【加茂青砂の設計図】三番目の船「政運丸」大友捷昭さんの物語①「マグロ」タイプの人

連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、100人に満たない人々が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。

土井敏秀】大友捷昭(かつあき)さん(76)は、漁師のほかに「リサイクル工房主」の肩書を持つ。集落の港のすぐそばに、その作業場が立っている。入口に最近、2枚の「格言」を張った。「この村に必要な人に成りたい 宮沢賢治」「人に惜しまれる人間に成りたい 小畑勇二郎」

賢治の名前が入ったのは、詩「雨ニモマケズ」からの引用にも思えるが、その全文のどこにも、「この村に……」という表現は見当たらない。「ほかの詩からなの?」と聞くと、答えはモニャモニャ。さらに問い詰めると「あれはないんだよ。自作だよ。私はそういう人なの」。ひょっとしたら、故人の元秋田県知事小畑さんのも?と考えるのが、筋だろう。「どうなんですか?」。すると、口を押えながらも、こらえきれずに「うぷっ」。吹き出すことで、正解を告げた。

工房内に下げておく「詩」。書き出しは宮沢賢治の「雨ニモマケズ」だが、最後は自作の文章で締めくくる。「私はそう言う人に成りたい」

捷昭さんは、演歌の歌詞にうっとりとしたり、気に入った言葉を書き留め、作業場に張ったりと、いつも言葉に関心を持つ。この連載のために、写真を撮ろうとすると「午後からは写真撮影があるんだよ」と言う。「えっ、なんの?」と聞いて、彼の策にはまってしまった。「レントゲン撮影」とこたえたから、病院に行くのか、と尋ねてしまったではないか。「(漫談家の)綾小路きみまろの小話をしゃべってみただけ。笑えるべ」

「雪落としの風」という言葉を教えてくれたのも、捷昭さんだった。この地に引っ越して間もないころ、消防団の団員となり、正月の2日、捷昭さんと2人で、各家々にカレンダーを配って歩いた。雪が降り積もっていたが、快晴の朝だった。日射しがまぶしい。「夜中、大荒れだったろ」「ほんと、風が強かったですねえ」「あの風を『雪落としの風』と言うんだが、なぜだか分かるか?」「知らないです」「雪は木の枝にも積もるだろう。それでも、木は自分で払い落すことができない。だから風が吹いて、落としてやるのよ」

リサイクル工房の看板

冬至を越すと日照時間は1日1日、少しずつ少しずつ長くなる。雪が積もっていても、確実に春に近づいているのだなと、気持ちと体のどこかが弾んでいる。この感じは、北国暮らしだからこその、冬の受け止め方かもしれない。引っ越して20数年、今や実感である。とはいっても、新年を半月ほど過ぎても、午後5時となれば、外はすでに真っ暗。今年のその日、その時間に電話が鳴った。捷昭さんだった。「初物食わせっから、取りに来ーい」

作業小屋に行くと、体長30㌢ほどのヤリイカが2杯、バケツに入っていた。もちろんまだ生きている。ヤリイカ釣りは、朝夕の薄暗い時間が狙いめ。捷昭さんは4時過ぎから「試し釣り」をしたのだという。1日がなかなか終わらない人である。話をしながら、網籠を修理している。いつだって手を休めない。笑顔も絶やさない。

加茂青砂集落を背に、出港する政運丸

よくこんな愚痴をこぼす。満面笑みの表情で。「ドイちゃんさあ、何とかしてくれよ。おれ動いてないと、仕事してないと、まいっちゃうんだよ。動きを止める薬、探してきてくれよぉ。マグロみてだってが?んだかもなあ。マグロは泳ぎを止めると、死ぬっていうからな。大した時化でなければ、沖さ出る。ほかに誰もいなくて、おれ一人だとよ、それがまた釣れるんだなあ、はははは」。言葉を違えた。愚痴ではない。自慢話だった。(つづく)

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