【続・仙台ジャズノート#20】ジャズ喫茶「PABLO」とヒップホップ

続・仙台ジャズノート】定禅寺ストリートジャズフェスティバルなど、独特のジャズ文化が花開いてきた仙台。東京でもニューヨークでもない、「仙台のジャズ」って何?
街の歴史や数多くの証言を手がかりに、地域に根付く音楽文化やコロナ禍での地域のミュージシャンたちの奮闘を描く、佐藤和文さんの連載です。(書籍化しました!

佐藤和文(メディアプロジェクト仙台)】 仙台市に隣接する名取市にあるジャズ喫茶「PABLO(パブロ)」。2011年3月11日の東日本大震災で初代マスターが犠牲となり、店が閉じたままでしたが、2017年12月、二人のアーティストが復活させたことで知られています。初代マスターが残したオーディオシステムや1000枚のレコード、ジャズ雑誌などのコレクションをそのまま引継ぎました。

初代マスターの夢をそっくり受け継いだPABLOのオーディオシステム=写真はPABLO提供

新型コロナウイルスの感染拡大によって身近なジャズ空間は冷え込みがちですが、もともと震災による悲劇を乗り越える形で始まった「PABLO」には、コロナに負けない風がしっかり吹いているようです。「確かに緊急事態宣言(令和2年4月7日から同年5月 25 日)が出た当時は客足も遠のきましたが、最近は常連客も戻ってくれて、コロナ以前よりもいい状態」と店長の半澤由紀さん(35)。

地元出身の半澤さん自身、震災で肉親を失うなど、悲しみを乗り越えてきました。当時住んでいた東京から地元に戻り、仙台の宮町で雑貨屋さんを営んでいましたが様々なご縁が重なりPABLOを引き継ぐことに。喫茶店づくりにあたって、デザートや食事を担当。コーヒーを探求し厳選、エチオピアにも足を運びました。

「特に最近は、若い人がSNSでPABLOのことを知ってくれています。テイクアウトを始めたことがメディアに取り上げられたせいもあって、開業当初は昔からの常連さんや地域の人たちが多かったのとは様子が違って、幅、年齢層が増えてきています。震災で大変な苦しみを味わいましたが、あれがなければ今のわたしの人生もなかった。コロナともしっかり向き合い、頑張ります」

コロナ禍の逆境を越えてジャズ喫茶PABLOの夢を追い続ける村上さん(左)と半澤さん=写真はPABLO提供

PABLO復活のストーリーは村上辰大さん(36)さんが2014年に米国4000キロを旅するところから始まります。村上さんはPABLO二代目マスターあると同時に、映像会社の経営者そしてDJ辰としての顔を持ちます。1970年代のニューヨーク・ブロンクス地区で生まれた「ヒップホップ(Hip Hop)」は特定のアートを指すのではなく、ラップ、ブレイクダンス、DJ、グラフィティといった、米国ルーツの音楽やダンスなど、総合的なアート全般を意味します。

プロのDJとしての村上さんは「サンプリング」と呼ばれる技術を駆使して、古いジャズ音楽の一部を抜き出し、リズムや音を付け加えて、新しい音楽に仕上げていきます。元の曲の形を崩してしまうため、筆者のような古いジャズ愛好家には、馴染めないことも多いのですが、一方で、古いジャズスタンダードや人気ミュージシャンのヒット曲の一部が「ヒップホップ」の主要なアイデアになったり、メーンのメロディとして再構成されたりすることによって、結果的には若い「ヒップホップ」ファンたちの間に、ジャズスタンダードや優れたミュージシャンへの関心が生まれ、世代を超えた敬意の流れが生じるとすれば、むしろ歓迎すべき事柄のような気がします。(次回に続きます)

この連載が本になりました!】定禅寺ストリートジャズフェスティバルなど、独特のジャズ文化が花開いてきた杜の都・仙台。東京でもニューヨークでもない、「仙台のジャズ」って何?仙台の街の歴史や数多くのミュージシャンの証言を手がかりに、地域に根付く音楽文化を紐解く意欲作です!下記画像リンクから詳細をご覧下さい。

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