【加茂青砂の設計図 #11】「正史」が映し出したこと

連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、100人に満たない人々が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。

土井敏秀】元慶の乱を伝える「日本三代実録」は、日本の古代史を著した6つの公文書「六国史(りっこくし)」の6番目の書である。858年(天安2年)から887年(仁和3年)までの清和、陽成、光孝の3人の天皇の時代を記録している。

いやあ参ったなあ、だって六国史だよ。日本書紀、続日本紀、日本後紀、続日本後紀、日本文徳天皇実録、そして日本三代実録。「日本の正史」と位置付けられている。もちろん、当時の文書を読めるはずもない。これまで研究に取り組んできた、多くの人たちの解説に助けられて、その入り口に立たせてもらっている。「律令制度」「飛駅」「租庸調」といった基本的な単語を、一つ一つ調べないと意味が分からないのだから、仕方がない。

きっかけは六国史最初の「日本書記」で、古代東北の住民を記している―と、「元慶の乱・私記」の中で、知ったからである。

日本三代実録(複製)で、「元慶の乱」が起きたことを記した部分(秋田城跡歴史資料館)

「其の東の夷の中に、蝦夷は是尤だ強し。男女交り居りて、父子別無し。冬は穴に宿、夏は樔に住む。手を衣き血を飲みて、昆弟相疑う。山に登ること飛ぶ禽の如く、草を行ること走ぐる獣の如し。恩を承けては忘る。怨を見ては必ず報ゆ。是を以て、箭を頭髻に蔵し、刀を衣の中に佩く。或いは党類を聚めて、辺堺を犯す。或いは農桑を伺いて人民を略む。撃てば草に隠る。追へば山に入る。故、往古より以来、未だ王化けに染はず、云々」

おいおい。しっかりと意味が分からなくても、軽蔑されていることが、伝わってくる。「日本の正史」は、最初からこう来たのである。早速、入門書「六国史―日本書紀に始まる古代の『正史』」(遠藤慶太著)を開いた。すると、著者はこの本の中で、蝦夷には一切触れていない。参考文献にも、蝦夷に関する書物は載っていない。蝦夷は、「元慶の乱」は、古代の「正史」には載りもしない存在、出来事、としての解釈なのだな―と分かった。肝に銘じておこう。

ひょんなことで、日本思想史学会創立50周年(2017年)記念シンポジウムで発表された論文を目にした。小平美香の「神道における女性観の形成」。すると、日本書記の文章がそのまま載っているではないか。

「蝦夷は是尤だ強し。男女交り居りて、父子別無し……」。小平は東北の住民を差別した経緯を、こう考察する。「『日本書紀』には、『東夷』について『三国志』での倭人に対する表現さながら、蛮族の習俗として『男女・父子』の無別を記している。こうした律令導入による『男女の弁別』はまた、当時の日本の文明開化を意味するものと考えられよう。(略)統一国家形成にあたり、文明として『儒教』をはじめ『律令』あるいは『漢字』が導入される中で、『礼記』にみられるような男女を別ける原理・原則の影響を受けた」

東夷も夷も、中華思想に基づく古代中国の「辺境に住む者」への差別語「東にいる蛮族」である。日本そのものが「先進国」中国から、蛮族と指摘されたことに、大和朝廷はコンプレックスを抱いたのに違いない。だからこそ、その言われ方をそっくり、東北の住民にあてはめたのだ。なんという情けない構造。しょぼっ!「♪ 弱い者達が夕暮れ、さらに弱い者をたたく ♪」。ロックバンド「ブルーハーツ」の「トレイントレイン」そのものではないか。

なあんだ。大和朝廷を支えていた人たちもまた、私と似て大したことがない、のだなあ。「しょせん、人間」なのである。(つづく)

エッセイ:冬支度

水平線が真っすぐではなく、デコボコになってきた。日本海は日ごとに荒れてくる。カメムシが冬越しの場所を狙って、網戸の隙間から家の中に、入り込もうとしている。そういえば虫の声がしなくなった。

裏の畑を少しずつ片付けている。キウリ、ゴーヤ、モロヘイヤを抜き、里芋も掘った。緑色で覆われていた畑は、土色が大部分を占めるようになった。自然に種を落としたシソは、厳冬期を越して、来年また芽を出してくれるだろう。

収穫期を終えた裏の畑

残っているのは、ナスとトマトのうちの数本ずつ。2メートルほどに伸びたトマトは、茎が木のようになっている。先端を伸ばし続けて、まだ花を咲かせているけど、実りはしないだろうな。もはや野菜ではない。でも生きる意欲があるうちは、そのままにしておくか、と優柔不断に決める。東西南北にそれぞれ、20歩ぐらい足を運ぶ程度の広さの畑だが、大根、キャベツ類といった冬野菜を植えなかったので、トマトなどを残しておいても、邪魔にはならない。

トマトは実をもぎ取った下の方から、葉も落としているが、裸となった茎にびっしりと、根を生やしている。空中の水分を吸収していそう。たくましい。

土の中には雑草の種が、どれほど眠っているのだろう。雑草取りで一面の土色になって、ひと安心したかと思うと、時間を計ったかのように、一斉に新しい芽が出そろう。芝生状態になり、その柔らかな緑は、目にも足の裏にも優しいのだが、それもつかの間。野菜への養分も吸い取って、ぐんぐん生長する。それが困る。

手製のカメムシ捕獲器

カメムシが困る。ペットボトルを細工して作った「捕獲器」が、いくらあっても足りないほど、大量に処分しなければならない。晴れ渡った日など、里山から降りてきて、家の壁や窓に張り付く。捕獲しながら家を一回りすれば、また最初からやり直し。もう臭いを気にしてはいられない。石鹸水の入った捕獲器の中でもがいているカメムシを眺めては、同じ作業を繰り返している。もう後ろめたさも、虚しさも感じなくなってしまった。人として、どうなのだろうか。

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