【続・仙台ジャズノート】定禅寺ストリートジャズフェスティバルなど、独特のジャズ文化が花開いてきた仙台。東京でもニューヨークでもない、「仙台のジャズ」って何?
街の歴史や数多くの証言を手がかりに、地域に根付く音楽文化やコロナ禍での地域のミュージシャンたちの奮闘を描く、佐藤和文さんの連載です。(書籍化しました!)
【佐藤和文(メディアプロジェクト仙台)】繰り返し触れてきたようにジャズアドリブが魅力的なのは、演奏のスタイルやアプローチのための考え方が多様な点です。多様な考え方が許される分、覚えなければならない知識・技術が多く、初心者レベルでは正直、手に余ります。最初のうちはなるべく単純に考えるぐらいがちょうどいいようです。自分だけの手掛かりを一つでも二つでもつかんだら、その手掛かりに徹底してこだわりながら、まずは音楽を楽しむようにしたいものです。
アドリブには大きくとらえると「スケール(音階:ドレミファソラシド)」を使う方法と「コードトーン(和音を構成する音)」を使う方法があります。実際の演奏では多くの場合、その組み合わせになるはずです。特に最近ではコードトーンを使えることの大切さが身にしみます。
初心者にとってスケール一つとっても、簡単なことではありません。たとえばスケールは始まりの音(ルート)の高さによって、小学校で習ったドレミファソラシド=「メジャースケール」だけでも12種類あります。次によく知られている「(ナチュラル)マイナースケール」も12種類。「(ナチュラル)マイナースケール」の変形である「ハーモニックマイナー」「メロディックマイナー」もそれぞれ12種類あるので。スケール全種を覚えきれないとアドリブできないのでは、気が遠くなります。
筆者の場合、スケールをスケールとして学ぶ「純練習」はいったん、脇に置いたうえで、アドリブに必要なすべての実技を具体的な曲に即して覚えることにしました。この点は、筆者自身の理屈好きな傾向やシニア世代に特有の時間管理の問題も関係してくるので別の機会に報告します。
コードノートも同様で、実際の曲に出てくるコードを覚え、手癖すれすれの運指もしつこく繰り返しました。こうした方法は手癖てんこ盛りになりがちだし、基礎練を吹っ飛ばしていきなり本番を迎えるよな練習なので、後になってさまざまな禍をもたらすことは分かっていました。筆者のケースが非常に特殊で、冒険的であることを前提にしたうえで、分かってきたことは以下の通りです。
- 「純練習」を脇に置いたつもりでも、必要に応じて、よく使うスケールやコードノートを避けてばかりもいられない。自然に練習するようになった。
- 「スケール」を使うアドリブが有効なケースは、複数の小節をかたまりとしてとらえ、適切なスケールを当てはめる。曲によっては一つのスケールで仕上げることが可能なタイプもあるので、和音を一つひとつ追いかける「コードトーン」タイプのアドリブに比べれば、少し安心していられる感じがする。
- ただし、スケールの場合、一つの音の並びで一気に吹ききることもあるので、曲の流れからは離れた印象になっても不思議はない。「スケール」を適当に並べてみてもジャズっぽくはならない。
- コードトーンを使えるようにしておけば少なくとも、曲の進行に沿った音列にはなる。これを「ジャズ」と言い切っても許されるかもしれない。コードトーンを使うアドリブは割り振られる和音を追いかける形になり、取り上げる曲によっては和音の種類や並びが複雑な場合があるので、随時、スケールを活用する。
スケールやコードトーンを完璧に身に着けることができれば何も問題はないのでしょうが、筆者の場合、日々の基礎練習や実際の曲に即した練習の成果が一気に、安定的にあらわれることはありません。みなさんはどうなんでしょうか。あるコードについてはほぼ完璧だとしても、予想もしないところで♭つきのコードが出てきたりすると、ほぼお手上げ状態です。仕方がないので、そのコードを無視して、その先の何とかカバー可能なコードに飛ぶことになります。
スケールについても同様です。手癖になるほど身に着いたスケールは何とか使えるとしても、紙に書いてああだこうだ考えないと思い出せないスケールの方がまだ多いのが正直なところです。
【この連載が本になりました!】定禅寺ストリートジャズフェスティバルなど、独特のジャズ文化が花開いてきた杜の都・仙台。東京でもニューヨークでもない、「仙台のジャズ」って何?仙台の街の歴史や数多くのミュージシャンの証言を手がかりに、地域に根付く音楽文化を紐解く意欲作です!下記画像リンクから詳細をご覧下さい。
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