた「ヴェーリャ仙台」(荒川弥男代表)を紹介します。80年代からサンバに魅せられ、ライブに訪れたブラジル人演奏家に打楽器アンサンブルを教えてもらいながら仙台サンバクラブを立ち上げ、横浜のサンバチームと一緒に浅草サンバカーニバルにも参加してきました。
その後、古くからのメンバーが社会人バンド「ヴェーリャ仙台」(ヴェーリャはズバリ古い・懐かしい、という意味)を結成。活動歴は20年になるそうです。
ボーカルの森雅一郎さんを中心とするステージは、音楽を心から楽しむこつをつかんだ人の余裕を感じさせました。今回はショーロに傾倒するフルートの大森由里子さんも東京から駆け付け、サウンドをより豊かにしていました。
- 「ショーロ」とは ジャズ発祥と同時期にリオで西洋室内楽とアフリカ起源のリズムが融合してできたインストルメンタル音楽 ↩︎
ジャズフェスがもたらした「ストリートジャズ」の可能性
演奏者として人前で演奏することが、ごく普通の光景になったのはいつのことでしょうか。仙台の場合、ジャズフェスがもたらした「ストリートジャズ」という新しい提案のおかげで、音楽を楽しむ空間が画期的に広がったと感じるのは筆者だけではないはずです。
筆者が地方新聞社の記者をしていたころ、仙台のジャズフェスに対する異論が聴こえてきました。「仙台の『ストリートジャズ』は、ジャズと呼べないジャンルの音楽が含まれている。『ジャズ』という名称を使うにふさわしいといえるだろうか?」。
確かに仙台の「ストリートジャズフェスティバル」は、筆者のような古いジャズファンの常識を超えていました。ジャズフェスの企画提案者らを含め、さまざまな立場の関係者に取材して回ったのを思い出します。
ジャズ音楽を厳密に、あるいは歴史を遡りながら言葉で形容するのは難しくありませんが、仙台特有の「ストリートジャズ」の考え方には、音楽空間を可能な限り広くとらえ、将来にわたって生まれる音楽コンテンツを収容しようという、柔軟さ、いさぎよさを感じたものです。
筆者のように、つたないながらも、ジャズ音楽を演奏する側(の隅っこ)に立とうと試みていると、ジャズ音楽が本来、多様かつ自由であることをいろいろな場面で感じるものです。ジャズは即興性やインタープレイを重視し、演奏者の自由な感性を最大限に尊重します。瞬間、瞬間に人の心をどう動かすかを何よりも大切に考えるスタイルであり、特に仙台のジャズフェスの場合、「ストリート」の名を冠していることからも分かるように、室内に限らず屋外で生まれる音楽の可能性も強く意識してきました。毎年のことなのに、今なお強く心ひかれるのは決して偶然ではありません。
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